レベセスの提案
謎の屋敷より一度撤収したシェラガ。
再度調査に訪れるには、情報が足りない。
情報を仕入れるために、レベセスの元を訪れます。
ペンは、剣のようには踊らない。
頭で考えた内容を綴り、認めていく作業は、彼にとって得手であるとは言い難かった。それでも彼の作る文書は国家機密文書の清書として使用に耐えうる程のクオリティではあるのだが。
頭を掻き、コーヒーを啜り、たまに紙を丸め、思い浮かんだ内容を形にするのに、どうしても発生するタイムラグに少しずつもどかしさを積み重ねながら、レベセスは文書を綴る。
「……剣を振るっていれば、イメージしているものが文書として完成する。そんな便利な機械があれば、幾らでも金は積むのだがな」
妻帯者となったレベセスは、本来ラン=サイディール国軍テキイセ治安維持隊の施設である宿舎の一室で寝泊りをすることは無くなっていたが、未だ書斎として使用していた。
それは、対外的な要因は特になく、彼自身の都合だけだった。単純に、彼自身が仕事を家に持ち帰る事はしたくなかったが、かといって、実務室での作業も嫌だった。ただそれだけの話だ。
テキイセ治安維持隊副隊長のレベセスには、当然実務室を与えられている。しかしながら、そこで作業することは勿論の事、そこに立ち入る事さえあまり好んではいなかった。実務室内に置かれた豪華な調度や重厚な室内の雰囲気が、彼にとって息苦しさを感じさせる枷以外の何物でもなかったからだ。
無論、それらの調度は、彼自身が集めたものではない。
かつては首都として機能していたテキイセの近衛隊が、宿舎として用いていたこの施設の実務室は、歴代の近衛隊長の自室として使用されていた。実際のところ、彼らはここに寝泊まりもしていたようだ。
その時代の貴族によって構成されていた近衛隊上層部は、正規の給金以外に、近衛隊で準備する装備の納入業者からの賄賂で潤っており、ともすると給金の十数倍の収入になったというから、如何に軍閥貴族たちが羽振りの良い暮らしをしていたか、想像に難くない。今となっては、個人的な趣味として調度を納めさせたのか、賄賂で潤った私財にて購入したのか知る由もないが、この実務室の調度は、ある意味軍閥貴族の夢の跡ともいえるかもしれない。そして、先人の偉業をそれなりに価値のあるものだと評価していたレベセスは、直ぐにそれを取り払うことはしなかった。無論、不要だという頭はあったが、如何せん処分するのには気が引けたのだ。
報告書の完成に目途が立ち、伸びをしながら、ペンをペン立てに戻そうとするレベセス。
剣を鞘に戻すより、ペン先をペン立てに戻すほうがよほど気を遣う。
それは単純に、レベセスが他の人間に比べ、ペンよりは剣を扱うほうが好きで、使い慣れているだけだという事だ。
彼は決して人を傷つけるのが好きな訳ではない。
単純に『傷つける道具』としてペンと剣を比較した場合、剣は確かに相手を傷つけることに軸を置いている道具だ。それに対し、ペンは相手を傷つける事を目的とした道具ではない。
だが、それはあくまで使用者に依る。
ペンは剣以上に人を傷つけることもままある。それも不特定多数の人間を。
剣は対象を決めて攻撃できるが、あくまで視界に入っている人間だけだ。だが、ペンは不特定多数に対して攻撃を仕掛けることが可能だ。とある戦争では、禁止された水溶毒が用いられた。居住地の飲料水となる河川の上流で使用された結果、不特定多数の人間が死んだ。戦闘員は勿論の事、非戦闘員である女子供も、だ。それゆえ、無差別殺人の道具として、毒そのものの使用は再徹底されることになる。
だが、ペンはそうはいかない。
言論を統制することは悪だという風潮が、現在は非常に強い。
それは、言論を弾圧することが、悪の権力者が自身を不利に置かぬ為の監視方法としては、最も即効性のあるものであるという認識がされているからだ。
悪の権力者に対する者たちは、言いたいことを言えない世の中はおかしい、という主張で様々な活動を行ってきたわけだが、実は、言いたいことをいう事が、そのまま不特定多数の他者に対しての攻撃になる可能性を秘めていることはなかなか言及されず、従って認識されない。
使う者によっては、ペンは剣よりもより獰猛な殺戮の道具になるという事だ。
だが、それは中々人民に受け入れられることはない。ペンでの弾圧、虐殺、処刑は人に直接的なイメージを与えないからだ。それは、直接財布を開くことによる支払いは自分の懐を痛めている認識はあるが、給与から差し引かれてしまえば、その支払いが実感できないのと似ている。
人は目の前で誰にでもわかる形で示されない限りは、その内容がどれほどに悪であろうとも認識しようとはしない。それ故、ペンにより施された思想は刷り込みとして人々の中に浸透していき、いつの間にか、排他的な危険思想を作り出すこともままある。
そして、王から子供まで幅広い括りの人々に対して統一認識が成されない物は、中々一つの風潮として定着しない。
認識されない力ほど恐ろしい物はない。
それゆえ、行き過ぎる言論の自由に対しては、彼は強い警戒心を持っている。
「……俺にとっては剣よりペンのほうがとてつもなく恐ろしい兵器に思えるのだがな」
そういうと、ペンを鋭く窓に向けて投げつけた。
うわおっ! という悲鳴が聞こえ、まるで鋭利な獲物のように飛来するペンを、眉間に刺さろうとする直前のところで受け止める男。
レベセスの放った、恐らく弩弓よりも遥かに速い羽の弾丸は、窓の外に浮遊する男の人差指と中指とで挟まれ、その動きを止めていた。
「お前が、ペンが苦手なのはよーくわかった。だがな、ペンを剣のように使うのはどうかと思うぞ。お前のペンは常人の剣より遥かに強い」
「……何度も言わせるな。窓は、窓であり入り口ではない」
「危ないだろう。ガガロに《天空翔》を教わっていなかったら、五階から落ちてけがをしたかもしれないじゃないか」
「……《天空翔》も、窓を入り口にするための浮遊術ではない」
「だってさ、入口には管理人がいてさ」
「……お前みたいな奴を、宿舎に侵入させないための管理人だ。彼は正当な仕事をしている」
レベセスは、窓の外に浮かぶシェラガを一瞥することなく、部屋の後片付けを始めた。
書類の束を引き出しにしまうと、窓の外でふわふわと浮いているシェラガの手からペンをもぎ取り、ペン立てに戻した。そのまま燭台の火を吹き消し、部屋から出て行く。
「食事処に行くぞ。それとどこかで顔を洗え」
恐らく世界一攻撃力が高いであろうペンを受け止めた時、ペン先に付着しているインクがシェラガの顔に無数に付着し、黒子のようになっているのを鏡で見たシェラガは愕然とした。
老マスターの元、食事処は、いつも通りに営業していた。
違うのは『黄金の看板娘』フアルがいない事だけだったが、今回のフアルの不在はシェラガを不安にすることは全くなかった。
彼の最強の仲間の一人が、家族を上げて面倒を見てくれている。それが彼にとって絶大な安心感となっていた。
彼女にはもう一人の命が宿っている。
それは彼の子ではない。恐らく、彼女が幽閉される前に愛した者との子だろう。
だが、彼はそれでよいと思っていた。その子も含め、彼はガイガロスの姫を守っていくと決めた。
最強の友人は、それでもその子はシェラガの子だ、と言ってくれた。自分の思い込みだけではなく、仲間も彼の意志を認めてくれた。それが、無頓着な彼にとっても無二の喜びとして感じられた。
レベセスは、いつも彼らが注文する肉350のステーキを食しながら、シェラガの話を無言で聞いていた。彼の話を聞き終わった後、ゆっくりと双眸を閉じ、頷くような仕草をした。
「まあ、お前らしいといえばお前らしいな。大変だとは思うが、お前ならば何とかするか」
レベセスが考えていたのは、現在の事ではない。
シェラガが恐らく剣を置いてからずっと後の時代にまで想いを馳せる。
齢四百年の爬虫類人と、たかだか寿命が八十年の哺乳類人。同じ哺乳類人同士、同じ時代を共にする伴侶であっても、様々な齟齬が発生するだろうし、不満も出るだろう。出ないというのは嘘に違いない。
ましてや、種族の違う伴侶となれば尚更のこと。
生活習慣や風習に始まり、果ては異種族ゆえの生理的なトラブルもあるだろう。
だが。
それでも、シェラガなら何とかする。
レベセスにはそんな気がした。
「……不満か?」
レベセスの表情から、一瞬浮かんだ懸案を敏感に感じ取ったシェラガ。
そして、シェラガの僅かな表情の変化をレベセスは見逃さない。
「……正直に言おう」
と、レベセスは前置きした。
「不満というより、心配な側面が強い。だが、お前という人間を見ていると、人間という枠組みが酷くちっぽけなものに見えてくる。その枠組みを下らない存在とは思わないが、人間故持ち得る様々な柵が、お前にとっては不可能ではなくなっている。
だが、困難な物であることには違いなく、これから発生するだろう障壁は、誰でもないお前自身が越えていかねばならん」
シェラガは一瞬視線を上げたが、それを誤魔化すように、ステーキを口に運ぶ。
「障壁の性質は俺にも想像がつかん。だが、俺もズエブと同じだ。協力は惜しまんつもりだ」
シェラガは無言だった。だが、視線を合わせぬまま、口角を上げてニヤリと笑った。
中の琥珀色の液体を飲み干した後、テーブルに置かれた瓶を持ち上げ、傾けるレベセス。自分のグラスを再度琥珀色の液体で満たすと、対面のシェラガのグラスにも液体を注いだ。
「お前がここに来たのはその報告だけではないだろう」
シェラガは、古代帝国の遺跡ツアーの客として訪れた、今は亡きワーナや、彼女の周りにいた下級貴族の話、テキイセの外れにある故人名義の巨大な中庭のある屋敷について、順を追って話していった。
トリカ=サイディールとはどのような人物なのか。
その不可思議な屋敷について、一体何のために建造、あるいは現存しているのか。
その辺がシェラガの興味の的だった。
だが、レベセスが返してきた答えは、彼が予測していたものとは全く異なっていた。
「シェラガも、術の習得をしろ。まずはそれからだと思うぞ」
「術?」
「そうだ。
通常、お前のような職業の人間はパーティを組むだろう。調査班から食料班、測量班、護衛班。通常はそういう役割を担った人間が、隊長の指示によって動くのだろう? それは軍も変わらない。
むしろ、組織として役割分担をして一つの『大戦略』、すなわち目標に向かって活動するという点では、軍も遺跡調査隊も同じだ。
だが、お前の場合、その辺はすべて一人でこなしてしまっている。
こなせること自体は素晴らしい事ではある。殆どの人間はそれができないのだからな。
だが、それ故お前の望む調査形態についていける人間も非常に少ないのも現状だ。大人数での活動は、恐らくお前の持ち味を殺してしまうことになるだろう。しいて言えば、隊と一線を画す場所でお前の上げてくる情報を分析する、そういったブレインの存在は大いに有効だろうが。
周囲はお前の能力についていけない。だが、お前自身の能力にも不足はある。
周囲がお前のレベルに合わせることは不可能だ。であれば、お前自身がもっとスキルを身に着ける必要もあるだろう」
シェラガは口を動かすのを止め、徐にレベセスの顔を見据えた。
「俺が、術? 魔法みたいなものか? そんなもの存在するのか? それに俺にできるのか?」
レベセスは口に含んだウイスキーを思わず吹き出しそうになった。
できるのか、だと? 聖剣の力を用いているとはいえ、通常の人間の三十倍から五十倍の能力を引き出し、聖剣を使うだけでは不可能な浮遊術を身に着け、恐らく神の領域であろうアストラル=ボディすら手に入れた男が、術ができるのか、だと?
自分の才能に対する余りの無頓着さに、レベセスは怒り、嫉妬すら覚える。
人の一生をかけても習得が不可能なそれぞれの技を、ほぼ数年で身に着けてしまっているこの男は、末恐ろしい存在ではある。
時代が時代なら、魔王として世界を席巻することも可能だったかもしれない。
だが、そこまで想像したところで、どう考えてもシェラガの性格上、魔王という存在にはなりえない事に気付いた。
こと男には、そこまでの欲がない。
人間の持つ欲をすべて、考古学に必要な『知的好奇心』に振り分けてしまっているからだ。
人には欲がある。
欲には、人より良く思われたい、扱われたいと思う欲から、全ての存在を自分の思うままにしたいと思う欲まで、主体や規模は様々だ。
その中には、『自分を楽な環境に置きたい』というものもある。それはいわば怠惰とも言われるものに直結するが、この男には、その欲すら知的好奇心に振り分けてしまっている感がある。
(この男は、考古学に明け暮れたいが為に、永遠の命を求めるかもしれんが、少なくとも人に害なす魔王にはなるまい)
そう考えると、シェラガという男が、改めて酷く面白い人間に感じられ、同時に非常に危険を孕んだ人間に思えてならなかった。
(この男は、余りに無防備すぎる。能力のありすぎる人間は、様々な人間に疎まれる。それゆえ謀略に巻き込まれ表舞台から退出していく者も多い。何とか守ってやりたいものだ)
レベセスはそう思った。
「……お前以上の適任者を、俺は知らない。
お前、そもそも大きな勘違いをしていないか? お前が今できることは、普通の人間はまず間違いなくできないぞ。
俺も、浮遊はできるが、せいぜい落下速度を緩める程度。上昇しようとしたら相当に体に負担を強いる」
無頓着な考古学者は、戦友に言われた言葉をすぐには理解できなかったようだ。
聖剣を使えない人間がいるのはわかる。浮遊術は、ガイガロス人なら皆使えるようだが、人間で使える人間はそうはいないかもしれない。ただ、習得できないものではない。習得しておけば、何かの役に立つだろうに、習得しない人の気がしれない。
シェラガの認識はその程度の物だった。
「……そんなもんなのか。
いずれにせよ、術は覚えられるものなら覚えたい。どうすればいい?」
シェラガは、明後日以降に詰所を訪れるよう指示された。
「後、今お前から受けた質問については、少し時間をくれ。俺なりに調べてみる。調べている間、お前は術の訓練に明け暮れる、というわけだ。非常に効率的だとは思わんか? 持つべき者は友だよな? ん?」
レベセスは悪戯っぽくニヤリと笑った。
シェラガは、レベセスの言葉の意図を理解するのに若干の時間を要したが、ふっと表情を緩めると、マスターに声を掛ける。
「マスター、今日の食事代は俺の方に回してください」
厨房でカクテルを作っていたマスターは、無言で頷く。だが顎鬚と口髭で読み取りづらい彼の表情も、今回ばかりは口角が上がっているのを隠すには至らない。
彼は、言外でのシェラガとレベセスのやり取りを楽しんでいるのだ。
「ラン=サイディール国近衛隊中将様も、お小遣い制ですかね?」
たまらずレベセスは弾けるように笑い出す。
「他人事のように言えるのも今のうちだぞ、シェラガ! 女ってのは男を支配下に置きたがる! だが、その波に乗ってさえいれば、航海≪人生≫はうまく行く。
先代の将軍が言っていた。男は船だ。子供は船長だ。そして、女は海だ」
どうも、この男はたまに自分には理解できない事をいきなり言い出す。
シェラガは目を白黒させながら、鉄板の上の最後の一切れを頬張った。




