真の敵
とりあえず捕縛されてみたシェラガ。その結果、テキイセ内のとある屋敷に連行されます。そこで不可思議な屋敷と建造物を目撃します。
屋敷の所有者、王族の末裔、トリカ卿の名前が出てきます。トリカ卿の目的とは一体?
苦痛だった。
死んだ振りではない。
気を失った振り。
寝た振りならば、相手が少し大きな衝撃を与えたり音を立てたりした時に、今目を覚ました体の演技をすれば角は立つまい。もっとも、それは寝ていないのに寝ている振りをしていたという事がばれないというだけの話で、シェラガの考えている本来の目的は達しないし、それどころか寝た振りそのものも意味がなくなるのだが。
かといって、死んだ振りは正直したくなかった。
死んでいるということはどう扱われても痛みを感じないということ。どこかに入れて持ち運びをしようとした場合、器に入らなければ腕を折ったり足を落とされたりという可能性もないとは言えない。
無論、そうされる前に暴れれば用は足りるのだが、やはりそれも死んだ振りをする意味がない。それどころか、討ち取った証ならば耳だけ、あるいは首だけ持って行かれる可能性もある。
そういう意味では気を失った振りは微妙だ。どのタイミングで意識を取り戻すか。意識を取り戻してからの最初のリアクションは何にすればいい?
だが、生きている前提で向こうがこちらを取り扱ってくれれば、それほど神経質にならなくてもよいだろう。彼ら下級貴族たちは、命は取らずに楽をしてシェラガを移動させたいに違いなかった。
何の為に?
それを把握してからでも動き出すのは遅くない。それに、恐らく彼らが黒幕の所に自然に連れて行ってくれるだろう。万が一直接黒幕が姿を見せずとも、下級貴族や連れて行かれた先での人物の様々な言動で、黒幕を推測するヒントは得られるはずだ。
彼らの行動を見ている限り、本来隠密行動をとるべき人間の行動ではない。どちらかというと、そういった謀略には疎い人間たちのように見て取れる。ならば、何のフェイクも入れずに目的地に行ってくれるはずだ。
そんな悠長な事を考えてはいたが、誘拐犯たちのあまりの無能さに愕然とした。
下級貴族達が、人質は気を失っていると思い込んでいるのはよい。しかし、気を失っていれば痛みを感じないとでも思ったのだろうか。ましてや、人質の輸送を『無傷』で『迅速に』行おうという意思は皆無の様だった。
その扱いは、人質を生かしておく意志があるとは微塵も思えないほどに酷いもので、特に人質の荷台への積載の乱暴さは、目も当てられぬほどの酷さだった。
投げるように荷車に放られた人質シェラガは、まずは荷車の角に激しく頭を打ち付けられた。
更に、下級貴族たちは、間髪入れずに、荷車に横たわったシェラガの上に、自分たちの荷物を放り投げるように積載。その量たるやとても八人分の旅行者の量とは思えないほど。
無論、目的地までの道路の選定は、悪路などお構いなしの最短コース。
強い日差しが、直接シェラガや荷物をこれでもかと焼いたが、その暑さたるや悲鳴を上げたうえで失神しても誰も責められないような状況だった。
無造作に山積みにされた荷物は、何度となく崩落し地面に落ちる。積み荷の雪崩に巻き込まれ、シェラガが地面に落とされたのは、一度や二度ではない。
再積載時には、積み方など考えすに、ただ次から次へと上に積まれるだけなので、荷物の積まれ方に応じて人形ですらあり得ないような変な姿勢をさせられた。
ここまで来ると、下級貴族の面々は、シェラガが気を失った振りをしているのを知っていて、嫌がらせをしているとしか思えない状態だった。
「お前らいい加減にしろ! 気を失っている人質というのは、元気だからこそ人質の意味があるんだよ! そんな無茶苦茶したら大事な人質が死んじまうじゃないか!」
涙目のシェラガの口から、その怒りのセリフが何度出かかった事か。
これほどに杜撰で幼稚な誘拐劇に付き合うくらいなら、下級貴族のうちの一人を締め上げて黒幕を聞き出すほうが楽に違いなかった。
……だが、それでも彼らはまごう事なく真剣に取り組んでいた。
それがシェラガの気持ちを我慢させた。
もっとも、結局下級貴族たちを偽ろうとしているのだから、第三者的に見ればシェラガの持つ悪意性は、『無頓着ゆえの無意識の悪意』と比較しても、五分五分と言ってもよいだろう。いや、下手をするとシェラガのほうが上かもしれない。
なぜなら、彼を騙そうとした人たちの、ある意味純朴な心を利用して、逆に相手の親玉に攻め込んで、場合によってはそのまま決着をつけてやろうという心積りだからだ。
「ひょっとしたら貴族の子供たちが人質になっているかもしれなかった。その可能性が捨てきれない以上、誰も悲しまない方法を採るならば、俺があえて捕まってあげて、俺を捕まえるように指示した依頼者の所に連れて行ってもらいさえすれば、彼らは『依頼者』との契約は履行したことになる。そして、その『依頼者』と会いたい俺も、俺に会いたい『依頼者』も最短のスケジュールで会うことが可能ってことだよな。
会いたい者同士が最短で出会えるなんて、なんていい方法なのだろうな。その後の話は、当然俺と『依頼者』との直接交渉だ。契約を履行した彼らに非は全くない筈」
そういってニヤリと笑って見せたシェラガの表情は、どう見ても大悪党のそれだったという。
気を失った振りをしたシェラガが、およそ冒険には必要のない貴族たちの荷物や大いなる後悔と共に連れていかれたのは、テキイセの外れに建造された貴族の館だった。
落ちぶれた、というには余りに大きい屋敷の敷地内で見る景色は、シェラガには非常に違和感を伴った興味深い物として映った。
広大な土地に、過剰なほどに手の加えられた庭園。木々は切り揃えられ、歴史を感じられる彫刻が並ぶ。庭園一帯には色とりどりのバラの花が咲き乱れ、巨大な噴水は美しい虹を周囲に紡ぎ出している。
庭園の奥に広がる屋敷は、もはや王宮の佇まいを感じさせるほどに重厚な雰囲気を醸し出していた。
ラン=サイディールの王に配慮して、建物の高さこそ建設中のデイエン城よりは低かったが、建造物の規模でいえばこちらの屋敷の方が上かもしれない。
まだ小さい港町だったデイエンに居城を構えるサイディール王の城は、築城に準備すべき物資の調達が間に合わず、当面の城としての機能だけを持ち合わせた時点で転居を実施に移した。
今後遷都が完了し、様々な物資が円滑にデイエンに届くようになれば、更に城を拡充する予定ではあるらしいのだが、現時点での為政者の拠点としては最低限の要件だけは満たしていると判断されたようだ。
建築途中のデイエン城を見たこともあるシェラガには、この巨大な屋敷は非常に胡散臭いものに感じられた。
落陽の貴族の所有物にしては手入れが行き届きすぎている。これはまさに全盛期の中規模帝国の所有する庭園と屋敷のレベルに匹敵する。
ガイガロス人の王ガイロンのドラゴン化後の一撃は、町をほぼ瓦礫の山に変えた。いくら町の外れにあるとはいえ、あの威力の影響を受けなかったとは考えにくい。
ということは、この屋敷はあの戦以降に修繕されたということになる。
建築技法そのものは古くから伝わるもので、どちらかといえば居住重視というよりは、国土の境界点に軍の駐留地として設置される砦の機能を充実させた建造物だった。文字通り強兵政策の頃の名残だろう。それをどうやら改築しているようではあるが、用途がそもそも異なるものなので、全般的に改修しているはずで、その費用は再建築と同等とは言わぬまでも半分以上は掛かっている筈だ。
この壊滅的な貴族共の経済力では、この高機能な屋敷を修繕するのはほぼ不可能に近い。
それが可能なのは、遷都に応じて多額の金を受け取った遷都推進派だろうか。その推進派が何故テキイセに牙城を築く?
(思ったより遷都は解決していない問題が山積なのではないか?)
そんな考えがシェラガの頭をよぎる。十年という突貫でのハードとソフト双方の国策変更。その意図する物は一体何なのか。そして、その功罪は。
シェラガはこの城の主の顔を何とかして見てみたくなった。
恐らく謁見は叶わないだろう。
少なくとも、この荷車の行き先は、この屋敷の謁見の間でないことは間違いない。どちらかといえば直接牢の可能性の方が遥かに高い。
下級貴族共がシェラガを捕縛した理由を彼に説明してくれればよいのだが、恐らくこの様子では、彼らは依頼主から何も知らされてはいないだろう。
依頼主は何を望むのか。
聖勇者としての戦闘能力? 聖剣そのもの? それとも、考古学者としてのシェラガの知恵や知識? 最悪の思考で進むなら、シェラガそのものの存在の抹殺?
正直な所、どれを目的に考えたとしても、下級貴族たちを工作員として使う時点で、余り賢い選択だとは思えない。依頼主が落陽のテキイセ貴族ならば、人件費削減も考えられたが、この庭園を見る限りでは、依頼主が金銭的に逼迫しているとは到底思えなかった。むしろ、依頼主は、遷都に従ったデイエン貴族であるようにさえ思えた。
わからないことが多すぎる。
となれば、直接シェラガを捕えるよう指示を出した黒幕に問いかけるしかない。
その為には黒幕が誰なのかを知らねばならなかったが、確認しなければいけない内容が多すぎて、直ぐに意識を取り戻した振りをして動き始めるには時期尚早に思えた。
鉄で作られ、荘厳な装飾の施された馬車門から敷地内に入った一行は、完璧に管理された庭園を通り抜け直進する。馬車門から一直線に伸びるメインストリートを進んでいくと、青い屋根を頂きに掲げた、馬車門に勝るとも劣らない装飾の施された屋敷が立ち塞がり、その中央に巨大な金属性の観音開きの扉が鎮座する。
その扉を押し開けると、ちょうど屋敷がアーチ状のゲートと一体化した敷地への入り口となり、屋敷内に入らず、潜るようにしてその先の広大な土地へと進入することが出来る様だった。
ゲートを抜けると、眼前に広がるのはこの屋敷の中庭だ。
この屋敷には、四方を完全に建物で封じられた中庭がある。無論、中庭といってもその広さは尋常ではなく、一見して建物は遥か遠くに望めるだけなので、四方を囲まれているという理解に至るには少々時間がかかるし、その状況を理解したとしても、それが納得できるとは到底思えない。
表の庭園に比べて全くと言っていいほど手の加えられていない中庭の中心辺りに、周囲を囲む屋敷とは繋がっておらず、一見して離れと思しき建造物があった。周囲の屋敷と比べても遜色のない造りではあったが、建造物自体は、規模の小さな屋敷を二階建てにした大きさだった。その装飾が非常に豪華であるが故に、下草が生え放題になっている中庭とのギャップが、その建物を滅んだ貴族の屋敷というイメージを植え付けているのは仕方のないことなのだろうか。
下級貴族たちで組織されたシェラガ捕縛隊の面々は、誰に案内されるわけでもなく、先程の物とは比べ物にならないほどの小さな規模の扉を押し開けて通過し、荷車を牽引してその建物の中に入っていく。
建物の中は、何もなかった。
文字通りがらんどうだった。外からは二階建てのように見えた建物も、中に入ると吹き抜けになっている。壁には所々穴が開いているように見えるが、その穴も壁の模様に一体化していて、用途は全く不明だった。かろうじて二階の高さに壁に沿うように通路が作られているようだが、その目的は今の時点ではわからない。採光の窓は通路よりも少し高い位置に幾つも空いていたが、建物の風通しは極度に悪く、空気は淀み、大きく息を吸い込むことが躊躇われた。
荷車を建物の中心に止めた後、下級貴族たちは荷車の周りに立つ。下級貴族の捕縛隊の長と思われる人間が、口を開いた。
「我々の仕事はここまで。これで、我々は自由の身だ。慣れぬことをし、心も痛むが致し方あるまい」
捕縛隊の面々はお互いに顔を見合わせて、安堵の溜息をついた。
突然、周囲に低い声が響き渡る。この場にいる誰が発した物でもないそれは、声の主のいる場所を特定させないように全方位から聞こえるような気がした。
「皆様、契約の履行、ご苦労様でした」
一瞬歓喜の色を浮かべた捕縛隊の面々ではあったが、その表情は徐々に曇っていく。声の主は一向に姿を見せないのだ。
「債務の契約書は、目の前の台の上にあります。内容を確認し、本物であることをご確認いただいた後、隣にある炉にくべて焼却破棄をしていただいて結構です。その書類を破棄することで皆様は私に対する債務は無くなります」
それと同時に、一行の入ってきた入口の扉が音を立てて閉ざされた。
シェラガは、ざらりとした嫌悪感を覚え、気絶した振りを止め、起き上がる。空気が重く息苦しいが、それ以上に何か大きな悪意を感じた。ガイガロス人の王ガイロンや、聖勇者ガガロ=ドンの様な強者と向かい合った際に感じる覇気ではない、小賢しい気配。
それが一瞬どろりとした悪意を垂れ流した後、胡散霧消した。
周囲の捕縛隊の面々はシェラガが起き上がったことに驚いたが、もはや気持ちはそこにないようで、ふらふらと棚に並んでいる何枚かの契約書に近づいていく。それはあたかも、捕縛の完了しているシェラガは取るに足らない存在だし、捕縛したことそのものにも罪悪感を覚えていないようだった。
シェラガは見た。
なめし皮にインクで記載された契約書の内容を確認した後、赤黒く光を放つ炉の中の炭にくべ、満足そうな表情を浮かべながら契約書が燃えていく様を見ていた下級貴族が、突然目を見開いて一瞬喉を掻き毟るようなしぐさを見せた後、嘔吐しながらゆっくりと倒れていく様を。
八人の男女は、ほぼ同じタイミングで契約書をくべた為に、ほぼ同時に倒れ込んだ。
その様を目撃したシェラガは、荷車から飛び降り、申し訳程度に巻いてあるロープを外すと、彼らに駆け寄ろうとしたが、近づけば近づくほどに増す息苦しさに危機感を覚え、急遽換気の為に扉を開けようとした。
だが、扉は固く閉ざされ、一向に動かない。建てつけが悪いのか、あるいは鍵を掛けられているのかと思ったが、よく扉を見ると、隙間という隙間がゴムを鞣したようなもので埋められていた。
「窒息させる気か!」
この事故は意図されたものだった。依頼主は、下級貴族もろともシェラガを殺すつもりだったのか。
シェラガは数度扉に体当たりを敢行したが、扉は破れない。
換気がすぐに無理なら、少なくとも火を消すしかない。舌打ちと共に、息を止め炉に駆け寄り、炉を蹴倒す。火を消そうと、炎を上げずにくすぶる契約書を踏みつけるが、火はなかなか消えない。炉から零れ落ちた炭も赤黒く輝き、火力を弱める気配はない。
倒れた下級貴族たちが酸欠による痙攣をしだした。最初の一呼吸で意識を無くしたが、体が完全に生命活動を停止する直前だ。
「くそっ!」
だが、貴族たちの反応がシェラガに彼らが倒れた原因を教えてくれた。
この建物に入った瞬間に覚えた不快感は、建物にうっすらと充満する一酸化炭素だった。彼らが入る前から延々と焚かれていた炭のせいで大量に発生した一酸化炭素で、足元は覆い尽くされていた。だが、ある程度の身長があるせいですぐに吸い込むことこそなかったものの、徐々に体を蝕まれていたに違いはなかった。なめし皮の契約書を炉にくべたことで、炉の傍に寄っていた下級貴族は更なる一酸化炭素を吸い込むことになる。さらに燃えの悪い契約書を早く燃やそうと息を吹きかけるために顔を近づけたのも災いした。
シェラガは荷台に積まれたバックパック内の水を使い、炭の消火と契約書の消火を行なった。だが、今発生している一酸化炭素を排気しないと、いずれ自分も一酸化炭素中毒にやられてしまう。
荷台にある聖剣を手に取ると、シェラガは扉を切りつけた。だが、聖剣を発動させていない状態ではただの剣に過ぎない。
集中力が徐々に下がってくる中で、シェラガは必死に聖剣を発動させようと剣に力を集中した。気を失っては、聖剣は使えない。
だが、目の前は徐々に暗くなり、吐き気も覚え始める。集中は続けているものの、聖剣には一向に力が籠らない。
最後の力を振り絞り、扉に全力で切りかかろうとした次の瞬間、目の前に新鮮な空気が流れ込んでくる。
シェラガは、転がるように外に飛び出すことになり、自分の生存を確認すると同時に意識を失った。
シェラガが意識を取り戻したのは、建物のすぐ脇にある巨木の根本だった。
自分が倒れ込んだ場所とは違う。
即座に状況を把握しかねたシェラガは思わず飛び起きた。
彼の視線の先には、三人の男が映る。一人は、筋骨隆々ながら、実戦経験が多い事を彷彿とさせる大小傷だらけの体躯を持つ角刈りの男。一人は背が低くギョロッとした目が特徴の細身の男で、頭髪も眉も髭もまったく生えておらず、爬虫類の腹を見たような酷くぬめりとした印象を受ける。最後の一人は、色白の少年か少女か、心配そうにシェラガを覗きこんでいたのだが、飛び起きたシェラガに驚きつつも安堵の表情を向けている。彼を見守っていた白金の頭髪の人物が、少し離れた所にいる数名の男たちに報告する。
その声で男だと認識するシェラガ。
彼の言葉に応じ、ゆっくりと近づいてきたのは、シェラガが見覚えのある男だった。
角刈りで隻眼、筋骨隆々とした風貌は、この男の職がまともでないことを想像させるのには難くない。男は侮蔑の笑みを浮かべながらシェラガの傍に腰を下ろした。
「学者ぁ……、ざまぁねえな。これに懲りて、SMGの特派員を名乗るんじゃねえぞ。お前みてぇな弱っちい奴はSMGには必要ねぇんだ。とっとと辞退して俺の前から消え失せろ」
「助けてくれたのか。ありがとう……」
一瞬目を白黒させた男だったが、口元にすぐに下卑た笑みを蓄える。
「このまま見殺しにしてやろうと思ったがな、命令じゃ仕方ねえ。感謝して、傷心のままとっととどこかへ消えろ」
シェラガはその言葉には答えず、すっくと立ち上がる。まだ眩暈と頭痛は残っているが、頭を二、三度振り、建物の入り口に向かって歩き出す。
「おいおい、どこに行くんだ」
男はシェラガを追うように立ち上がると、入口の前で立ち尽くすシェラガの肩を掴んだ。
シェラガの目には、建物の奥、倒された炉と契約書の置いてあった棚、そして、八人の蹲るようにして倒れている人影が映る。
シェラガの、強く握られる拳と、苦々しく口を結ぶ表情を見た男は、茶化すように言った。
「情けねえな。お前は俺らに助けられなきゃ、ああなってたんだぜ。これに懲りて……」
「ずっと見ていたのか?」
さらにシェラガを貶めようと侮蔑の言葉を吐こうとしていた男は、思わぬシェラガの言葉に目を白黒させた。
「……な、何?」
「彼らが倒れている間、ずっと見ていたのか?」
「なんだと?」
「俺を助ける余裕があったのに、あんた等は彼らを見殺しにしたのか?」
訳が分からないとでもいうように数人の男たちは顔を見合わせる。
次の瞬間、角刈りの男の頬にシェラガの右の拳が炸裂した。男は驚いたようにシェラガの顔を見る。殴られたダメージはほぼないに違いない。それほどにシェラガと大男との体躯の差はあった。だが、今この状況下で突然殴られたことに対して、男は一瞬愕然としたようだった。その後、沸々と怒りが湧き上がってきた。
「てめえ、調子に乗りやがって!」
大男は拳で激しくシェラガを殴りつけた。シェラガは吹っ飛び、大木に叩き付けられる。
「ゴウトさん、駄目ですよ!」
シェラガの傍にいた三人以外の、屋敷近辺を調べていた男たちもその場に駆けつけ、二人の仲裁に入る。だが、何人かの男に制止されても止まりきらない大男は、更にシェラガを蹴るために右足を大きく振りかぶり、地面にある石を遠くに蹴飛ばすように振り抜いた。
だが、シェラガはその足を躱し、結果的に木を蹴飛ばすことになってしまった足を肩で担ぎ上げると、そのまま立ち上がった。ゴウトと呼ばれた大男は呻き、転倒する。だが、ただ倒れる訳ではなく、逆の足でシェラガを蹴り飛ばす。
一度分かれた二人は、別々の男たちに取り押さえられた。
「助けてもらった恩を忘れて何をしやがる!」
ゴウトは吐き捨てるとゆっくりと立ち上がった。
「おい、一度離脱するぞ。テキイセのこの館の主が何を考えているかはわからんが、ある程度の時間で奴らの様子を見に来ることは間違いない」
ゴウトはそばにいたスキンヘッドの一番身軽そうな男に耳打ちをする。
男は頷き、舌なめずりをすると、身を屈め、大地を滑るように四方を囲んだ屋敷の一番近い個所に向かい走って行った。
「学者ぁ、お前は好きにしろ。この地を去っても構わんぞ」
ゴウトの部下の男たちは、背の袋から大地の模様に近いマントを用意する。各々がそれを身に纏い、体を草に埋め込むように屈みこむと、建造物を注視した。
「……退却するんじゃないのかよ」
シェラガは、『離脱』と言われて即時退却をイメージしていたが、どうも、退路を確保しつつ現地から少し距離を取り、様子を見るらしい。
ゴウトはシェラガの言葉にふん、と鼻を鳴らしたが特段答えはしなかった。
「実は、テキイセのこの屋敷は、SMGの中でも問題視されていました」
突然耳元で囁かれたシェラガは思わず飛び退く。正体不明の存在に、ここまで気づかずに接近を許したことは、学者時代、ガイド時代を通じてなかったからだ。そして、聖勇者となったシェラガにここまで接近したのは、一見すると少女と見紛うような美しい少年だった。
飛び退いたシェラガに思わず苦笑する少年は、キマビンと名乗った。
あまり見かけない組み合わせではあるが、白い肌に白金の髪。南国の原住民のように酷く強いパーマが掛っている。そういえば、心なしか顔の造作は南国の原住民のように、鼻は少し低く鼻腔が広めで、唇が厚めにも見える。だが、それ以上に特徴的なのは、淡青色の美しい瞳だった。その眼は常に潤んでいるようで、愛くるしい表情をしている。
思わず少年の顔を見入るシェラガ。
「珍しいですよね。僕はアルビノだと言われています」
一瞬困ったような笑みを浮かべた少年だったが、口元から優しい笑みは絶えない。
彼の答えに合点がいったのか、シェラガは特段そのことに触れる事はなく、直ぐに彼を質問攻めにする。
キマビンは一瞬、リーダーのゴウトの表情を窺ったが、彼は特段反応することなく、シェラガとキマビンから視線を逸らした。
それを了解と取ったキマビンは、ゆっくりとシェラガの質問に答えていく。
SMGがこの屋敷の主を問題視する理由は、シェラガがこの屋敷に連行された時に感じた違和感と同じものだった。
落陽のテキイセ貴族にあって、ここまでの規模の屋敷や庭園を管理維持できる事は、通常ではありえない。それほどまでにテキイセの貴族たちの現状は深刻なものなのだ。
そして、この屋敷の構造と、不自然に中庭に建ち並ぶ建造物。
不自然なほどに広大な中庭には、まるで土地の周囲を囲う柵のように建造された屋敷の他、先程の惨劇が起きた建物のような建造物が数十棟点在しているという。
しかし、シェラガがそのうちの一つを見た限りでは、建造物の内部は空洞で、二階建ての高さを持ちながら、二階部分まで完全な吹き抜けになっていた。特段何かの道具が保管してあるわけでもない。
恐らく他にもあると言われる建造物の造りも同様になっているはずだ。何を目的にして建造されたのか全く不明の代物だった。
建造物の内部に入ったのはSMGでは誰もおらず、シェラガが最初であり、内部の様子についてはキマビンも驚きを隠さなかった。
双方の知識の交換によって、一行はこの屋敷について、あからさまに存在理由に対する疑惑を深めることになった。
屋敷の構造と広大な中庭については、かつての砦機能として常駐軍を置き、中庭で訓練をさせていたという事で説明がつく。
だが、吹き抜けになり中には何も置かれていない建物の存在に説明がつかない。やはり、この建物を使用して何かを執り行っているとしか考えられない。
一見すると、中庭を取り巻く屋敷と中庭内にある建造物は同じ趣向を凝らされたものとして感じられるが、精査すると建造物のほうが圧倒的に新しい。そして、若干造りが荒い。突貫で建造したという感じだ。
SMG側の長期間の調査の結果、この広大な屋敷にメイドを合わせても数名の人間しかいない事が明らかになった。
持ち主の老人は定住しているようだったが、その老人が外出する様子はない。つまり、生活の空間がこの屋敷内で閉じていることになる。
何もせずに、収入があるのかないのかわからないような人間が、これだけの屋敷や庭園を維持することなど常識的に考えて不可能だ。
となると、この屋敷の主は、必然的に非合法的な何かを行なって膨大な利益を得、生活しているであろうという結論に行き着く。
そして、この屋敷の所有者が複数名義になっているのも疑惑を深めている原因の一つだった。しかも、少し調べただけではわからない、恐らく故人であろうと思われる人物たち。
なぜこの広大な屋敷を故人名義で維持し続ける必要があるのか。
だが、その結論を裏付ける証拠は異様と言えるほどに何もなかった。それゆえ、SMGは斥候としてゴウトやキマビンを送り込んで来たらしかった。
そこに、特段シェラガの救出の意図があったかどうかについては、キマビンははぐらかした。
恐らく、彼らをここに送り込んだリーザは、恐らく動き出すだろうシェラガのバックアップを命じたに違いなかった。だが、ゴウトはまだシェラガをSMGの人間とは認めていない。どちらかというと、かつてのリーザのSMG頭領就任も面白くはなかったはずだ。
命令を無視したとなれば、SMGに戻ったゴウトは何らかの処分は免れまい。
キマビンの沈黙は、ゴウトを救っただけでなくリーザの命令の価値も落とさないという意味では、最善の選択だっただろう。
「……まあ、無理もないか。奴からすれば、俺は擬人化された赤っ恥のようなものだもんな」
キマビンの顔から表情が消える。それは、はぐらかした筈の中身が完全にシェラガに伝わっていることをシェラガの言葉から察したからだ。だが、それ以上シェラガは詮索をすることをせず、キマビンもそれ以上の反応は示さなかった。
「で、SMGはこの屋敷の実質の所有者は掴んでいるのか?」
SMGの隊と同様に身を低く屈め、気配を消したシェラガは更に尋ねる。
「所有者はわかっています。恐らく、何名もの連帯所有者のうちの一人、唯一故人ではないと断言できるのは、トリカ卿ただ一人。ラン=サイディール王の末裔ではありますが、直系ではないようです」
(そのトリカ卿とやらが、俺をここに無理やりにでも連れて来させた理由は何故なのか)
シェラガは、トリカ卿についての記憶を呼び戻そうとしてみた。しかし、テキイセでの有力貴族であるという情報しかない。
だが、トリカ卿を取り巻く様々な情報は、彼を胡散臭く見せるには十分だった。
突然、建造物に人影が現れた。その動きは華麗というより不気味なほどに速い。その人影は周囲を警戒しながら、シェラガが襲われた建造物に近づいていく。特段人目を避けるような装束などは装備していない、町人の様な居出立ちだが、その身のこなしは明らかに隠密だった。
その男は、ワーナ達下級貴族の躯が横たわる建造物の入り口の閂を外し、既に事切れている下級貴族たちを確認する。その後建造物内の一酸化炭素を換気するために扉を全開放した。
一瞬シェラガは息を飲んだが、その懸案は杞憂となる。どうやら、ゴウト一味がシェラガを救出した後、建造物の扉を元あった通りに封印していたからだ。だが、中にはシェラガはいない。少なくとも屋敷の主が意図していたことは、一つは思い通りにならなかったということだ。
シェラガ救出後更に閂までかけられているということは、やはりゴウトの一味は下級貴族を見殺しにするつもりだったのだ、と感じたシェラガは少し胸の所にむかつきを覚える。救助したところでSMGにとっては全くプラスにはならないのは明白だったが、あまりいい気持ちはしない。
「殺るか」
ゴウトが呟く。だが、シェラガは猛烈に反対する。
「殺すことはないだろう。拘束していろいろ聞き出せば用は足りる」
「学者ぁ、てめえは甘いんだよ。なんで白状した人間を生かしておく必要がある? 人質を解放するということは我々の情報を相手に与えるということなのだぞ? そんなリスクを冒すことはできん」
ゴウトの言い分は至極まっとうな内容だった。同じ殺すのでも、質問に答えない相手に苦痛を与え続けて悶死させるのと、素直に話せば楽に殺してやるという比較の場合、殺されるのは変わらないのであれば、楽に死が与えられるほうがよいに決まっている。同じ死でも、それが与えられる環境が違えば、よほどの忠誠心がない限りは簡単に口を割る。
ゴウトは隠密の捕縛指示を発する。
だが、それをシェラガは良しとせず、隠密を捕えようとするSMGの戦士たちの前に立つ。
「どけ!」
だが、この喧騒のせいでトリカ操る捕縛部隊は隠密にその存在が割れてしまったようだ。
野鼠より早く撤収した隠密は、やがて衛兵を大量に引き連れて現れるに違いなかった。
「……余計な事ばかりしやがって!」
ゴウトはもう一度シェラガを殴りつけようとするが、次はシェラガもそのまま殴られているつもりはなかった。応戦すべく構えたが、キマビンの仲裁によって、喧嘩には発展せず、ゴウトは撤収の命を下し、キマビン共々足早に立ち去った。
あとに残されたシェラガは、隠密が衛兵を連れてくるまでの僅かの時間、建造物の中を再度検め、炉を観察し、燃え残った契約書のいくつかを懐に入れた。
どうやら、先程建造物内にいたシェラガや、誘拐犯である下級貴族どもの耳に届いた声の主は、下級貴族の遺体を検めていた男の様だった。
シェラガは一瞬双眸を閉じ、遺体をそのままにして立ち去る事を詫びると、衛兵が到着すると同時にその場を離れた。




