遺跡での惨劇
大変時間が開いてしまい申し訳ありません。
しかも、大した量じゃない……。
ある程度大筋はできていたのですが、どうにもキャラクターが勝手に動いてしまって、中々収拾がつきませんでした。本当は元旦にアップするつもりだったのに。
充満する生臭い鉄の匂い。しかし、鼻につくのはその匂いだけではない。生ゴミとも吐瀉物のものともつかぬ、発酵し乾燥した体液特有の、嫌悪感を増幅させるすえた臭気。そして、そこここで聞こえる呻き声。眼前に広がるのは地獄絵図。
だが、被害者集団はいても、加害者がいない。襲撃者が単身なのか、複数だったのかもわからない。
古代帝国人はかつて、魔法の粉末に水を加えて練り混ぜてできた特殊な泥を、鉄で作られた骨組みに沿って塗り上げていくことで、強度が高く壊れにくい、数多くの高層建造物を造った。ビルディングなどと呼称されたそれらは、浮遊大陸墜落時に幾つもの瓦礫の山と化したが、所々に積みあがるその陰影には、模様と見紛うように赤黒い塊が幾つも散乱していた。目を凝らせば、それは『元』人であった物の塊であることがわかる。
かつて人であったそれは、五体満足なものはなく、腕なり足なりを失っている。ともすると頭部だけ少し離れた状態の物も一体や二体ではない。人であった事を思い至ることさえ怪しいものさえある。
後発のシェラガの隊が、古代帝国の遺跡内第二宿営地に到着した時には、ここを襲撃した何者かは、既に立ち去った後だった。だが、シェラガ達には、その者が遠くに行ったとは決して思えなかった。
時は少し戻る。
トリカとの騙し合いを終えたシェラガは、その翌日には、遺跡内第二宿営地を目指す後発隊のメンバーとして出立の準備に取り掛かっていた。
第一宿営地、つまり現在シェラガのいる遺跡内の施設は、トリカ邸敷地内の森林部に穿たれた巨大な縦穴内にある。
数年前、巨大な地響きと共に、突如として現れた森林内の大穴から、無数の化け物が姿を現した。当時は為す術なく、古代生物にも酷似した化け物群の跋扈を許したが、ある時を境に、化け物群は突如として姿を消した。
その後、度重なる調査の結果、巨大な縦穴の中に遺跡が発見され、同時に安全も確認されたため、その地を遺跡内での研究拠点として第一宿営地が設営された。
第一宿営地は、古代帝国の建造物と思われるビルディングを流用した。ゼロから遺跡内に建造物を作るより、よほど頑強な作りになっているそれを使うことで、更なる安全を確保することができた。それにより、トリカ邸と第一宿営地の間の移動に関しても更に安全性が増し、出土品の搬出を安全に丁寧に行うことができるようになり、同時に、研究者が常駐できるようになった。
直近一、二年では、著名な国外からの研究者を第一宿営地に招き入れ、現場に最も近い研究機関としての側面も持ち始めている。遺跡内に安全が確保されているため、新しい出土品が出ると、熱心な研究家の側面も持つトリカは、居ても立ってもいられず、この地を訪れることも多いという。
第一宿営地内で、シェラガに与えられたのは、巨大生物の檻や応接室と同様、石室を加工して作られた研究室。
元々作業員としてではなく、研究者として招かれていた彼には、シェラガ専用の様々な設備や道具類が準備されていた。たまたま一回目の招聘には応じられず、急遽の途中参加となったが、よほどトリカは研究者としてのシェラガに心酔していたのだろう。他の研究者以上の好待遇となっていた。
簡易ベッドと折りたたむことのできるデスクの上には、研究に必要な道具が並べられていた。だが、シェラガは準備されている道具類と自身の持つ道具類を比較し、重なっている物に関しては自身の道具を麻袋に入れ、肩に担ぐ。
テーブルの上には、ルーペ、石などを割るためのハンマー、ノミ、土や砂を出土品と選別するふるい、砂などを落とすハケ、同様の用途の細い筆などが残された。それらの道具は全て、自身で準備した物を持って行くため、研究機関により準備されたものはテーブルの上に残された形になる。自身の所持品でない物で麻袋に入ったものといえば、ロープやフック等、安全を確保するための道具類だ。
実は、シェラガ自身≪天空翔≫の氣功術を使えるようになってからは、高所作業時の落下の恐れが無くなった為、命綱を持たなくなった。同様の理由で脚立も持ち運びをすることがなくなっていた。
また、遺跡の調査の際、聖剣を持ち込むことが確実になった為、これを機に聖剣の力を遺跡調査に役立てたい、と思い立ったシェラガは、遺跡調査の現場で聖剣の使い方の試行錯誤を重ねるうち、常時第三段階を操ることが出来るようになるのと同時に、第一段階よりもさらに下の段階での聖剣の発動が可能となった。
シェラガはそれを『準備段階』と呼んだが、オーラ=メイルを不可視状態で纏い、戦闘時ほどには引き上げないものの、指一本で数秒ならば自分の体を支えられる程度に筋力を増加させ、動体視力などの感覚も常人より高めている状態を、非常に長時間維持できるようになった。シェラガ自身、正確に測ってはいないが、三日間の遺跡調査で一度も途切れさせることなく発動させ続けることもできたようだ。
聖剣を使えることを周囲の人間に悟られてはいけない、とレベセスに散々脅かされた当初は、見た目に変化を及ぼすことなく聖剣の力を引き出す事を目的として訓練を続けていたが、聖剣の発動レベルを落とすことによって、身体能力増強効果が長期間継続させられるというメリットに気付いてからは、その技術を製錬させることに尽力した。
その努力の過程で、聖剣は所有者の力を引き出すというよりは、所有者の氣のコントロールをサポートするツールの意味合いが強い事に気付いたシェラガは、聖剣を使わずとも使用できる氣功術の運用を考えるようになった。
≪天空翔≫を例にとって見ると、氣を大量に消費して飛行する、戦闘時の高速移動のような使い方ではなく、普通の人間が行う徒歩移動でも手足にかかる負担を減らせる他、命綱をつけるべき作業中、万一の転落の際も常時≪天空翔≫が発動しているため、致命傷を負わず軟着地できる、といった具合だ。
氣功術使用時に、氣の無駄な消費を押さえ、かつ長時間効果を持続させることによって、作業者の安全を大幅に高める、過去に例のない術の使い方が可能になったが、これは術を戦闘の道具にしか考えていなかった当時の人々の発想にはなく、斬新な考え方だったと言える。
シェラガは、これらの術を『作業用氣功術』と称し、『戦闘用氣功術』とは別の系統として書物に記したが、根本は同じ物だ。だが、あえて別物として取り扱うことにより、大量殺戮を目的としない『作業用氣功術』の定義は、術に対する一般人の恐怖感をぬぐい去り、同時に水面下にいた数多くの術者に対する差別を減らす効果を生んだ。同時に、得手不得手はあれ、万人が使える物であることを謳った事も、差別を減らす効果に一役買っている。だがそれが学校などの授業で必須項目になるのは、もう少し後の事だ。
瞬発的な大エネルギーを使用する戦闘に特化した術ではなく、非常に長時間の運用に耐える産業の発展に寄与するその術の系統は、後世でも大変重宝され、更に多くの術の形態を生み出していくことになる。
ラン=サイディール国の中将にして、無二の親友であるレベセス=アーグは、彼の(結果的な)術の研究について、『術』の使い方の発想の転換に見ることのできる柔軟な発想力と、それを実現する器用さに驚きながらも、彼が戦士でないことを酷く残念がった。
だが、それに対してシェラガは、
「どんな技術でも、戦争の道具に転用はできるし、その逆も然り。伝えていく人間が方向性さえきちっとさせていれば、よほどその技術に特化した人間が、大きな悪意を持って運用しない限りは、技術は平和利用されていく。
問題は、どの時代にも悪用しようとする人間がごく少数生まれてしまう事だ。そして、現行の技術の運用が平和を重視しての運用であることを、一般の人たちが当たり前に感じてしまい、意識しなくなってしまう事だ」
と言ったという。
それは、彼が知りうる中で最も才気煥発な男の一人に対する暗黙の警告でもあった。
出発の準備が終わり、麻袋を背負ったシェラガは、いつもは背に担ぐ聖剣を腰に括り付け、準備された薄手だがしっかりとした手袋を両手に装着する。
「この装束は、思った以上に出来がいいな。軽いし肌触りもいい割に、造りもしっかりしている。戦闘には向かないけれど、作業用として考える分には申し分ない」
そんな独り言を呟いていると、扉を叩く者がいる。
「シェラガ殿、出立のご準備は整いましたでしょうか」
扉越しに彼に準備状況を尋ねるこの男は、シェラガを遺跡内までエスコートしてくれるという。シェラガは最初軽く断ったが、トリカの計らいだという事で、同行に応じることにした。
正直シェラガ自身は、トラブルがあったとしても、自身で解決するほうが楽だった。だが、トリカの顔を立てる意味もあって特段強く否定することはしなかった。
シェラガが、エスコートの男に従い、集合場所に行くと、既に三つの人影がみえた。
皆シェラガと同じ装束に身を包んでいる。だが、男だと思って近づいてみて、シェラガは度肝を抜かれた。三人ともが女性なのだ。
一瞬顔をしかめたシェラガを見咎めた一人が口を開く。
「何かご不満でも?」
「いや、そういうわけでは……」
そう言って改めて三人を見たシェラガは思わず息を飲んだ。
一人は途轍もない大女。シェラガの背が彼女の胸よりも少し下という驚くべき身長。筋骨隆々としたその体は、女性特有の体の凹凸がなければ、偉丈夫と表現してしまいそうだった。長髪を結い上げたその頭は、全体のバランスを考えても心なしかマッチしていない。顔の輪郭も女性のそれというよりは、屈強な戦士のそれだ。言いたくはないが、化粧の下手なオカマだな、というのがシェラガの感想だ。だか、それを口にしてしまうと命がない。そんな言外の殺気を感じさせる。
二人目にはシェラガは見覚えがあった。南国系の顔の造作をしていながら、肌は白く透き通り、頭髪も白金の彼女は、数日前シェラガと森林で戦闘を繰り広げた、あの女性だ。アルビノなのだろうか、彼女の黒目部分は薄い緑色をしており、翡翠を連想させた。誰かに似ているとは感じたが、それが誰だかはわからない。
三人目は、シェラガよりずっと小さい。ともすると、十代半ばに年齢が届いていない少年のようにも見える。まだ第二次性徴も始まっているようには見えないスラっとした身体には、かろうじて女子だとわかる程度の蕾のような膨らみが見て取れるが、それ以外に女子である証明はない。頭髪を短くし、耳より少し下で切りそろえているのは、少し髪型を気にする男子、といった印象だ。だが、その眼差しは不遜であり、一言も口を開かず、シェラガを見据えていた。
戦闘訓練を積んでいるようでもなく、かといって考古学に造詣が深いようにも見えない。少なくとも、学会で研究者にこのような少女がいるという話は聞いたことがない。そんな少女が何故シェラガに同行するのか、一瞬彼は首を傾げざるを得なかった。
それぞれの名は、コーウト、ケザン、カルミアだと、男は紹介を終え、その場を辞した。この女性で編成される隊について、抗議される前に。その行動原理は、心なしかシェラガに対しての罪悪感さえ邪推させる。
暫しの沈黙の後、シェラガは思う。
余りこの場で親交を深めても仕方ない。それに、抗議は恐らく容れられまい。
そう考えたシェラガは早々に出立をした。
「疲れた。休憩して」
出立して半時も立たぬうちに、少女カルミアは数回目かの休憩を要求した。
確かに、シェラガの歩みは速い。そして、コーウトもケザンもそれに十分に対応できる程に速い。だが、唯一カルミアだけは歩みの速さに順応することなく、徐々に集団から離されて行っては、慌てて駆け寄るという動作を繰り返していた。
普通に考えれば、十代の少女、とりわけ何かしら体を動かすトレーニングをしていない者であれば、体力配分もできず、過度の運動に対しては直ぐに疲労を覚え、休憩を要求するというのはわからなくはない。
だが、今シェラガ達が行っている移動は、学校の授業ではない。ましてや、子供を歓待するためのイベントでもない。むしろ、専門性の高い作業を行なう場であり、その作業は当然速さと正確性が要求され、かつ落命の危険すら伴う。
そんな場に、普通の少女が参加することにいよいよシェラガは違和感を募らせていた。
そして、三度目の休憩の要求の時、ついにシェラガは遠慮がちではあるが、揶揄の感情を押し殺し切れず、ケザンに尋ねた。
「彼女は、何のためにここにいるのか?」
できるだけ柔らかく表現したところで、シェラガの苛立ちは隠しても隠し切れない。そしてなお腹立たしいのは、自身が周囲のメンバーに迷惑をかけていることに少女カルミアが気づいているようには到底思えない事だ。もしかすると気づいているのかもしれないが、それを気づいていてなお、その表情に反省なり恐縮なりの片鱗すら微塵も覗いていないのは、シェラガとしてはどうにも胃の腑に落ちてくるものではなかった。
「申し訳ございません。なにとぞご容赦を」
「容赦するのはいいさ。けれど、現場到着の遅延は、我々だけではなく、先発の隊にも迷惑をかけている可能性がある。数十人以上の仲間たちに迷惑をかけているわけだ。計画の遅延は、ともすると命の危険さえある」
「はい。重々承知しております」
「俺は確かにこの隊の編成には全く関知していない。とはいえ、しかるべき方法で選考された人たちなのだろう。それにしてもその選考された理由というのが、見えてこないのだが、ケザンは何か聞いているのか?」
椅子として用いるのにちょうどよい瓦礫に腰かけ、そろそろ中身が無くなるだろう水筒の底を高々と上げ、水分の補給にいそしむ少女を見て、シェラガはケザンに耳打ちする。
「……きつく口止めをされておりますので、この場にての事とさせてください。あの方は、トリカ卿の孫娘のカルミア=サイディール様なのです」
驚いたのはシェラガとコーウトだ。だが、コーウトはその偉丈夫的な表情を驚愕の色に染め、目を見開いただけで、言葉は発しなかった。
「……トリカ卿は何のために彼女を同行させたのか? 隊に女性しかいない事は、言葉が汚くて申し訳ないが彼なりの……下世話な配慮なのはわかる。その中でも少数精鋭になっているのは、君やコーウトの能力の高さを彼が買っているから……。それにしても、この隊に孫娘を組み込んだ目的が見えてこない」
「隊に入る直前、トリカ様や私は姫に言葉の程度の差こそあれ、この隊の意義を伝えて参りました。また、この隊の一員として活動する困難さも。ですが、あの方は頑として参加を主張されました。申し訳ございません……」
シェラガは口を噤んだ。
別の理由があるのか。
その理由を、多分ケザンは知っている。だが、今ここで問い詰めても彼女は口を割るまい。それに、今ここで自身がその事に気づいた事をケザンに告げるのも得策とは思えない。
「コーウト。あなたも彼女の同行に異論はないのか?」
どう聞いても裏声にしか聞こえない、偉丈夫系女子のコーウトは、蚊の鳴くような声で首肯した。
しかし、コーウトの声は、何度聞いても背筋が凍る。
申し訳ないが不気味なのだ。どう見ても、戦場経験の豊富な最強の女戦士、というよりはむしろ、長髪の偉丈夫なのだ。それでいてあの声。女性に対しては口にしてはいけないのだろうが、生理的な恐怖を感じる。どう見ても、戦場で雄叫びを上げ、大剣を振るっているほうが彼女の精神衛生上もいいはずだ。
「……わかった。君たちの配属理由の中に、彼女のボディーガード任務もあるのだと納得することにしよう。だが、これからも休憩を取り続けようとするのであれば、俺自身の問題だけではなく、遺跡の調査隊として致命的だ。何とか、彼女の歩みを速められる方法を探してくれ。俺が背負ってもいいが、そういうわけにもいかないだろう。君らの立場としても。その結果、君らの荷物がうまく運べないという事であれば、俺が持つ」
今から引き返し、カルミアをトリカの元に返すことは不可能だと悟ったシェラガは、現在の遅れを何とか取り戻すために善処する選択をせざるを得なかった。
平たく言えば、コーウトかケザンに、カルミアを担げと告げたわけだ。
本当は聖剣の準備段階を使用しているシェラガが担ぐのが一番早い。だが、それは諸々の理由で不可能だ。
それに、先発隊が進行している以上は、危険因子は排除されているだろうとは思い至る。だが、なんといっても行き先は古代帝国内の遺跡だ。新たな緊急事態が発生するとも限らない。
その時に、最初に動けるのはシェラガだ。
いくらコーウトが人類最強級の戦士であれ、聖剣を発動させているシェラガより効果的に稼働できるとは思えない。
そうなると、必然的に隊列も決まる。
シェラガが先頭となり、戦闘やそれ以外の障害を察知、回避あるいは排除し、カルミアを守りながら、コーウトかケザンが進み、殿をそれ以外が務める。冷静に考えれば、ケザンもコーウトもトリカから指輪を与えられている高機動兵士なのだ。少なくともケザンは間違いなく。そうなれば、シェラガも彼らを守りながら戦う必要はなく、考えようによっては、一番いい布陣なのかもしれない。
シェラガはまだ覚える違和感を拭うべく、自身を納得させた。
眼前に広がる地獄絵図を目の当たりにして、少女は一瞬嘔吐を抑える表情を浮かべたが、少女に血生臭い惨劇の爪痕を見せないようにと、身を挺する大人たちの好意をやんわりと拒絶する。
「まだ息のある人たちを助けないと」
そういうと、彼女は呻き声のする方へと一目散に駆け出した。
今までのカルミアとは、明らかに様子の違う事に一瞬戸惑いを覚えながら、ケザンは少女を追う。
シェラガは腰の剣を抜き、カルミアの動きを目で追いながら、その周囲の索敵を行ないつつ目に入る一番高い瓦礫の山の上に移動、警戒を開始する。
コーウトは背の片手用戦斧二本を両手に持ち、けが人へと近づく少女に付き従うケザンとは逆方向へと警戒の目を向けた。
しばらくは、カルミアからえづく音が聞こえていたが、その音がしなくなる。
周囲に目を配りながら、ちらりと眼下の少女を見やったシェラガは、カルミアが生存者を見つけたらしい事に気付く。先程までの体から滲み出す疲れなど、微塵もなかったように俊敏に動き、体が汚れるのも気にすることなく、少女は生存者を助け出そうとしている。
シェラガは、手の剣を腰に戻しながら、ざっと周囲をもう一度見回し、近くに敵がいないことを確認すると、少女の傍に移動した。
「見て、この人まだ息がある!」
シェラガは少女が助けようとしている人間を見て、思わず息を飲んだ。彼も戦闘は経験したことはあるが、凄惨な戦場経験については、実は未経験なのだ。彼自身も思った以上の体の傷み具合に思わずえづいてしまった。
そんな様子を見ていたコーウトは、すっと歩み寄ると何の躊躇もなくその人間を抱え上げ、平らな広い箇所に横たえた。
研究者らしいその男は、顔半分を刳られ、ほぼ虫の息だった。何かを伝えようとしているというよりは、本能的に体の不調を物語るだけの唸り声をずっと発しているが、それも徐々に弱々しくなってきている。コーウトに抱き上げられたことで、自分に救助の手が差し伸べられたことに、消えゆく意識のどこかで気づき、安堵したのだろうか。そのまま口角がほんの少し上がる。
なんとかならないの? というカルミアの問いに、コーウトは首を横に振るだけだった。
シェラガも、一瞬自分の氣功術を使って回復させられないかと策を講じたが、氣功術は、本人の代謝を高め傷の治りを促進する術。既に瀕死の人間には効果はほぼない。
だが、そこでふと思い出す。
強力な炎壁の術の莫大な熱エネルギーを吸収して、自らの生命エネルギーに変換した、あの巨大な檻での戦闘を。
通常、マナ術の自然現象を司るエネルギーは、本来ならば生命エネルギーに置換はできないと言われる。それ故、氣功術とマナ術は、同じ魔法の様な効果を発現させる術同士でありながら、別の術の系統として考えられている。
具体的な例で考えてみよう。
ある物体を上空から落とした時、位置エネルギーが移動のエネルギーに変換される。だが、普通はそのエネルギーが、生物の生命活動の為のエネルギーとして生物に供給されることはない。
生命維持活動に必要なエネルギーと、物体の移動に必要なエネルギーは相互に置換されない。つまり、極端な話をすれば、崖から飛び降りた人間が満腹になる事はない、ということだ。エネルギーは、その種類によっては、お互いに置換を行う事が出来ない場合も多々ある。
だが、シェラガがもし、聖剣の力、あるいは星辰体の力を使い、置換不可能な位置エネルギーや熱エネルギーを、生命の活動エネルギーに変換できるのだとするならば、自然現象のエネルギーを吸収し、生命エネルギーに変換して他者に与えることはできないのか?
そんな疑問が浮かぶ。
だが次の瞬間、研究者は息を引き取った。
心臓部が赤く染まっている。心臓を抉り取られていたのだ。よくぞここまで生きていたものだ。
カルミアは、その後も何人かの生存者を見つけ出すが、生存者は悉く心臓を抉られており、結局彼女たちには、看取る事しかできなかった。
執筆速度が遅くなってしまっています。
申し訳ありません。
感想など頂けると喜びます。




