懸念
シェラガは子を宿したフアルを、ズエブが住むラマ村へと預けます。
ズエブもその時に自分の子がいることをシェラガに告げ、シェラガは純粋にそれを喜びます。
ルイテウにてSMGとの準特派員契約を交わしたシェラガとフアルは、その日のうちにズエブの飛天龍でテキイセに戻った。
リーザはもう少し二人の滞在を望んだが、シェラガは固辞する。一刻も早く、フアルとの生活を開始したかったからだ。
遺跡にある彼女の部屋でもなければ、食事処でもない、彼女の落ち着ける場所。帰るべき所。
それを、彼はフアルと生活を共にするにあたって、最優先で共に協力して作り上げていきたいと思っていた。とはいえ、もともとはシェラガが生活していた地域だ。そうなれば、地の特徴を知るシェラガが主導でやらざるを得ない。だが、彼はそれを微塵も困難だとは思わなかった。
彼女のために何とかして早く『癒しの空間』を準備すること。それこそがシェラガのフアルにしてやれることだった。指輪でもなければ綺麗な衣服でもない、二人にとって大切な場所。それを彼女とともに作り上げること。それが今のシェラガにとって最も重要事項だった。
元々シェラガの仕事は、遺跡の調査やガイドなど、現場に出るものが殆どであった。そのため、形式上の事務所は準備していたが、実際のところは殆ど使っていない状態だった。だが、さすがにフアルと生活を共にするに当たっては、どこかに住居を持つ必要があった。
以前の彼ならば、腹が減ったら近所の川で魚を釣り、木に生る実を一つ拝借して食べた。また、眠くなれば木陰にでも行きマントに包まって眠った。そんな状態であったので、常に事務所にいることはなく、どちらかというと現場から殆ど離れずにいたのだった。
だが、さすがに新しい家族として生活する人間がいるならば、以前のようにはいかない。そこで、かつてSMGに破壊されたこともある遺跡ガイドの事務所を改装し、住居として使うことにした。
事務所の改装工事は、SMGのテキイセ現地スタッフの協力もあって比較的円滑に行われたが、冷静に考えれば、そのスタッフの中にはかつて聖剣を求めてこの事務所を破壊したメンバーも居たはずで、その者たちはどういう心境でこの事務所の改装を協力したのだろうか、というフアルの問いはもっともだった。
そんな疑問を持っていたフアルだったので、シェラガ当人よりも少し立腹気味であった彼女のSMG現地員に対する言動は、少しシェラガを悩ませた。それでもその件に関しては、誰に対しても特段怒りなどの感情は沸いてこなかった。SMGの現地スタッフに対しても、フアルについても。
文明を長いサイクルで見つめていく考古学の考察分析という作業を行うシェラガからすれば、物事の変化は必定。ただ、そこに思い入れがあるかないかの問題だ。無論その問題の比重は大きいものではあるのだが、それだけに固執してもいけないのだと、シェラガは経験上、理解していた。
感情的に許せないものはあるにせよ、許さないから何かが変わるわけでもない。
人には受け入れなければいけないものがある。それを受け入れなければ前に進むことが出来ない。それは人の死であったり、与えられた環境であったりと様々だ。
人が苦悩して受け入れていく作業を、シェラガは比較的苦しみ少なく行う事ができるのかもしれない。人は、立場が変われば行動も変わる。それを嫌というほど見せ付けられているシェラガ。彼がそう思うのも自然なことなのだろう。
「物はいつか壊れるし、なくなっていく。それが、誰の手によってなされるか、いつどのタイミングでなされるか、というだけの問題だし、仮に壊した張本人が直してくれたってそれはそれでいいと思う。ほうっておいても徐々に壊れていく物だし、それを直してくれるというのであれば、有難いことだよな」
建物の修理も大方終わり、家具やその他生活道具一式を建物の中に運び込み、位置決めをしているときにポツリと呟いたシェラガを見て、フアルはなぜか彼の背中に一抹の寂しさを覚えて思わず彼の背を覆った。
フアルが四百年かけてやっとわかってきた事を、彼は二十代にしてわかっていたという事実が、如何にシェラガが想像を絶する人生を送ってきたのかということを彼女に悟らせるのには十分だった。
シェラガは一瞬体を硬くしたが、特段それを受け入れることも拒絶することもせず、フアルが自分から離れるまでずっと動きを止めたままだった。
受け入れる行為も拒否する行為も、それは彼の言う変化だ。その変化を、今ここに見つけた少しの癒しの場で見出してしまうことで、あえて世の無常さを確認しなくてもいいではないか。
人は、幸せなときほど永遠を望み、不幸なときほど変化を望む。そして世界はそれをあざ笑うかのように変化し、悠久であり続ける。
フアルが家の外に人の気配を感じ、シェラガの背から離れるまで、どれほどの時間が経っただろうか。二人が今まさに望んでいるのはこの時間の永遠だったはずなのに。
「日帰りの遺跡ツアーのガイドをお願いしたいのですが……」
全体的にふくよかな女性が入り口から入ってくるなり声をかける。シェラガはツアーの要望を聞きながら女性の所作を観察した。
着衣は上質の素材を用いた高価なものなのだが、保存状態が非常に悪い。ともすればボロと言っても過言ではないほどに痛んでいる。そして、一見ふくよかではあるが、目の下には隈ができており、かなり憔悴した印象を受ける。
死に場所を探している……。
直感的にシェラガはそう感じた。しかし、具体的に自分が何をしたいのか、あるいは何をしていいのかあまり理解していない。そんな印象を受ける女性だった。
「お一人ですか?」
一瞬の沈黙を置いて、そうだと答える。その沈黙も、何かを見透かされたのではないかというおどおどした感じが見て取れる。
とりあえず話を聞こう。受けるか受けないかはその後考えればよい。
そう感じたシェラガは女性を中に招き入れる。入ってすぐにある応接用のソファを勧め、自らも反対側に腰掛けた。
女性はワーナと名乗った。本人はそうは言わないが、階層は下級貴族だろう。上級貴族であれば、没落の続くテキイセ内でも、まだそれなりの体裁を保っているはず。ところが、衣服も汚れ、顔には疲労の色が色濃く浮かぶこの女性にとって、気品は最後の砦だったに違いない。
話を聞くと、やはり彼女はかつての貴族で、自分たちの没落を見直すために、かつて栄華を誇りながら滅んでいった古代帝国の遺跡を見、解釈することで自分たちの気持ちを改めていこうという気になったというのだ。
シェラガは、それがすべてではないだろうという予測は立てていたが、それでもワーナの話す内容が真実と全くそぐわない内容ではないと考え、ワーナの依頼を受けることにした。
出発日を明後日に設定し、出発時間を打ち合わせ、必要な道具と適切な服装等を告げ、大体のプラン時間を伝え、ワーナは帰っていった。
「フアル。俺が外出しているときには、ラマに居てもらえないか?」
部屋を出て行くときに軽く会釈をしていく女性に対し、礼を返しながら、シェラガは呟いた。
「なんでよ? 私だって準特派員でしょ?」
フアルも微笑みながら会釈をする。だが、言葉尻は明らかに苛立ちを押さえている。
「準特派員の仕事なら、俺もフアルを連れて行くさ。というより、フアルに居てもらわないと困る。俺じゃ余り役に立たないからな。特に戦闘では」
フアルは言葉の意味を図りかね、柳眉を顰める。
「それに……」
ルイテウから戻ってから、シェラガは常に長袖のシャツとグローブ、長ズボンを着用していた。
ルイテウ屋上でのガガロとの戦闘で、彼は左腕と両足を失った。いや、失ったというのは正確な表現ではない。左腕と両足が世界の視覚から姿を消した。
実際、目には見えずとも、腕や足は触れることができる。手では何かを持つこともできるし、物を投げたりすることもできる。その時に傍から見ればどうみても、持っているものは浮いているようにしか見えないわけだが。足に至っては、立つことはもちろんのこと、走ったり跳んだりすることも可能だ。文字通り、ただ体の部位を視覚的に捉えることができないだけ、なのだ。
シェラガは、不可視の四肢を隠すため、衣服を着込んだ。そうすれば、見えないことが問題にならない。だが、それでも何かの拍子に目撃されたとき騒ぎになる可能性が高い。だからこそ、特派員の仕事の時にはフアルを連れて行きたかった。
だが、今回は単なる日帰りの遺跡ツアーだ。シェラガの頭の中では、テキイセから移動一時間、中を見るのに二時間、休憩一時間の後、移動一時間で終了する簡易プランだった。問題になるとはとても思えなかった。
それでも、シェラガはフアルを今は連れ回したくなかった。
その理由は簡単だった。
おそらく彼女ですら気付いていないだろうが、フアルは子を宿しているはず。
過去の文献から、ガイガロス人の女性が懐妊するとある身体的な特徴が出るという。フアルには最近それが見受けられるようになったのだ。
ガイガロス人は、宿した子供を体内で成長させる時期を有る程度コントロールできるという。極度の緊張状態であれば、胎内に宿しておいたまま、出産しないという選択肢もあるという逸話すらある。だが、子供の成長は遅くなるだけで継続している為、最終的には母体を犠牲にして子供がある程度成長した状態で生まれてくるのだというから、有る意味ホラーではある。
見た目は二十代ではあるが、戦友ガガロ=ドンの三倍は生きているフアル。年齢にすればほぼ四百歳だ。ガガロですら、百年超生きているというから、ガイガロス人がどれだけ長寿かわかる。そして、その殆どが幽閉であり、ガイガロスの王女として、相当に束縛が厳しい状態であったとしても、当時同族の恋人が居たとしてもおかしくない。
そんな種族の子供だ。フアルが懐妊していたとしても、いつの子供だか全く想像も付かない。もし今現在、彼女の体が出産に向けて動き出しているとすれば、それはわずかばかりとはいえ、自分が彼女に安堵感を与えることができているということ。それは好ましいことではないのか。
戸籍などないこの時代ではあるが、彼はフアルとともに歩んでいく決心をした。種族を超えて婚姻をしたとすれば、子は望めない。例え、交配は可能だったかもしれないとしても、古代帝国の遺跡の様子からなされる推測の域を出ない話で、それを今またここで研究する気にはどうしてもなれなかった。ましてや、それをフアルにぶつける事でフアルを傷つけることは目に見えている。
だが、それでもシェラガはフアルと共にいたかった。子が生まれれば、自分の子として育てればいい。人間同士の婚姻であっても、再婚であれば連れ子の可能性も有る。初婚でも、養子を迎えることもある。そう考えればなんら違和の有る話ではない。
婚姻する女が、別の男の子を宿している。
通常であれば相当に覚悟を必要とされる場面だ。そんな状態で人並に心乱されるのを客観的に見て、自分の意外な一面を見た気がして、少し新鮮な気持ちになったシェラガだった。
「なによ?」
「いや、なんでもない。けれど、頼むよ」
シェラガの恐ろしいほどにさわやかな表情を見て、いわれのない不気味さに似た決まりの悪さを覚えたフアルは、文句にもならないような文句を言いながら、ラマに移動することになった。
ラマに移動し、ズエブと再会したシェラガは、事の次第を説明する。
ズエブとは釣り合わないと言うと、元最強の単身海賊に烈火の如く怒られそうなほどの、清楚で可憐な女性がズエブの後ろに控える。彼女こそがズエブに海賊や準特派員の引退を考えさせた女性、ミラノだ。
「あらあら、すごく綺麗な方ね。ね、シェラガ。ね? ……それは若い子のほうがいいに決まっているわよねぇ?」
かの朴念仁ですら、一瞬目を奪われてしまうほどに可憐なのだから、若干の嫉妬に煽られたフアルからチクリチクリと嫌味を言われたとしても、一概にシェラガを責めるのは酷だろう。
フアルの年齢について、ズエブから詳しい話を聞いていないミラノは、当然フアルの実年齢を知る事はなく、終始フアルに対して、年下の親友のように振る舞った。それは決して悪い意味ではなく、面倒見の良い姉御のように彼女に色々と教えた。
シェラガは一瞬、フアルの実年齢について告げておくべきかとも考えたが、フアルもそんなミラノの言動に居心地の悪さを覚えている節もなく、楽しく過ごしているようだったので、特段話題に上げることなくやり過ごしたが、結果的にそれは正解だったかもしれない。
ミラノはテーブルにサラダや焼き物、パンなどを準備していくが、その過程で
「おう? お前、いつ手をつけたんだ?」
という遠慮など微塵もないズエブの発言を耳にした彼女は、ズエブの耳をつねり上げたものだった。
それを見て、やはりズエブを御すだけの事はあると納得したが、その後に聞いたミラノの実年齢を知り、更に仰天するシェラガ。フアルは種族上若く見えるが、実際は約四百歳。だが、同じ人間であっても実年齢に比べて異常に若く見える人間が居ることに驚きを隠せないようだった。
「うわ、女性の年齢って本当に見た目だけじゃわからないんだな」
というシェラガの問題発言を、今度はフアルに聞き咎められ、頬をつねり上げられる。
ゲストとホストの妻がそれぞれ伴侶をつねり上げている姿は何とも滑稽な図である。
ズエブもフアルと再会した瞬間に、フアルの懐妊に気付いたようだった。それゆえのズエブの発言だったのだが、これまたミラノには気に入らないものだったようだ。
会食は楽しく進み、予定では当日のうちにテキイセに戻る予定であったシェラガも急遽ラマのズエブ宅に一泊することになった。
雲ひとつない空に、異様に赤く大きい月が浮かんでいた。
シェラガは寝静まった深夜、寝付けずにふらりと外に出た。
森の中の一角にひっそりと建つ、かつての自分の家は、別の人間が住んでいるようだ。そこは、自分が一人で暮らしていた時よりもずっと手入れが行き届いているように見えた。幼少時に自分がつけた柱の傷が見当たらないところを見ると、すでに一度取り壊して建て直しているのかもしれない。
ラマはすでに自分の居場所ではない。だが、故郷であることに違いはない。
そんな思いを強くして、巨大な赤い月を見上げた。
ラマの村はうっそうと茂る森の中にぽっかりと開いた広場に二十数軒の小さな家が建てられ、集落の体を成している。人口も百人程度の小規模の集団であり、周囲を一望すると、村人の住居がすべて見渡せる程度のスペースに犇めき合っており、良くも悪くも隣近所との関係が近いのも特徴だ。ミラノも最初はこれほどの隣近所との距離感のない住居に住むことを躊躇ったが、思いのほか閉鎖的ではなかったので生活できているのが現状だ。
元々、ズエブの転居地にラマを紹介したのはシェラガだ。
ラマは元々自分の故郷だ。それをズエブに勧めるのは何の躊躇もなかった。だが、ラマの村人のほうがズエブを受け入れるのに少々難色を示した。良くも悪くも距離感の近い村。それは即ち排他的になりやすいことを示唆する。今回はズエブに対して同じような村の防御機能が働いた形だ。
だが、ズエブ自身が一見気難しそうでありながら器用に何でもこなし、ミラノの大らかな性質がいつしか村人たちの警戒を解いていった。
最初はほんの少し違和感をお互いに覚えたラマの村人とズエブだったが、今は完全に打ち解けていた。下手をすると生まれ育ったシェラガより村人たちとの交流は多かったかもしれない。そんな村だからこそ、懐妊しているフアルを預ける気になったのだ。
久しぶりに帰ってきた故郷ではあったが、物心付いたときからすでに親は居ない。だが、それ以上に村人全員がシェラガにとって親であり兄弟だった。だからこそ、フアルを連れてきたかったというのもあるのかもしれない。無論、彼女がガイガロスの民であることは内緒にして、である。それでも、懐妊した女性を一人で置く場合、ガイガロス人の生態を少しでも知る人間が側にいる状態とそうでない状態とでは、彼女が覚えるであろう安心感を考えればそれは火を見るより明らかだ。
背後に気配を感じ、シェラガは振り返った。
そこにはズエブが居た。
木をくりぬいて作られた杯を二つ持ったズエブは、無言で近づき、それをシェラガ手渡す。中には紫色の液体がなみなみと注がれている。
無言で杯を合わせた後、直ぐに口をつけるズエブを尻目に、一度村全体に視線を移し、ラマに、村人たちに献杯をするシェラガ。そして、少し口をつけた。
「……どうなのだ?」
ズエブの問いに一瞬戸惑いの色を見せるシェラガ。
「自分の子を宿した女を一人にするのは不安だろう? だが、安心しろ。お前がここを訪ねたのは正解だ。安心して仕事をして来い」
シェラガはもう一度月を仰ぐ。
「俺の子じゃない」
ズエブは無言で杯を煽る。しばらくの間沈黙が落ちる。
「……受け入れられるのか?」
「どうだろうな。でも、腹の子も含めて守ると決めた」
「しかし、店に出ている頃からそういう噂は聞かんぞ」
「ガイガロス人の特性として、安全になるまで体内で子を守り続ける習性がある。おそらく、フアルは幽閉される前に身篭ったのだろう。その後囚われの身になり、幾許もの時が過ぎた。奴も覚えていないはず」
ズエブは言葉を継げない。人外の存在との関係は、計り知れないつながりがある。
「けれど、その時の奴の大切な気持ちだ。それも含めて守りたかった」
ズエブはもう一度杯を煽る。そして、シェラガの肩に手を置く。
「……お前の子だよ、間違いなくな。少なくとも心はお前と共に有る」
シェラガは、ややあってにやりとした。
「親になるということは難しい。産めばいいってもんじゃない。その後にどれだけ関われるかだ。俺もそう思うようになってきた。昔はそんなことなどこれっぽっちも思わなかったのにな。不思議なものだ」
その言葉を聴き、シェラガは思わずズエブのほうを振り返る。ズエブはその瞬間シェラガとは目をあわさなかったが、心なしか微笑んでいるように見えた。
「……父親になるのか?」
言葉が口から発せられる直前、いよいよ口角がすっと上がったように感じられた。
「ああ。二ヶ月だそうだ」
シェラガは何か胸のところがジワリと温かくなるのを感じた。ズエブの事が本当にうれしいと感じた。これが幸せなのだ。
自分の欲しいものが好きなだけ買える金が有る。自分のやりたいことだけやっていればいいだけの権力がある。それらも幸せには違いない。
だが、今シェラガが欲するのはそういう幸せではない。今その瞬間、胸が温かくなるような幸せが欲しかった。
「……おめでとう」
「……ああ」
かつて敵として戦い、共に戦い、友としてある。その瞬間で関係は違えど長い間関わってきた男だ。その彼が又ひとつ幸せの瞬間を得た。それを知った時に口から出た素直な感情がそれだった。多くの言葉は必要なかった。
翌早朝、シェラガはテキイセへと旅立った。




