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界遊記外伝 ~ ファルガの父 ~  作者: かえで
SMG

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11/39

契約

シェラガとフアルがSMGとして契約します。

 リーザは、その場に居合わせなかったが、何が起きたかを全て悟っているようだった。応接室から出た直後のシェラガ達の横を通り抜けるとき、にやりとしながらぽんと肩を叩く。

 だが、それがシェラガには憎らしいほどに恥ずかしく感じられ、それを払拭するかのように激しく振り返り、リーザを睨みつけたが、その視線の先に彼女の姿はなかった。

 シェラガとフアルの二人は、リーザの指示で別々の個室に通された。後で聞いたところ、同じフロアの別の場所に一人につき一部屋ずつ準備されていたそうで、ズエブもガガロもそこに通されたらしかった。通されたといっても、自分の意志でその部屋から外出することはほぼ不可能に近かったから、実質的な軟禁だ。

 四畳半ほどのベッドのみ置かれた部屋に通されたシェラガは、背から聖剣を下ろし壁に立てかけると、思い切り伸びをした。

 地味な部屋ではあるが、床の絨毯やベッドは決して悪いものではない。花も生けていない無機質な部屋ではあったが、ベッドの奥にある窓からは、応接室ほどではないにせよ、雲海を一望できる。考え様によってはこの上ない調度品だ。

 窓の外をちらりと見たシェラガだったが、そのままベッドに倒れこんで目を閉じた。

 聖剣に魅入られてからというもの、常に全力で走り抜けてきた感じだった。何か特別のゴールテープを切ったわけではない。だが、何か大きなものに一区切りついたような気がしてならない。疲れがどっと出た気がした。ベッドに沈み込んでいく感覚が心地よかった。


 聖剣を見つけたのは、ガイガロス人の遺跡にあった、何百本とある剣の束の中だった。

 見つけた、というよりは剣自らが寄ってきた感じだった。

 遺跡を調査した時に、たまたま剣の束を遺跡の外に持ち運び、出土品を並べるテントの一角に剣の束を置いた。

 錆びた剣、装飾の施された剣、無機質なほどに武器としての側面を押し出した剣。

 聖剣は、あまたある剣の中に埋没していて、他の剣同様に埃を被り、錆を浮かせているように見えた。

 だが、シェラガが触ったその瞬間、その剣だけは光を発したように感じられた。

 周囲に居た人間も、シェラガの手元で何かが起きた、とは感じていたようだ。そのときの瞬間を見ていた人間はこう表現している。

 死んでいた剣が生き返った、と。

 その表現が適切かはわからないが、確かに手にした剣は力を得たようだった。それまで埃を被り、錆を浮かせ、刀身を半ば変色させていた剣が、突然白銀に輝く刃を取り戻し、柄や握りの部分の細かい汚れをどこかに消し去ってしまった。

 気味悪がったシェラガは、幾度となく剣を手放そうと、遺跡に戻したり、川に投げ捨てたりした。

 だが、その翌日には必ずシェラガの枕元にあった。

 普通の人間であれば、何か呪われたと錯覚し、取り乱したかもしれない。だが、あまり物事に固執しないシェラガは、捨てられないのならば、それはそれで仕方ないか、と割り切り、いつしか剣を持ち歩くようになった。

 不思議なことに、剣を鞘から抜こうとする時、シェラガは何の抵抗もなく抜けるのだが、他の人間には抜くことができなかった。

 また、シェラガが抜いた剣を他の人間に渡すと、剣を受け取った人間は急激なめまいや吐き気に襲われ、立っていることができなくなった。

 それは、どの人間にも例外なく起こった。鞘に収められている状態で柄を握ってもなんともないのに、だ。

 呪われた剣なのか、という話は何度も出た。だが、当のシェラガは特段気にしていなかった。捨てられないのは困り者だが、もともとフリーで動く考古学者の彼からすれば身を守る術は必要だった。そういう意味では、この剣は非常に重宝した。また、聖剣は特別なメンテナンスを不要とした点も、シェラガからすれば有難かった。

 実際、他の人には手にすることすら許さない剣は、シェラガが振るうと見事な切れ味を見せた。

 だが、それでも剣術を全く知らぬシェラガが剣の切れ味だけで、遺跡近辺に巣食う夜盗の類を撃退できるわけでもなく、追剥には何度も会うことにはなる。だが、剣だけは必ず彼の手元に戻ってきた。

 そして、何度もそのようなことを繰り返しているうちに、彼自身も剣の腕を上げていき、いつしか夜盗を撃退できるだけの我流剣術を身に付けていた。

 それからは、遺跡ガイドをこなしながらの独自の研究、レベセスとの邂逅、ガイガロス人の王との戦いが、彼の元をひっきりなしに訪れる。

 わずか一年足らずで壮絶な生活の変化だ。

 その目まぐるしい変化がやっと一段落した。

 なんとなくそんな気がした。やっと立ち止まって周囲を見回す余裕ができてきたのだろうか。

 シェラガはいつの間にか眠りに落ちていた。


 シェラガは夢を見た。

 何もない空間に彼は立ち尽くす。何かあるが見えないのではなく、文字通り何もない。自分が足をついている感覚もないが、ただ自分がそこにあるのは感じている。

 正面のはるか遠くから、無数の光の玉が尾を引きながら彼めがけて飛来する。そのうちの幾つかは彼のすぐ傍を通過し、一瞬彼の顔と周囲を照らして背後へと飛び去っていく。

 何本もの光の帯がシェラガの横をすり抜けては、彼の顔を照らしていったが、そのうちの一本が真正面から彼に衝突する。

 強い風に煽られたような、軽いショックを受けたシェラガは、思わず閉じた双眸をゆっくりと開く。

 そこには、美しい草原が広がっていた。

 抜けるような青い空と、風にうねる草木。はるか遠くに見える雪を被った山脈は地平線と同化して見えるが、その山脈の一部には雷雲がかかり、稲妻がほとばしっているのが見える。が、それも遠くから見る限りでは美しい風景に過ぎない。

 草原に一人の女性が立つ。見返る彼女の容姿から、草の高さは膝下ぐらいであることがわかるが、その割には大きくうねっている。

 そこに佇むのは、黄金の髪を風に優しくなびかせるフアルだった。彼女は言葉なく微笑んでいた。

 なんとなく自分が見ている光景が夢であるのはわかった。

 しかし、その夢が彼をとても幸せな気分にさせた。

 その風景は白く輝いていき、ゆっくりと消えていく。

 一抹の不安がよぎる。

 フアルが居た箇所に黒い光の粒が一瞬見えたのだ。だが、その粒は白い輝きにかき消され、シェラガはゆっくりと現実に引き戻された。

 久方ぶりのゆっくりとした目覚めだった。

 遺跡探索時の野営では、眠りも浅く微かな物音でも目が覚める。

 自宅でも、聖剣を手に入れてからは、クマレーたちSMGの襲撃を警戒して、どこか休まらない時が続いた。

 だが、その心配も今後する必要はない。それが彼を深い眠りに誘い、現実の世界に戻ってくるときも、まるで回遊魚が汽水で水に体を慣らし遡上するように、ゆっくりと夢の世界を抜けることができた。

 覚えうる限りで最も穏やかで幸福なまどろみを感じながら、ゆっくりと目を開けるシェラガ。

 と、目の前には白い肌の女性がシェラガの顔を覗き込んでいる。

「うわっ!」

 シェラガは驚きの声を上げたが、その驚きの声に女性も驚き、悲鳴を上げる。

「キャーッ!」

 その悲鳴を聞き更にシェラガも、大声を上げそうになるが、廊下を通りかかったズエブの言葉に、空気は一気に冷却した。

「何やってんだ、バカ夫婦。飯だぞ」

 

「聖剣のことで文句を言いにきた輩に飯を食わせてくれるなんて、SMGってなんていい組織なんだろうな」

 隣を歩くフアルに耳打ちするシェラガ。だが、その言葉は前を歩くズエブの耳にも届いていたらしい。

「食事会は体のいい口実だ。実際はお前らとSMGとの同盟の調印式だ」

 ズエブは振り返らずに囁く。

 SMGとの交渉が決裂すれば、ここで二人は消される。その意識が二人にあるのか、ズエブは心配だったに違いない。

 同意は形に残さねばならない。形に残したものを逸するなら、それは死を以て償わねばならない。

 最初にあれだけのプレッシャーをリーザに受け、その後フレンドリーに接することをされれば、普通の人間であればSMGに歓迎されていると思うだろう。そして、そのままその人間が調印に至ることは容易い。

 自分に反旗を翻す者をことごとく武力で潰しては、リーザは悲しんだという。

 なぜ自分に旨くあれだけの力を味方につける才能がないのか。力は財産だ。その財産をむざむざ消し去らなければいけないのか。

 リーザは心優しい。

 だが、同時に非情だ。

 彼女の目的は、SMGの最強としての存続。

 それを維持するためには、たとえ肉親であろうとも排除するだろう。必要とあらば命を奪うかもしれない。それほどの覚悟が、彼女にはある。

 組織を私物化せず、存続を最優先課題にし、そのためなら命をも惜しまぬ。

 完全な滅私。

 それは、組織に対する忠誠ではなく組織を守ることがひいてはSMGに依存し生活する者たちを守ることになる。それを知っているからだ。

 たとえ自分が気に入った者であっても、組織を害する者は排除する。そうすることが、他のSMGの者たちを守り、組織に対する忠誠をより高めるのだ。そうやって、彼女は国家を超越した組織SMGを維持してきた。只の武装商船団をここまでの超国家組織に仕上げたのだ。そして、彼女はそのやり方を継続することで、これからも統制を取っていくだろう。

 リーザの仲間に、いや、SMGという超国家組織の準構成員になることを決めるのはシェラガたちだ。

 だが、その結果によっては聖剣の勇者とガイガロス人の王族対SMGという血で血を洗う戦闘になる可能性も孕んでいる。

 味方にならないということは敵になる可能性もあるということだ。自分たちは関係ない、では済まされない。それだけの事を彼らはしてきたのだ。

 その認識がシェラガとフアルにどこまであるのか。強い力は味方にならなければ強大な敵になる。それをリーザは知っている。

 おそらく、フアルがドラゴン化し本気で壊しにかかればルイテウの浮遊大陸は簡単に消滅するだろう。聖剣の勇者のシェラガが能力をフルに引き出し戦えば、SMG自体は壊滅するだろう。だがそれは同時に、SMGがラマを攻撃する引き金にもなる。ラマやテキイセの人々も大量に死亡することになる。

 その大量殺戮の可能性を秘めた食事会なのだ。これから彼らが向かう夕食会は。

 そんなことを露ほども知らぬシェラガとフアルを見て、意見するか迷ったズエブだったが、黙って見守ることにした。

「どうせ奴らはそんな話をしたところで関係ないだろ」

 難しい表情だったズエブの口角が少し上がった。


 籠を使った屋内の球技のコートが十分に取れそうな広さが確保された食事会場には、木製の白い円卓が幾つも置かれ、様々な季節料理、世界の特産物が並んだ。

 白を基調にした部屋の壁には額のような装飾の施された大きな窓が無数に穿たれ、そこから額の中の絵画を見るように眼下の景色が見下ろせる。角度によっては、闇に浮かぶ都市の明かりが見え、また別の角度では、星の丸みが視認できる夕焼けが見え、更に別の角度からは、成層圏から宇宙へと空の色が変わっていくグラデーションを楽しむこともできた。食事会の会場は浮遊孤島ルイテウの最下部に作られ、全方位展望を可能にした、画期的な宴会場だ。後年のラン=サイディールの首都となるデイエンに店を開いた、SMGの準特派員兼シェフの男が晩年に記した手記の中で、ルイテウの宴会場は世界最高峰の宴会場であると述べているが、それは個人の好みの差異はあれ、誰しも異論を挟む余地はない。浮遊する岩石の最下層を中から削り、そこに足場を組んで作り上げたという点では、建築物としても古今例のないものである。しかしながら、それに触れている歴史的な書籍はない。それは、ルイテウそのものが現認されることが非常に稀だからだろう。

 シェラガたちが到着すると、そこには既にガガロが居た。

 ガガロもこういう席は初めてと見えて、非常に落ち着かない様子で視線を動かしていたが、シェラガたちの姿を認めて少し安堵したようだ。

 シェラガとフアルは隣り合って座り、シェラガの左隣の席にはガガロが着く。ズエブはフアルの隣に席を取ったが、それは彼なりのフアルに対する配慮だったに違いない。

「おー、すごいな。旨そうだ。いただきまーす!」

 着席するなり、食事を始めようとしたシェラガをフアルとズエブが全力で制する。

 テーブルには、特派員がいる地域の名産を用いて作られた料理が、これまたその地域の独特の器に美しく盛り付けされているのだが、シェラガにとって盛り付け方は興味の対象にはならないようだ。

「ホスト側が一人も席についていないのに何でいきなり食べようとするのよ!」

 フアルは噛み付かんばかりの勢いでシェラガを叱責するが、そういう会合への参加を拒否してきたシェラガからすれば、その場のマナーを察しろと言うのはいささか難があるだろう。

 ズエブは制するだけだったが、その後のフアルとのやり取りを見ていて、やはりこの男の神経の図太さは並じゃない、と半ば呆れ顔で眺めていた。

 フアルに注意されてからは、さすがにこっそりとつまみ食いをしようとはしなかったシェラガではあったが、料理に視線は固定されたままだ。それを見たフアルは、あからさまに幻滅した表情でシェラガから視線を逸らしたのだった。

 だが、のんびりとした空気もそこまでだった。

 観音開きの扉が開き、面識のない人間が正装で何人かゆっくりと入ってくる。

 老人が多いのは、SMGの歴史の長さを物語ってはいるが、同時に人材の不足が見て取れた。この場に同席すると言うことはそれなりの役職にいる人間ではあるのだろうが、そこには、老人と呼ばれる年齢ではあってもその中での若手がいない。列席しようとする人間は、幹部というよりは、既に元老と呼ばれる年齢だろう。案の定、テキイセの特派員であるクマレーの姿は見えない。

 その中で、一人子供が混じっている。老人の多さが異様さをかもし出してはいるが、その中で更に場違いな印象をその少年は与えていた。

 少年は、物怖じする様子もなく、決められた自分の席に立つが、他の老人同様、席につこうとしない。一度閉ざされた観音開きの扉がもう一度開いたとき、ズエブやガガロ、フアルも席から立ち上がったので、それに習ってシェラガも立ち上がる。ややあって、リーザが姿を現した。リーザは老人独特のゆっくりとした足取りでシェラガとフアルの真向かいの席に立つ。その間、周囲の時間は止まったままだった。

 リーザの着席を確認し、みな無言で席につく。

 時はまた動き出した。

 シェラガははっとした。

 彼の右斜め前、リーザの隣に腰掛ける少年は、おそらくリーザの孫に違いない。リーザほどではないが、非常に強い眼光と睥睨するオーラからは血縁を感じざるを得ない。年齢的に子供はありえないだろうが、リーザならあるいはあの年齢でも産めるかもしれない、と後日フアルに話したところフアルは笑いながらシェラガを抓りあげたという。

 シェラガの探るような視線に気づいたのか、リーザは少年を紹介する。

「彼はわたしの孫でヒータックだ。以後お見知りおきを」

 他の同席した老人たちも一瞬顔を見合わせたのをズエブは見逃さない。

 この場を使って、リーザは孫であるヒータックを頭領争いの土俵に上げるつもりだ。そして、おそらく聖剣の勇者とガイガロスの王女との準特派員契約を手土産に、頭領争いの主席の地位を内外にアピールするつもりだ。

「今回、この会を設けさせていただいたのは、隣のヒータック=トオーリが提案をしていた聖剣の入手の活動を続けていたが、この度、聖剣の入手と言う形ではなく、聖剣を使いこなす勇者の準特派員加入という形で実現した、その報告および正式な契約の場としてである。

 まずは、調印式。契約成立の祝杯を挙げさせて頂き、食事の後、聖剣の勇者の演舞の披露、という形で会は進行する」

 フアルは、今回除いているのか?

 フアルの素性を知る人間は、一瞬リーザの意図を測りかねたが、おそらくフアルの世話係であったミハルの報告を受け、フアルのガイガロスとしての力を契約に乗せてくるよりは、シェラガとセットで聖剣の勇者と言う括りにして披露するほうがよいだろうという結論に至ったと推測された。

 フアルは一瞬リーザを見るが、リーザは口角を上げるだけでそれ以上の反応はせず、淡々と話を続ける。リーザも女性だ。フアルの気持ちはわかるのだろう。

 リーザが右手を上げると、観音開きの扉がゆっくりと開き、調印用の台が会場に持ち込まれる。全体的に質素なつくりのSMGの様々な物に対して、場違いなほどに装飾の施された調印台は、リーザがもっとも嫌悪する調度である。だが、それをあえて使い続けるのが、リーザにとって『SMGの維持』が至上命題であり、他の感情を廃する手段となっていることをズエブが知るのは、また大分先の事だ。

 名を呼ばれたシェラガは、ズエブに促されるように調印台へと移動する。

 調印台に置かれた契約書は、思いのほか文面が短い。

 『この度、シェラガ=ノンとSMGは、特派員契約をここに締結する。互いを重んじ、双方の発展のために尽力し、決して争わぬよう、双方の関係を継続することを最優先事項とする』。

 如何様にでも意味の取れる文章だ。

 だが、穿ってみれば、シェラガは必要に応じて、全てを捨ててSMGに尽くせ、という意味にも捉えられる。シェラガの愛した存在を捨ててまで尽力せよと言うのはいささかハードルが高いのではないか。

 調印式の後にたずねたガガロからすれば当然の疑問だろう。ガイガロス人の真の王族の娘を娶っていながら、場合によってはSMGのためならば妻を捨てよと言われた場合、捨てなければならないような意味合いにも取れなくはない。仮にそうだとしたら、ガイガロス人であるガガロからすれば許しがたい裏切り行為に他ならない。

 だが、シェラガはこう答えた。

「この契約は、俺とフアルのセットなんだよ。俺はそういう認識だ」

 その言葉を聞くまでは、何の躊躇もなく血判調印用の短剣を使って親指を傷つけ、押印するシェラガの行動の迅速さが理解できず、ガガロは不愉快な表情を隠さなかった。

 押印した瞬間に、まばらな拍手が起きる。SMGの幹部の人間も、この調印式を手放しでは喜べないのだろう。表向きは優秀な人材と巨大な戦力の確保を祝ってこそいるが、今回はそこに頭領争いの様相も呈しているからだ。SMGが聖剣の力とガイガロスの力を手に入れたのは良いが、その力はどうしてもSMGの中でもリーザ寄りのイメージは払拭できない。

 調印後、食事会はつつがなく進行したように見えるが、水面下での探りあいは調印前とは比較にならないものとなった。

 リーザ。

 彼女は、シェラガのあまりにもドライな調印が気に入らなかった。

 例え、表面上は平静を装っていたとしても、やはり自分の応対一つ間違えればそのまま自分の故郷が消滅するかもしれないと思えば、どこかに緊張感は感じられるものだ。それはこの大海賊ズエブですらそうだった。それはわからないまま漠然と感じる恐怖の類ではなく、自分の行動如何で物事が決してしまう緊張感。それを感じることは臆病とは言わない。

 だが、それをシェラガからは感じることができなかった。

 ひょっとすると、こいつはただのうつけなのではないか?

 そんな疑問が頭を擡げてくる。

 ガガロ。

 彼は聖剣の勇者としてはまだ日が浅い。剣を抜くことができるが、その剣から力を引き出すことがまだできない。

 その彼から見れば、力を引き出せるシェラガは羨望の対象以外の何者でもなかった。

 彼が半生を費やしてきた王女フアルの探索も、シェラガの手で急激に進展した。その当の王女もシェラガに絶大な信頼を寄せている。

 彼の永きに渡る憧憬の感情はそのまま恋慕の感情へと推移する。その感情を押し殺すのに、ガガロは苦労していた。シェラガとレベセスは、自分を導いてくれた恩人だ。その恩人が、自分の恋慕の相手と恋仲になるのは、よしとしたい反面如何ともしがたい苛立ちを彼に与えた。

 『嫉妬』。

 以前の彼からは想像もできないような感情ではあるが、確かにそれは存在した。

 ズエブ。

 式の進行の円滑さが、逆にそこに渦巻く様々な感情の根が深いことを感じさせ、不気味さを覚えている。だが、その不気味さは楽しむに値するものだ。

 これからのシェラガの一挙手一投足がSMGを、果ては世界の動向を定めかねない。

 聖剣の力というより、シェラガ=ノンという一見何も考えていないように見えて実際に何も考えていない人間が、世界の均衡を崩しかねないこの状況を興味本位で見守っている状態だ。

 もはや彼にとって、世界がどうなろうとやることは変わらない。

 シェラガという海の物とも山の物ともつかない存在を、SMGが過大評価し恐怖する。世界が青年考古学者を過大評価し恐怖する。『只の漬物石』を御神体として取り扱おうとしている世界を嘲りつつ、自らもその祭りに楽しんで参加しようとしている体は拭えない。終わってみれば『シェラガらしい』ということになるのだが、その過程において彼の行動はまさに予想がつかない。それが、ズエブには面白くて仕方ない。

 調印式は日を跨ぐ事になる。食事会は夜に行われたが、演舞は日中に行われるべきだとリーザが提言したからだ。

 そして、日は変わり、いよいよ演舞の時間となった。

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