トリカの私設部隊
遺跡に墜落したシェラガは、独房に閉じ込められます。
そこで様々な物を見聞きし、人間にも出会います。
指輪。マナ術。そして、トリカ卿。
気が付くと、視界が薄暗い灰色に染め上げられていた。
何の模様も凹凸もない、真っ平らな石の壁。そう理解するのに少し時間がかかった。
何となく視線を上下左右に動かしても、その壁の端を見ることはできない。
今置かれている現状を理解しようと、シェラガは体を動かそうとする。
だが、なんとなく気怠さを感じ、即座に動き出すのは憚られた。恐らく、起き上がろうとしても、体は自由に動かせなかっただろう。
金縛りになる直前のような不安定な感覚。まるで脳と体が現在も別々に保管されているようで、体の感覚がわからない。彼自身は経験がないが、麻酔が覚めた直後というのはこんな感じなのだろうか。
今この状態で、少なくとも異常は感じられない。むしろ、突然動き出すほうが危険を招き入れるような気がしてならない。
まずは、体を動かさずに現状を把握することにした。
聖剣は手元にないようだ。だが、それでも≪索≫程度ならこなせるはずだ。
シェラガはそのまま身動ぎひとつせず、ゆっくりと氣をコントロールする。今回は精度の高い≪索≫を、自分の腹部を中心に球状に膨らませていく。
四方の壁に触れた≪索≫の膜は、その濃度の為か壁を透過せず、壁に沿ってその体を押し広げていく。やがて、内壁に満遍なく触れた状態になると、≪索≫は膨張を止めた。
濃度の濃い≪索≫は、周囲の温度や感触、色まで事細かな情報をシェラガに伝えてきた。
≪索≫がシェラガに与えた情報は、少なくとも彼のいるこの空間……独房にしては広すぎる、文字通り何もない石の直方体の器の内側……には、敵も味方も、生物さえもいないということだった。また、周囲に彼を傷つけるような突起物や悪意を感じさせる仕掛けもなさそうだ。あるのは、直方体の空間の一面にある巨大な観音開きの扉のみ。
≪索≫の結果を受け、彼はゆっくりと上半身を起こした。体が痺れたような感覚を伝え、床に着けた右腕で体を支えようとするが、力が加わっているのかどうかも判断できない。
痛みらしい感覚はない。だが、違和感は覚えた。
どうやら、全身検められたようだ。着衣が全てなくなっている。
見えないが触れる事の出来る彼の下腿と左腕を目の当たりにして、実検者はどう感じたろうか。
上半身を起こしてなお、頭に膜が掛かったような感覚は拭えない。
と、人の気配がしたと同時に、シェラガの右手から、重々しい鉄の扉がゆっくりと開く音がする。
シェラガは即座にそちらに振り向こうとした。が、体はやはりいう事を聞かない。彼の意志に反してゆっくりと向き直る自身の体の先には、盆を持った女性が立っていた。巨大な観音開きの鉄の扉の足もとに、人が出入りする用の小さな鉄の扉がある。どうもそれが開いて女性が入ってきたようだ。となると、この巨大な扉は、一体何をこの部屋に運び込むための物なのか。
女性は、胸当て、肩当てに股当てのついた黒装束を身に纏っていた。
その格好に彼は見覚えがある。
彼が空洞に落ちる直前、森林内で激闘を繰り広げた戦士たち五人が身に着けていた物であり、空洞に落ちた先で彼を取り囲んだ何百人もの戦士の装備でもあった。
只、記憶にあるのとは違うのは、あの時の彼らの顔は全く分からなかったが、眼前の女性は表情がはっきりとわかるという事だった。
今のシェラガの呆けた状態では、なぜ、以前の戦闘中に戦士たちの顔がわからなかった理由が特定できない。仮面をつけていたのか、はたまたシェラガが単純に覚えていないのか。だが、今の彼からすれば、それはどうでもよい事だった。
「気が付いたようだな」
女性はそういうと、入ってすぐの所に盆を置いた。そしてすぐに立ち去ろうとする。
女性の肌は薄暗い中でも白く透けたような美しさを持っていた。そして、肩まである白銀の頭髪は、何処となく儚げな印象を受ける。
どこかで会った事があるのか?
一生懸命思い出そうとするが、彼の意志に反して、彼の頭脳は全く動きだそうとしない。あまりに働こうとしない頭脳と体とに、シェラガは別の違和感を持ち始める。
「まだ、完全には目覚めきっていないようだな。我々は貴方に聞きたいことがある。貴方も我々に尋ねたいことがあるだろう。また後ほど訪問する」
そういうと、女性は部屋から立ち去った。
扉の閉ざされる重い音が遠くからシェラガの耳に届いた気がした。
この頭の違和感は異常だ。
シェラガははっきりしない頭でそう感じた。危機感を感じない。なので、危険に抗おうという闘争本能も頭を擡げない。
だが、その危機感を感じない事が異常だ。頭の中に掛かった霞は、何か別の意図があって強制的に施されたものだ。
その考えが彼の頭に閃いた瞬間、霞が濃くなったような気がした。危機感を煽ろうとする感情と、過度にリラックスさせようとする体。体が意志に反して活動を拒絶しようとする。酒によって与えられる酩酊状態がより加速したかのように、視野と頭脳とが揺さぶられる。
おかしい……、おかしい……! 薬物でも投与されたか?
シェラガは、体に抵抗されぬよう、ゆっくりと立ち上がると、両手で頭を掴んだ。
次の瞬間、不思議な感覚が彼を襲う。
体の現存する右手が掴んだのは、彼の頭皮であり頭髪だった。だが、左手は全く違う感触の物を掴みだした。ぬるっとした感覚。生暖かいようで、一画のみ冷たい不思議な感覚。
余りの悍ましさに一瞬硬直するシェラガ。
脳を鷲掴みにされるというのはこういう状態をいうのだろうか。
凄まじい吐き気を覚えたシェラガだったが、何かわからぬものを掴んだ左手に力を込め、頭から引き剥がす。
彼の頭を覆う柔らかい霞が、まるで粘膜でできた覆面を掴み排除するような触感と共に、頭から離れていく。大分脳の奥にまでその触手を伸ばしていたのだろうか。剥がす際に若干の痛みを伴う。だが、それは物理的な痛みではなく、違和感。その違和感が、痛みとして感じられる。物理的に脳を傷つけるわけではないと分かっていたので、シェラガは痛みに躊躇することなく剥がし続ける。剥がれた部分から、徐々にあたまにかかった靄が消えていく。
物理的に何もない筈なのに痛みを覚える。痛覚としては感じていない筈なのに、痛みとして感じられる、如何とも表現し難い感覚に嫌悪感を覚えたシェラガは、その無色透明の粘膜を投げ捨てたが、その先には何も見えない。そして、地面に投げ捨てた筈なのにも拘らず、床に粘着質のある液体を撒いたような音もしない。
彼が掴んだのは一体何だったのだろうか。
殆どの霞は無くなったが、右の耳の後ろあたりにまだ違和感を覚えたシェラガは、今度は右手でそれを掴んで取ろうとした。だが、彼の右手には何の感触も伝わらず、只耳の後ろを引っ掻いただけだった。
慌てて左手でその部分を撫でると、左手の人差指と中指には、先程シェラガが感じた違和感が見事に引っ掛かる。人差指と中指をうまく使い、右耳の後ろの粘膜状の何かを引き剥がすと、再度床に投げ捨てた。
最初に掴んで投げ捨てたものに比べて、非常に小さい欠片のように感じた粘液質の霞も、先程と同様、物理的な気配を全くさせず、シェラガの元から消失する。床に放った物をもう一度拾おうとしたがそれは叶わなかった。
「……何だったんだ、今のは」
頭の霞を引き剥がしたシェラガは、はっきりした頭で自身の全身を検める。
聖剣をはじめとする装備は全て失っていた。
着ていた朝の服もすべて脱がされ、全裸で先程まで転がされていた事に気付き、ほんの少しの羞恥心と非礼な扱いを受けた事への怒りを覚える。
と言ってもまずは、現状把握が先決だ。
独房にしては異常に広い、この直方体の空間を脱出する方法も当面は思いつかない。
今までの経験から、聖剣は放っておけば彼の手元に戻ってくる筈だ。脱出のタイミングはそこから考えることになるだろう。
相変わらず不思議な体だ。
彼の目に映るのは腰から上の部分と、右腕だけ。左腕は、左肩より先は見ることはできない。だが、右手で撫ぜればその形状は確認できる。腰から下も同様に見ることはできず、触ることが出来るだけだ。ちょうど臍が途中から掻き消えている感じだ。だが、聖剣を発動させたときには、不可視部分もオーラ=メイルに包まれることからも、存在は確かにあるようだ。
可視部分と不可視部分の境界線は、ほんの一つまみほどの幅に半透明に変異している部分があり、完全にその先は見えなくなっている。もし切断されたのであれば、切断面が肉芽になっている筈だが、腕や腰の部分にはそれも見ることが出来ない。本来肉芽であるべきところは空間が歪んでいるように滲んで見え、骨や筋肉などの体組織は観察できない。まあ、人体を輪切りにしたように見えたとしたら、それはそれで大層気味悪い物だろうから、そうでなくてよかったと常々思うシェラガであった。
そこまで思ったところで、先程ここを訪れた女性が、盆に乗せた何かを持ってきたことを思い出すシェラガ。入口の扉の横に置かれた盆には、白濁した液体とパンが二つ置いてあった。食事を届けてくれたという事なのだろうか。
もっとも現在のシェラガの扱いは捕虜以下だ。先程の銀髪の女性が持ってきた食事も、どんなものか知れたものではない。とはいえ、腹ごしらえはしたかった。そこで、パンと液体に≪索≫を施すシェラガ。結果は普通のパンと牛乳だった。特段毒が入っている様子もない。
シェラガはパンに噛り付き、牛乳を一気に胃袋に流し込んだ。
かつては豪奢であっただろう調度に囲まれた小さい書斎で、書物を読んでいた老人は、ノックの音に対して入出を許可した。
金をふんだんに使用した装飾の施された木製の本棚には、用途に分かれた書籍が整理されて格納されている。だがその殆どは、古代帝国の関連の書籍だった。無論、まだシェラガがデイエン大学の教授であった頃に執筆した書籍も収められている。
ゆっくりと片開きの扉が引かれ、一人の長身の青年が一歩部屋に歩み出ると、傅く。
黒い装束になめし皮で作られた胸当てと肩当て、股当てを装備した男は、老人の許可で顔を上げ、報告を始める。老人は、部屋着のローブのままだったが、それに羞恥を示すでもなく、また青年もそれを意識することはなかった。
「先般の遺跡への侵入者は、無事捕縛致しました」
老人は禿げ上がった頭頂部の、申し訳程度に残る髪を撫でつけ、顎鬚を触りながら頷いた。だが、青年を一瞥することなく、書籍に目を落としている。
「して、その者の正体はわかったのか?」
「おそらく、デイエンの考古学者、シェラガ=ノンと思われます」
一瞬の間のあと、老人は一度、本棚に目を移す。だが、直ぐに手元の本に目を落とした。
「ふむ。片田舎の考古学者か。名前は聞き及んでおる。だが、所詮只の学者であろう? そんな男がよく儂の屋敷に侵入できたものよ」
「そのことなのですが、不可解な点が幾つかございます」
あまり関心のない様子で書物から目を離さずに話を聞いていた老人は、初めて書物から視線を上げ、己の右下に控える男を見た。
老人……トリカは、不確定要素や不安要素を大層嫌悪していた。それ故、彼の元に報告に訪れた兵士から吸い上げるべきは、結果が明確化されている内容のみにしたかった。彼は、不確定要素のまま報告をする者には、強い叱責を与えたものだった。
「世の中には、どうしても不確定要素や不安要素は存在する。だが、それは大自然など、人間の叡智の届かない所にのみあるべきだ。人間の管理下の不確定要素は極力排除されるべき」
と。
だが、このカヴィンという男は、トリカに仕えてかなりの期間になる。
老人の記憶に間違いがなければ、それこそ、老人の愛する孫娘が生まれる前から、彼の命令を、時には非情に貫徹し、時には彼が望んだ内容以上の結果を推測と行動から導き出し、彼をバックアップした。
その男が、不確定要素を好まぬトリカの耳に、その得た情報の裏も取らずに伝えることが、どれほど重大な可能性を秘めた事なのかを、彼は感じ取っていた。
「申してみよ」
不機嫌さを隠さず、しかし彼の側近への信頼を示すため、トリカは男へ発言を促す。
男は、一度頭を垂れた後、声のトーンを落とし、ゆっくりと口を開いた。
「この男は、現在遺跡内の巨大生物用の檻に監禁しております。また、暴れないように交戦意欲低下の術を施し、更に体の自由を奪う術を重ねて施してございます」
トリカは目を見開く。
彼からすれば、凡そ信じられない内容だったからだ。
このシェラガ=ノンという田舎の考古学者は、屋敷内に侵入したのではなく、その先の遺跡の大穴に到達、内部へと侵入したという。屋敷内には、高機動兵士を各方面に数名ずつ配置している。その包囲網を潜り抜けたということなのか?
「この男がデイエンの考古学者、シェラガ=ノンである可能性は非常に高く、かつ、このシェラガという男は、閣下の考古学者確保プロジェクトのメンバーに含まれております」
「……そのシェラガという男は、一体何者なのだ」
その問いに、兵士は答えられなかった。このシェラガという男は、全てにおいて規格外なのだ。何者、というにしても彼の特徴を端的に示した言葉が思い浮かばない。
トリカが、己の敷地にて発見された古代帝国の遺跡を調査するために招聘する、高名な学者たちの一覧に名を連ねていながら、その一方でこの遺跡に単独で侵入を図り、高機動兵士達の追跡を振り切り、遺跡の大穴で何百人もの高機動兵士たちにより、やっと捕縛されるほどの圧倒的な戦闘能力を持っていた。だが、無駄な抵抗をすることなく、高機動兵士に拘束される様は、只の戦闘能力にのみ訴える戦闘狂ではない。それでいて四肢で健在なのは右腕のみという、異常な容姿。情報源は定かではないが、その男シェラガは、常時宙に浮いているという。だが、このシェラガという男、下級貴族たちによって一度は捕えられ、彼らと共に亡き者にされそうになっているともいう。高機動兵士数名と互角以上の戦闘を行なえるこの男が、だ。
この地にゲストとして招かれているはずなのに、なぜか殺されそうになる男。
シェラガという男の本質は愚か、目的もまったく掴めない。
「……捕縛、いや、保護はしているのだな。遺跡のほうで」
「……はい」
不確定要素の余りの多さに不機嫌さを隠さないトリカだったが、これだけ異常な男が捕縛されたのであれば、ぜひ会ってみたい。そう思っていた。
カヴィンは、トリカの表現の訂正を聞き、そのようにシェラガと思しき男と接する必要があるのだと心得た。
「儂も遺跡に行こう。馬車を準備せよ」
男は再び頭を垂れると、トリカの書斎から立ち去った。
トリカが遺跡に到着したのは、彼の私兵隊長カヴィンが馬車を準備し、トリカ邸を出立して四日ほど後の事だった。
トリカは、世の人間が思うトリカ邸での生活はしていない。つまり、広大な土地を囲うように建造された、かつての軍の施設にはその身は置いていないという事だ。
彼はテキイセ城の崩壊後、デイエンに移住したテキイセ貴族達の移住の誘いを断り、町外れにある小さな屋敷に居を移した。それは、あたかも自分の行動を周囲の人間に悟られないように身を隠しているようですらあった。
だが、周囲の人間、とりわけデイエン貴族たちは、トリカのその行動を不審には思わなかった。
その理由は、テキイセからデイエンへの転居が、物理的にも精神的にも多大の労力を伴うものだったからだ。もはや体力的にも権勢的にも全盛期を過ぎた老貴族が、デイエンへの転居を実施に移すことは現実問題として難しく、例え劣悪な環境にあったとしてもテキイセに残留する可能性が十分に考えられた。その為、トリカのテキイセ内転居も予期された行動であり、今更眼中になかった事ということもある。
そして、もう一つ。
トリカは、自身が野心家ではないという印象を、周囲の権力者たちに根付かせることに成功していたからだ。
その為、頑なともいえるテキイセ残留についても、半ば憐れみの目で見られていたのは間違いない。実際、デイエン貴族は、デイエンの地に移らないトリカを『死に損ないの死に場所探し』として重要視せず、テキイセ貴族は『裏切り者に牙を剥けぬ益にも害にもならぬ者』として捨て置いた。
実際、容姿を見る限りでは相当に高齢。この高齢な老人にあってなお、野心を持つとは周囲の人間は思わなかったに違いなかった。
持って生まれたとしても、その見栄を極楽浄土に持って行くのは恥ずかしい。平穏無事にその一生を終えること。
それこそが彼にとって至上命題。周囲の者達は、そう勝手に思い込んでいた。
だが、彼の野心は、強い炎として心の中心で燃え盛っていた。それは、その灼熱によって自身をも燃やしてしまいかねない程の強い物だった。
トリカの乗る馬車は、屋敷に入る際も特段の手続きを行う様子なく、開いた屋敷の鉄の扉の中に流れ込んでいく。実質、文字通り入り口の役目しか果たしていない建造物なので、所有者であるトリカは無論のこと、建物を警護する者達も、そこまで侵入者に警戒しているようには見えないのも無理のないことかもしれない。取られるものは何もない。トリカ当人ですらそう思っている節があった。
テキイセ貴族達を偽り、世捨て人のように振る舞う今のトリカが真に恐れているのは、遺跡からの過去の巨大生物たちの出現だった。
遺跡内には、まだ無数の過去の巨大生物たちがいる。なぜ過去の巨大生物が遺跡内に跋扈するのかは不明だ。だが、その存在が古代帝国の探索に当たって大きな障害になっているのは間違いない。
古代帝国がまだ栄華を極めていた頃、過去の生物の絶滅を危惧し保護したのか、それとも、古代帝国が帝国として体を成す前に既にその場に存在していたのか。いずれにせよ、巨大生物たちも貴重な研究材料であるのには違いない。
出現した巨大生物たちが野に放たれれば、考えられないほどの犠牲が生じるだろう。巨大生物たちを排除することは、一般の人間では不可能だろう。対抗策を講じるにしても時間も金もかかる。そのような甚大な被害が一人の老貴族の趣味によってなされたとなれば、糾弾は免れない。そうなっては、トリカが遺跡を目指す事自体が、間接的に世に仇成す事だと思われてしまい、彼の研究が頓挫してしまう。何としても巨大生物を遺跡内から出してはならぬ。
その為に、遺跡への入り口を一ヶ所にし、かつそこに数百の高機動兵士を置いた。遺跡の周囲の衛兵にも五人一組の高機動兵士隊を東西南北四点に配備、万が一遺跡内の高機動兵士が討ち漏らした巨大生物が遺跡外に出てきたとしても、トリカ邸敷地内で倒せるように対応策を講じてきた。
トリカは、シェラガが遺跡内で翼竜に襲われた時の遺跡調査事業の、実質的な協賛者だった。その際のトラブルは、シェラガの活躍で最低限の被害で済んでいることをトリカは知っている。結果的にシェラガはその件で責任を負わされ、大学から放逐されたわけだが。
トリカは当時の現場の状況の詳細を聞いており、翼竜を倒せこそしなかったものの、適切な判断および指示で、被害を考えられる最小限に抑えたシェラガの能力を買っている。それ故、今回遺跡調査を行う際に、シェラガを呼んだわけだ。
だが、シェラガが参加に前向きであるという情報は聞こえてこなかった。むしろ、何のリアクションもなかったと言ってもいい。
実は、この時には、シェラガは完全にラン=サイディールを離れていた。海上で、まさにSMGとの空中戦を行なっている最中だった。
従って、遺跡調査の打診もシェラガの耳には届いておらず、彼が参加の可否を伝えることは不可能だったわけだが、それをトリカが知る由もない。
シェラガの最初の招聘に失敗したトリカだったが、シェラガの考古学者としての能力は捨て難かった。今回招聘している学者の約半数はシェラガの同志であり、その半数は彼の弟子でもある。それ故、調査の途中でも連絡が取れ次第、シェラガを調査隊に組み込む予定だった。
しかし、最初の段階でシェラガを招聘しようとした私兵隊は、他に招聘し、既に遺跡内に入った学者たちの保護の任に当たっており、実質トリカの代弁者としてシェラガの元を訪れる者が準備できなかった。
そこでトリカは、彼に借金のある下級貴族を雇い、シェラガを招待しようとした。成功報酬は借金の帳消し。貴族ならば、せめて最低限の礼節を以てゲストをもてなしてくれるに違いない。そう思ってのトリカの依頼だった。
だが、そこでトリカの予期せぬ事が起きた。下級は所詮下級でしかない、というレベルの残念な事故だ。
トリカの派遣した伝達者は、下級貴族のリーダーに、シェラガの『招聘』を依頼した。
ところが、彼らは貴族独特の解釈で、招聘を連行と解した。貴族が平民を『招聘』することは、彼らには理解できなかった。納得出来ないのではなく、理解が出来なかったのだ。それ故、彼らには、トリカからの招聘の旨をシェラガに伝え、シェラガの身の安全を確保し、その移動に同行するという行動選択肢は、最初からなかった。
下級貴族たちは、貴族特有の表現と、増長したテキイセ貴族の平民を見下す独特の感情から、兎に角シェラガ=ノンという男を、生死を問わずトリカの前に引きずり出すことを至上命題とした。
この事故は、ワーナ達貴族の偏った思考が引き起こした事故ではあるのだが、実は、この偏った思考こそが、テキイセ貴族が堕落した主要因である。しかしながら、それを見越せなかったトリカにも責任の一端はあるのかもしれない。言い換えれば、下級貴族は想像以上に愚かだった、というだけの話なのだが。
トリカより一日早くテキイセ入りしていたカヴィンは、不思議な噂を耳にする。それは、巨大生物の檻に、片手と上半身だけの幽霊が出現するというものだった。
カヴィンは首を傾げる。
この巨大生物の檻は、彼がトリカの命により整備をさせたもの。この地にそのような縁は全くない。だが、人の噂は当たらずとも遠からず。そのような噂になる大元の出来事があるはず。
そう踏んだ彼は、檻を訪れた。
彼の目の前で奇異な現象は発生している様子はない。だが、彼が鉄の扉を押し開けた瞬間、驚くべき光景を目の当たりにする。何と、巨大生物の檻の上部を、剣を持った上半身と右腕だけの怪物が浮遊しているのだ。
歴戦の勇士といえども、戦闘を行った経験は対人間のみ。怪物を相手にしたことはない。だが、彼は得体のしれぬ存在に恐怖しながらも、果敢に戦闘を挑んだ。
カヴィンは、自身の右手中指に嵌めてある、赤い指輪を軽く撫でる。すると、指輪を嵌めた指に、チクリと痛みが走った。だが、その痛みが準備完了を伝える合図だ。
カヴィンは懐に持つ小太刀を右手で逆手に構え、腰を屈めると跳躍した。
突然出現した敵に、怪物は驚いているようだった。
指輪の力で大幅に機動力の増したカヴィンからすれば、一瞬で到達できる距離と高度。怪物の背後に回ったカヴィンの小太刀は、確実に怪物の首筋を捉えようとしていた。
だが、怪物は突然反転し、持っていた剣で小太刀の一撃を弾くと、怪物とは思えぬ台詞を口走った。
「何をするんだ!」
何をするのか、だと? 過去の栄光にしがみついた遺跡の亡霊が、出現場所を間違えて、巨大生物の檻の中で徘徊し、考古学者たちを震え上がらせている。そんな場違いな存在の分際で、何をするのか、だと? しかも、一丁前に驚いた表情など浮かべおって。
カヴィンは、その怪物のあまりにも頓珍漢な言い草に腹を立てた。
いや、言い草に腹を立てたというより、その発言をしながら、一撃必殺のカヴィンの一撃を凌いだ、怪物の態度に腹を立てたというべきだろうか。
カヴィンの全力の一撃を軽々いなしておきながら、さも驚きました、と言っているのだから。カヴィンが自身をコケにされたと感じても無理はないのかもしれない。
だが、この時カヴィンは気づいていない。
本来であれば、彼の必殺の一撃を凌ぐ正体不明の敵に対して覚えるべき感情は、恐怖だ。ところが、彼自身は殆ど恐怖を覚えていない。
この怪物に、眼前に出現した敵を排除しようという殺気がなかったからだ。
巨大生物の檻の上部をふわふわと浮かぶ、下半身と左腕のない怪物が、必殺の初撃を回避して、次の一撃に備えようと、床の部分に素早く移動する様は、カヴィンの闘争心に火をつけた。それは紛れもなく、戦闘に慣れた実力者の動きそのものだったからだ。
「化け物め、俺を挑発していやがる」
檻上層部に浮遊するカヴィンは口角を上げる。眉間には深い皺が刻まれるが、それはもう、先程までの得体のしれぬ者に対する不安感によるものとは別物だった。
彼の生まれ持った戦士としての本能が、目の前の強敵に歓びを覚えていた。彼の本能は、彼の理性よりも先に、目の前の敵の正体を悟っていたのかもしれない。
「行くぞ、化け物! この檻は古代の巨大生物が捕獲された時に、生態調査を行なう為の飼育施設だ。巨大生物が暴れても逃げられない程度の強度はあるはずだ。
そこまでの戦闘になると思えんが、この施設自体も複数確認されている。仮に今後の運用に耐えられなくとも大勢に影響はない。もっとも、例えお前が全力で暴れた所でこの檻には傷一つつかないだろうがな」
檻の下部で剣を構える怪物は、そんなカヴィンの言葉に対し、いささか困ったような表情を浮かべていた。
「……野郎、バカにしやがって。俺じゃ、お前を愉しませられないってのか。いいだろう。瞠目せよ!」
逆手に構えた小太刀の他に、腰に矯めてあった鞘の鐺からもう一振りの小太刀を取り出すカヴィン。先程逆手に構えていた小太刀を順手に持ち直す。鐺から出した、鍔のない小太刀の方が若干短いか。それを逆手に構え、左前の構えを取る。ちょうど、盾を構えた騎士の様か。
上空から襲い掛かるカヴィン。直線的に敵を捕らえず、怪物から見て右前方から左後方に擦り抜けるように、左手に収まる逆手の小太刀の一撃が、擦り抜けざまに怪物の頸部を狙う。
隻腕の怪物は剣を立て、小太刀の一撃をいなすが、それとほぼ同時のタイミングで、左後方に抜けたカヴィンが身を返し、右手の小太刀を怪物の後頚部に突き立てようとする。
いつの間にか順手に持っていた小太刀を逆手に持ち替えていたのだ。
先程の、右手の小太刀を順手に持ち替えた動作は、攻撃対象に、右手の小太刀の軌道が順手のものであると意識させる為のフェイントだった。
捉えた!
カヴィンはそう思った。
だが、目の前の怪物は信じられない動きを見せた。
青白い光が怪物を縁取るように覆うと、カヴィンの小太刀の射程圏外に一気に離脱したのだ。そして、一瞬離れた怪物は向き直り、袈裟懸けに斬りかかってきた。その速度はカヴィンを大きく上回っている。
カヴィンは瞠目すると同時に、彼も奥の手を使う事を決意した。彼の中では、指輪の力は、反則だった。だが、怪物のこの動きには指輪を使わざるを得ない。
指輪のスイッチは入っている。後は、カヴィン自身が発動の意志を持ち、力を籠めるだけだ。そして、今がその時だ。
カヴィンの体を、光の膜が覆う。その光の膜は、怪物の光とは違う、薄紫。
重々しい金属音が牢の中にこだまする。
互いの一撃が、互いに決定打にならず、刃同士が押し合う。怪物の剣はカヴィンの左の刃で受け止める形になるが、流石に左腕一本では支えきれず、右腕の刃を添えることで互角の競り合いとなった。
「化け物め、やりおる……!」
カヴィンは指輪を使ってなお、自分と互角の敵に性的興奮にも似た快楽を覚えた。
隻腕の怪物も、自身と同じで、想像以上のカヴィンの強さに、驚きを隠せないでいるようだ。
だが、それがカヴィンには、堪らなく心地いい。
元々、彼の周囲にいる兵士で、彼と互角の戦いが出来る者は存在しなかった。ところが、彼の主であるトリカが、遺跡から発見したこの指輪は、装着者の身体能力を大幅に向上させた。それを用いた兵士たちは軒並み彼を上回った。
『高機動兵士』。
トリカは、指輪を装着し、能力を引き上げた兵士たちをそう呼んだ。彼もその呼称には賛成だった。
本人たちの力量とはまた違うところで、戦闘力の引き上げが可能。指輪の効果が表れれば、瞬発力、攻撃力、防御力は、軒並み五倍近くの上昇。それは、トリカの私設部隊にとってはこの上ない強みとなる。どんな凡人であれ、指輪を使えばあっという間に身体能力大幅アップの超人の出来上がりだからだ。
カヴィン自身も喜んだ。自分が本気を出しても倒せない相手が容易に作れる。それは、彼自身の鍛錬にも少なからず影響を及ぼすことになる。
だが、即効性のある物、簡易性の優れた物には、必ず問題が付きまとう。
この指輪が外部に流出すれば、現在の他国に対するアドバンテージ以上に、自国にとっての脅威となるだろう。そして、指輪を持った者が数名徒党を組み、反旗を翻せば、トリカの周囲は混乱をきたすだろう。
だからこそ、彼は好まざる指輪を使い、他の指輪の戦士以上の力を手に入れ、トリカの剣となり盾とならなければならない。
彼は、指輪による身体能力向上と共に、もう一つの特殊な技能を身に着けた。
それは、限りなくおとぎ話に近い能力。
だが、習得さえすれば、更に戦闘が有利に進められ、かつ人々を蹂躙する事さえ容易な能力。指輪を使える特定の人間の中で、更に限られた人間が使う事の出来る、悪魔の能力。
「……まさか実戦でこれを使うことになるとは思わなかったぞ。褒めてやるぞ、化け物!」
カヴィンから歓喜の表情が消えた。
同時に、二本の小太刀の合わさった部分に、薄紫色の光の珠が出現する。まさに水晶のような輝きを持つそれは、ゆっくりと膨張しながら、色を濃くしていく。カヴィンには、目の前の光の珠に向かい、周囲から風が集まっているように感じられた。それは決して勘違いではない。カヴィンの前髪と隻腕の怪物の前髪を優しく揺らす。
怪物は何かを叫び、突き飛ばすように鍔迫り合いを終え、カヴィンと距離を取った。それはまるで、見えない足があるかのような、しっかりとしたバックステップだった。
「距離をとっても無駄だ! 食らえ、≪火炎矢≫!」
カヴィンがそう叫んだ次の瞬間、重ねた刃の中にできた薄紫の光の珠から、無数の炎の矢が打ち出された。それは、弓で射られた矢よりも速く、怪物の元に殺到する。
仕留めた!
カヴィンはそう思った。だが、怪物はまたしても驚きのパフォーマンスを見せる。
再び光の膜に覆われた怪物は、なんと炎の矢を全て斬り飛ばしたのだ。怪物の足もとに転がり、ジュッという音を立て、消滅する。
まさか、実体のない矢を斬り飛ばすとは。流石幽霊の剣。しかし、幽霊だとしても生前は相当腕が立ったに違いない。
「……ま、マナ術かよ」
カヴィンは確かに聞いた。怪物の口から洩れた言葉が、彼の使った技を指していることを。
青年戦士は、正解だ、とニヤリと笑うと、更に術を使い続ける。今度は、一度青年戦士の周囲に、数百本はあろうかという炎の矢が浮かび上がった。
「術にも造詣があるのか、化け物! ならば次はどうだ? 躱せるものなら躱してみろ!」
カヴィンの絶叫は、彼の周囲に漂う大量の炎の矢の発射命令となった。次々と怪物に向かって突き進む炎の矢。あまりにも大量に発生した炎の矢は、お互いがお互いにぶつかり、隻腕の怪物に向かって飛んでいくにつれて、巨大な炎の壁に変異し、襲い掛かった。
「隊長! 止めてください!」
カヴィンは、荒れ狂う劫火の中で、自身の名を呼ぶ別の声を微かに耳にした。
だが、時すでに遅く、炎の巨大な壁と化した無数の矢たちは隻腕の怪物に直撃、轟音と共に怪物を燃やし尽くしているはずだった。
爆風にも似た熱い風が髪を焼き、頬を焦がす。それは扉から戦闘の中止を叫んだ女性高機動兵士ケザンをも巻き込んだ。
腕で顔を覆い、熱風が直接気管に入らないようにしながら、ケザンは見ていた。マナ術と呼ばれる、自然現象を操る不思議な現象を。
だが、次の瞬間、カヴィンとケザンは目を見張る事になる。
先程まで隻腕の怪物がいた場所で激しく燃え盛る炎は、突然渦を巻き始め、渦の中心へと吸い込まれ始めた。
数瞬の後、渦の中心には、隻腕の怪物が全く無傷でそこにいた。
隻腕の怪物は、驚愕し、穴が開くように見つめる二人の戦士の視線から逃れるように顔を背けると、恥ずかしそうに小さくゲップをした。
「昨日は大変失礼を致しました。しかしまさか、先生自らご足労頂けるとは」
決して華麗ではないが造りはしっかりとした、腰の下までの長さのあるコートは、深緑の生地が褪せた印象を与え、それが老人のかつての栄華と現在の没落の様子を物語っていた。膝上までの深緑のズボン、ひざ下からの白いタイツは、老人の肌は露出させていないが、大分筋肉が削げてしまった印象を与える。貴族の正装である。
「いえ、私も知らぬこととはいえ、トリカ卿のお住まいに無断で侵入する形になってしまい、申し訳ない」
老人は、別に住んでいるわけではないのですがのう、とカラカラ笑った。
シェラガの装いはといえば、侵入時に身に着けていた物は返却されなかった。
『高機動兵士』と同じく、黒装束に肩当て、胸当て、股当てという服装。先発隊として遺跡に入っている学者群も同じ服を支給されたとのこと。
個人的には、お守りとしての願掛けもあり、ズエブとミラノの作ってくれた鎖帷子を身に着けたかったが、それも後ほど返却するので、今回の遺跡調査はこの装束で行ってほしいという説明を受ける。
少し考えたが、彼は同意することにした。
装束の作成者の意図には、遺跡の中にいる巨大生物類が嫌がる造りが成されているという説明はあったが、正直な所、臭いも色も特段何か施されているようには感じられない。だが、強く推されたのが主な理由だ。そして、鎖帷子は最悪人間との戦闘を考えていた装備であった為、巨大生物類の攻撃に関しては、効果はほぼないに等しいだろうという読みも、シェラガが支給された装束に袖を通すことにした一つの理由である。
シェラガが通されたのは、遺跡内にある別の石室。
先般のカヴィンとの戦闘で使用された巨大生物の檻とはまた別なもので、応接室として用いられている、かなりのリラクゼーション効果が期待できる造りになっていた。
石室の広さから見ても、花瓶や石像など、過剰とも思える量と質の調度が並ぶこの部屋には、足元に絨毯が敷き詰められている。その絨毯の毛足は長く柔らかい。その場で横になって転寝しようものなら、あっという間に夢の中だろう。
壁には緻密な加工が施された燭台が無数に設置され、リラックスできる絶妙な光を放っている。換気は一体どのように行なっているのかは皆目見当もつかなかったが、いつまでも燭台の火が灯っているところを見ると、空気の交換自体は行われているようで、特に息苦しくなることもない。それらの効果も相まって、彼らのいるその空間が、実は石室であることは直ぐに頭の中から消えて行った。
シェラガには、この応接に置かれている調度や照明は、古代帝国末期の装飾技巧を模して造られた物であることがすぐにわかった。その造りは精巧でよく研究されている印象を受ける。トリカの為人については非常に謎の多い人物ではあったが、古代帝国について造詣が深いだけでなく、更なる研究を自身で行うなど、人生の終盤に差し掛かってなお、研究に精力的だという話もシェラガの耳に入っている。
だが、その快適な空間で繰り広げられるのは、古代帝国の研究を通じて温められる親交ではなく、凄まじい嘘合戦だった。
取り交わされる嘘は、大前提からして真実とは異なっているレベルの物であり、それでいてすぐには矛盾が指摘できない程に綿密に細部から設定されたものだった。恐ろしい事に、緻密な虚言癖者たちは、その瞬間に考えた事象を、相手がどう解釈しても前後の事実関係に齟齬のない微妙かつ適切な表現を用い、滞りなく言葉を紡いでいることだった。
まずはシェラガ。
望まぬ戦闘巧者の主張は、全ての事象において、あくまで不可抗力だった。
広大な土地の四方を縁取るようにとり囲んだ屋敷が、トリカの所有物であり、そこに無断で侵入を試みたことも自覚はある。また、トリカの私兵である『高機動兵士』に、止むに止まれぬ理由があったとはいえ、危害を加えたこともわかっている。
だが、それもこれもすべて、一連の流れで止むに止まれずやってしまったというスタンスは崩さないでいる。おかしいとは思いながら、そうせざるを得なかった、という風に。
元々のトリカ邸への侵入の目的は、下級貴族が自分をなぜここに連れてきたのか調べ、その真相を究明する事だったのだが、それはどうやらトリカの招待の指示の結果であり、その過程で残念な事故が起こり、結果あのような事件となってしまったことはわかった。
だが、そこで得られた疑問、つまり、遺跡の出土品を集めるトリカとは、一体どのような人物なのか、という点と、そのトリカが、最終的に何を目指して遺跡調査を行っているのか、という点を調べ上げるという目的については、完全に暈している。
無論、それがSMGの特派員としての仕事とも被っていることは、おくびにも出していない。もっとも、彼自身もその認識は決して強いものではなかったが。
そして、この壮絶な嘘合戦にもある程度対応できたのは、レベセスにあらかじめこの老人の事を聞いておいたからかもしれない。レベセスから得たトリカ評は、余りに漠然としていたが、それだけに彼自身最悪の場合に備え行動していたことが吉と出た。
そして、トリカ。
彼もまた、自身の屋敷に忍び込んだのがシェラガであることを知り、かつ、捕えた上で、手の者に巨大生物の檻に軟禁させた。そして、高機動兵士を退けるほどの戦闘力の源を図るためにカヴィンを差し向けた。カヴィンがその裏付けを得るための時間を設けるため、屋敷入りを一日だけ遅らせたのも意図されたことだった。そして、カヴィンがシェラガに戦闘を仕掛ける口実のため、巨大生物の檻の怪現象の噂も立てさせた。
無論、トリカの指示は微々細々にまで及んでいたわけではない。
だが、老人はカヴィンとその他数名の有能な配下の者に、とある指示を出していた。
その指示とは、他の貴族など自分に仇成しそうな存在が放った、所謂隠密行動を行なう者の様な、公に処分しては対外関係に色々とひずみを生じさせるような人間を捕縛、監禁した場合、『必要に応じて』『知らないうちに』抹殺せよ、というものだった。
そして今回、トリカはカヴィンより報告を受けた後、己が今まで仕込んでいた細工に加え、カヴィンを己の指示の下、駒として適切に動かすことにより、必要に応じて第三者に何の疑いも持たれぬまま、シェラガ抹殺をも考えていたというから、抜け目のない老人である。
そして、互いが互いを看破していた。
話の内容と様々な現状、世界情勢、物理法則から逆算し、特定できる範囲を割り出し、その推論を元に嘘の中から真実を紡いでいく。
相手の言葉を検算し、時節を並び替え、人の思考を並び替えることにより、相手の嘘から真実を吸い出し記憶に留める。その一方で、自分の嘘は相手に気取られぬように矛盾ない物を紡いでいかなければならなかった。そして、自分の嘘を相手が察していると気づいている事も隠さなければならなかった。
シェラガは、この遺跡に侵入して何かを探ろうとしていたことを、トリカが感づいていることを察していた。そしてトリカも、場合によっては捕縛されたシェラガを必要に応じて処刑するつもりであった事を、シェラガ自身が気づいていることを察していたのだ。だが、それを公にしては、この先の関係はない。ここは相手を生かし合うことでやり過ごすしかない。それもお互いにわかっている。
傍にいたカヴィンが後に語ったのは、双方の弁者があまりにお互いの言い分をすんなり理解しすぎるので気味が悪かった、という事だった。
一を聞いて十を知る切れ者同士の会話は、実際には一を聞かずして虚数を紡ぐ恐ろしいやり取りだった。
だが、当人同士は白々しい事この上ない。
トリカの横で立膝をつき深々と首を垂れるカヴィンにすら気取られない、二人の化かし合いは、この上なく穏便に行われていた。
シェラガは、かつてない恐怖を感じていた。
単身ではどうやっても勝てないであろう、ガイガロスの王ガイロンと対峙した時に感じた恐怖とは違う、得体のしれない者への恐怖。
談笑をしながら、相手が後ろを向いた瞬間に、その破顔を崩さずに喉笛を掻き切り、心臓に剣を突き立てることが出来る男。そして、その行為の後、微笑みながら舞踏会へと戻っていける男。
顔面の筋肉が織りなす表情は、腹の内とは全く独立していて、自身の行為は目的へのプロセスに過ぎず、そこに私情は皆無。
いや、そもそも私情という概念があるかどうかすら不明。
目的が一致すれば共闘も辞さないが、目的が乖離した瞬間に、まるで息をするのと同じように自然に、目の前のかつての仲間を排除する事が可能な男。
シェラガはそんな不気味さをピリピリと感じていた。
トリカは背後に魔物を従えている。魔物に憑かれ、操られているのではなく、背後に控えている筈の魔物を、完全に支配下に置いている。
穏やかな笑みを浮かべ、愛想よく話すトリカの容姿を、シェラガはそう評している。好々爺たろうとする彼の背後から、後光が射すことはなかった。
シェラガは、一刻も早くこの老人との話を切り上げて、この地を去りたかった。戦士としての強さ、学者としての賢さとは違う能力を測る尺度として言うなら、あざとさ。その項目が突出しているよう感じられ、関わりたくないという気持ちが鎌首を擡げ始めていた。
だが、そういうわけにもいかない。
目的はここでの老人との嘘の付き合いではない。この先にある遺跡の探索と、SMGがトリカに覚えている不信感の根拠の確認とその対処。
流石にこの老齢の老人がそこまで古代帝国に執着するのには、やはり何かあるはずだ。更に、ワーナ達下級貴族たちを謀殺した嫌疑もある。現在は事故として扱われているが、どうしてもシェラガにはそれが事故であるとは思えなかった。そして、SMGの持つ不信感とシェラガの持つ不信感は、どこかで繋がっているような気がする。
それら解明するまでは、遺跡の捜索隊を抜けるわけにはいかなかった。
そして、魔王になれない男は、やはりここでも、自身の古代帝国に対する好奇心を排斥することができなかったのだ。少なくとも、古代帝国の遺跡を調査するという共通の目的はある。
シェラガは、体感何十時間という長いやり取りの後、支給された部屋に戻り、ベッドに倒れ込んだ。少し動かすだけで活動過多になった(気味の)左脳が右脳と擦れて、耳から目から火が出そうなほどに熱を持っていた。
今日はゆっくり寝よう。
シェラガはそう思う。
だが、トリカの目的は大よそ推測がついた。あの指輪の正体も、いずれわかるはずだ。こちらの聖剣についても恐らくトリカは感づいているに違いない。だが、会話の流れから、自分たちには使えないことも推測している筈だ。
暫定とはいえ、シェラガに貸しておけば、誰か知らぬ者の所に行くこともない。
そう考え、今だけはシェラガに預けておく。そう思っているに違いなかった。
星辰体(アストラル=ボディ)についてはどうだろうか。だが、この話題については、触れられたとしてもシェラガもほとんど何もわかっていないだけに、何とも答えようがなかった。彼の吸い込んだ魔法の炎は、明らかにシェラガに満腹感を与えていた。それはトリカもわかっているようだったが、そこについては質問が出なかった。答えられないのもわかっているからなのだろうが。それに、彼自身もその飽満感を『満腹感』だとは思いたくなかった。味覚的に楽しめなかった食事は、彼の中では食事にカウントしたくなかったのだ。仮に、その後の会食で全く食が進まなかったのが、今回の『満腹感』が原因だったとしても。
明日の午後遺跡に出立。明後日の早朝には先発隊と合流し、遺跡の調査をしながら、奥へと進行する。
数多く交わされた言葉の中で、恐らくそれだけが真実だった。
何とか書き上げました。
まだ修正が入るかもしれませんが、とりあえず引っ越しの為PCはしまってしまうので、スマホでちまちま修正を掛けるかもしれません。
しかし、スマホでの作成は、原稿をすぐに傷だらけにしてしまうので困ってしまいます。




