SMG
ルイテウに到着します。そして、シェラガとフアルはお互いの気持ちを確認し合います。
フアルが意識を取り戻したのは、日が高くなってからだった。
彼女の視界に飛び込んできたのは、心配そうにフアルを覗き込む女性の顔だった。
いつの間にか寝てしまったのだ、とフアルは体を起こそうとして、あまりの激痛に顔を顰める。だが、その痛みが彼女の意識をはっきりとさせた。
飛天龍に乗って、シェラガやガガロ、ズエブが助けに来てくれた。だが、嵐の中、彼らはどうなっただろうか?
体は何かに包まれてこそいるものの、その下には何も身に付けていないのは感覚でわかる。夢の中で、何か禁忌を犯してしまった気はしていたが、その記憶も徐々に戻り始めてきている。身に付けていた衣服は弾け飛んでしまったに違いない。
ついにドラゴン化してしまった。もうガイガロスの里では生きていくことはできまい。おそらく、テキイセでの生活ももう不可能だろう。そして、一度ドラゴン化をしてしまったということは、いつちょっとした感情の高まりでドラゴン化し理性を失うかもわからないということ。自分は、越えてはいけない一線を越えてしまった……。
ほんの数年だったけれど、テキイセでの生活は楽しかった。今までの人生で、ガイガロスであることは、自分にとって足枷でしかなかった。それでもやっと居場所を見つけた。
そう思っていた。
フアルは、たまたまガイガロスの姫に生れ落ちた。
それが幸せだったのかといわれると、それははなはだ疑問だ。
原因は頭髪の色。
金色の髪は、ガイガロスにとって異常と恐怖の象徴だった。確かに身体能力は高い。ガイガロス人にとってステータスとなる戦闘能力も高いだろう。だが、その高すぎる能力と凶暴性故、黄金の髪のガイガロス人は鬼子として忌み嫌われた。
姫という立場で生まれたからか、すぐに殺処分されることは無かったが、おそらく銀髪の歴代の王たちは自分たちの優勢を守るため、自分たち以上のポテンシャルを持つ黄金の子達を処分したに違いなかった。その理由は後付なのだろうが、ガイガロスに不幸を招き入れる元凶として位置づけることで、国民上げて優良種である『黄金の子』を率先して排除した。
父は王であったがために、フアルを隠そうとしたが、黄金の髪は隠せなかったが故、ガイガロスであることを隠して下野させた。
その方法は、ガイガロス人のもう一つの特徴である赤い瞳を失わせることだった。
ガイガロス人の瞳は、爬虫類や猫のように縦に切れた瞳孔こそ漆黒だが、人間の黒目に相当する部分は鮮血の赤だった。この赤い瞳こそが、人間たちの恐怖の象徴だった。
王の前にも、ガイガロス人は何度も人との交流を持とうとした。その際の手法の一つとして、ガイガロス人に対する根深い恐怖を感じさせないために瞳の色を変える技があった。
残念ながら、その技はガイガロス選民派のガイロンの時代にほぼ抹消されたため、ガガロはその技を伝承されていない。瞳の色さえ隠せてしまえば、ガイガロス人特有の上下一対ずつの巨大な犬歯も、それほど問題にはならない。フアルは下野した後も、何名かの信頼の置ける家臣と共に人間たちに混じり、ひっそりと暮らした。だが、家臣達も天寿には逆らえず、徐々にこの世を去っていく。
百年以上前に、最後の家臣が息を引き取り、彼女は住居を出た。
人間としてもガイガロスとしても恐怖の象徴を持ち合わせた姫君は、人間として生き、長い間生活をしてきたが、人間としては頑強過ぎるその体、そして長すぎる寿命は、やはり彼女自身を傷つけるものでしかなかった。
彼女が愛した者は、彼女と共にいるといつの間にか彼女の愛せなくなってしまっていた。
その原因は『老い』であり『短い寿命』だった。
彼らが持つ人としての特徴は、フアルからしてみれば、違和感のあるとしてしか受け入れられないものだった。
そして、『老い』も『短い寿命』も含め、その人間を愛する際に受け入れなければならないものであるということが、若い時期が長いガイガロスには理解できなかった。老いというもの、そして、短い寿命というものは、彼女にとっては単なる個体の劣化、弱い個体としてしか捕らえられなかった。十世代前の先祖が、普通に現役の戦士として戦場に出、共闘することがままあったガイガロスの価値観では、老いは劣化であり、死は消滅だった。
そして人々も、若さや美しさが全く衰えないフアルに対して、徐々に恐怖感を持ち始めていった。
フアルは彼らの元を去った。
最近、かつて愛した存在の子孫を目の当たりにした彼女は、個人としてではなく、族として愛することが人間の愛情の一つの形であるということが理解できるようになった。まだ見ぬ子孫や、会うことも適わぬ先祖を称え、慈しむ。死を悼み、墓を作る。個人思想が非常に強いガイガロス人にはない発想だった。
優良な個体が王となるガイガロスでは、『結果世襲』が続いていた。それは、王の子が血統を根拠にし、王や側近たちの手を借り王になるのではなく、優良な王の子は、優良な遺伝子を持つがゆえに優良であり、結果王になるというもの。無能な子は血族であっても王足りえない。だからこそ、黄金の子殺しが脈々と続いてきたのだ。フアルの父でなければ、フアルも子殺しの被害者となった可能性がなかったとはいえない。それを考えるたび、フアルは陰鬱な気持ちになるのだった。
ガイガロスで孤独であったフアルは、人間としてもまた孤独だった。
その孤独の連続は仕方のないものであったと受け入れていたはずだった。
四百年という歳月は、彼女を取り巻く人間関係を何順もさせている。彼女が愛した者は玄孫に取って代わり、彼女が愛した物は四百年たつと砂に還る。
彼女は結局一人きり。
そう割り切っていたはずだった。その瞬間を、長くとも数年の間だけ充実すればよかった。願わくはその充実が途切れぬよう数珠繋ぎに押し寄せてくれればよかった。
そして、それが今だった。
だが、ガイガロスの血は、自ら節制して作り上げてきた数年間の楽しい思い出をも掻き消してしまうのだ。ガイガロスのドラゴン化は、それほどに本人の生活を激変させるものだった。
あと何年生きなければならないのか。
そんなことを思うと、フアルはとめどなく溢れ出る涙を拭うことすらできなかった。
「フアル、どうしたの? 痛むの?」
フアルは、ただ体を震わせ、目を腕で隠しながら横に首を振った。
フアルの世話係として飛天龍に同乗しているこの女性。このとき、初めて彼女がミハルという名であることを知る。ミハルをフアルの見張りとしてつけたのは、SMG側の女性を扱う上での配慮だが、彼女にも自身がガイガロスであることは知られていない。そして、知られるわけにはいかなかった。
「フアル、大丈夫だ。これから全て解決する」
少し遠くで、聞き慣れた声がする。聞き慣れているのになぜかいつもよりも力強く頼りになるように感じた。一瞬夢かと思ったフアルだったが、今、自身がSMGの飛天龍で誘拐されている最中であることを思い出し、なぜシェラガの声がしたのかわからず、飛び起きた。
「なんだ。思ったより元気そうじゃないか。ずいぶん汗かいているな。化粧が剥げるぞ」
フアルは思わず目をごしごしこすり、涙を拭った。そして、シェラガの憎まれ口にそばにあった何かを投げつけたい衝動に駆られたが、自分の体にかけられているのがシェラガのマントであることを悟り、赤面する。
「フアル、私の服を着なさいな」
彼女にずっと付き添っていたミハルは自分の着替えを差し出す。フアルはマントを羽織ったままその服を着ると、ミハルに礼を言って立ち上がった。
操縦桿を握っているのはシェラガだった。乗っているのはシェラガとガガロ、そしてフアルに付き添っていたミハル。
中空に目を移すと、もう一機飛天龍が飛んでいる。遠巻きにだが、そこにはSMGの男たちに混じってズエブがいるのがわかった。
飛天龍に乗っているのはもともとズエブの部下たち。そして、現上司であるクマレーとの折り合いもそれほど良くはない。ズエブがSMGの飛天龍に乗り移ることにより、クマレーの思いつきの暴走をさせない為の抑止となっていた。
「良かったわね。これからルイテウに行って、頭領に話すのよ。聖剣のことを。そうすれば、あなたの恋人はこれからSMGに狙われずに済むわよ」
「こ……恋び……!!?」
慌てて否定しようとしたが、改めて自分の心に正直になってみる。
飛天龍で連れ去られているときに、助けにきたシェラガの姿を認めたときの高揚感。シェラガが飛天龍の外に放り出されようとしている時の危機感。そして、自分自身が目覚めた時に聞いた彼の声のもたらした安堵感。
そうだ。
自分はシェラガに恋をしている。シェラガの気持ちはわからない。けれど、少なくとも自分はシェラガを求めている。彼は人間。彼はいずれ老いていく。そして先に旅立つだろう。けれど、それまでの間、一緒に生きていければと思う。今までの暮らしでいい。彼らと……シェラガたちと、居られる限り共に居させて欲しい。
フアルの口元が緩む。
「……そうね」
彼女の心中を理解しないものが聞いたら、会話が成立していない呟きとしか思えないだろう。だが、彼女の中では大きく首を擡げた愛おしい感情があり、その前では会話の不成立などどうでも良かった。
「でも、あなたの恋人は器用ね。飛天龍なんて、操縦したことなどないでしょうに。少しズエブ隊長の操縦を見ていたらすぐに覚えたみたいね。操縦させてくれって言うからヒヤヒヤして見ていたけれど、戸惑ったのはほんの数分だったわね。後は旨いものね。飛天龍を操るのになかなか慣れなくて、未だに操縦させて貰えない人もいるというのに」
シェラガは、確かに何でも器用にこなす。それは間違いない。
料理を作らせれば、繊細ではないがおいしいものを数品作ってくる。掃除をさせれば、意外と凝り性のせいか期限には間に合わないのだが、掃除をした箇所に関して言えば非の打ち所がなかった。そして、最たるものは、ガイガロスの姫を探すガガロと共に旅をし、その上でフアルが王女であることを突き止めた。その前から長い間交流のある人間をそれであると疑うことは、普通の人間であればなかなか難しい。だが、器用にも情報を整理し、自分の中で抗えぬ事実として検証した上で、それをフアルの前に持ってきた。
「……そう。意外に器用なのよ、あの人は」
フアルはそういって眩しいものを見つめるように目を細めた。
「いやあ、お恥ずかしい限りで」
突然、会話に参戦してくるシェラガ。
先程の会話を全て聞かれていたのかと思い、フアルは顔が熱を帯びるのがわかる。だが、どうも全てを聞いていたわけではなく、飛天龍の操縦のくだりだけを聞いていたらしい。
「褒めていただいて恐縮ですが、どうも、俺が操縦桿を握るより、手を離しているほうが機体は安定するみたい」
シェラガは苦笑いをしながら操縦桿から両手を離し万歳する仕草を見せた。それはともするとお手上げだとでも言わんばかりだ。
一瞬の沈黙と共に顔を見合わせるフアルとミハル。ミハルは目にも留まらぬ速さで操縦桿に飛びついた。
「できないのならさっさと言いなさい!」
操縦桿を奪い取られて唖然とするシェラガに、フアルの雷が落ちた。
先ほどまでの穏やかな様子であったフアルが、突然ぷりぷりと怒り始めた。どうも、怒られているのはシェラガのようだ。ほんの数分前まで静かな時間が流れていたように見えたが、一体何が起こったのか? 不思議そうに首を傾げる隣の飛天龍の一行の中、ズエブだけは隣の飛天龍上でなされたやり取りの想像がつき、思わずにやりとするのだった。
二機の飛天龍は、幾つもの真っ白で巨大な雲の壁をかわしながらゆっくりと上昇していく。
折り重なるように眼前に広がり、力をもてあまして空に向かって幾重にも伸びていくその雲には重量感があり、あたかも飛び移っても大丈夫なのではないかと錯覚するほどだ。四方を雲に囲まれ、一向に晴れない進路に、一度もルイテウを訪れたことのないシェラガたちは、このまま雲のジャングルで遭難するのではないかという恐怖さえ覚える。
だが、終焉は突然訪れる。
一つの大きな雲の塊を飛び越えた次の瞬間に、眼前に巨大な山肌が姿を現した時、シェラガとフアルは思わず歓声を上げた。雲の切れ間から見えるその姿は、最高峰を目指し雲の中を進み続ける登山家の視界に突然飛び込んでくる頂の姿を髣髴とさせる。
搭乗者たちは、雲に視界を奪われながら飛行をしている間に飛行の高度が落ち、いつの間にか山脈の中腹に到着したのではないかと錯誤した。だが、紛れもなくここは天空。
「あれがルイテウよ」
ミハルの言葉に、やはりあれがルイテウなのだ、と一同は改めて目の前の頂を見やる。
だが、次の瞬間風が吹き、彼らの足元の雲が流れていくと、眼前に浮かぶのは巨大な岩であることを再認識せざるを得なかった。山頂に見えたのは、巨大な岩の頭頂部。河川の源流にあるような巨大な岩石がそのまま浮いている、という酷く不思議な感覚に初見の者はもちろん、何度も目の当たりにしているものでも圧倒される。
突然雲の切れ間からその巨大な姿を現したルイテウは、一同から完全に言葉を奪い去っていた。
二機の飛天龍は岩石の上部にあるハッチからルイテウ内部に帰島した。
最初は捕虜のような扱いを受ける覚悟をしていたシェラガたちだったが、SMGの対応は、来客を歓迎するホテルスタッフのようですらあった。だが、シェラガはその対応が機械的であり、居心地の悪さは感じている。一流ホテルより老舗旅館のアットホームな雰囲気を望むシェラガからすれば当然の感想だったかもしれない。
応接室に通された瞬間、思わず息を呑むシェラガとフアル。
決して広くはない応接ではあったが、その壁は巨大なガラスでできており、眼下の景色がそのまま巨大な絵画として見えるように作られている。現在はたくさんの雲の壁を掻き分けながら登ってきた直後だ。先ほどは重々しい障害物であり遮蔽物でしかなかった雲が、応接の展望窓からみると、それは質感のある白い奇跡となって見えた。雲は特定の形を持たない。それゆえ、ある瞬間に見たものは二度とは見ることができない。一瞬一瞬の景色がたとえようもない芸術作品として彼らの前に出現する、なんとも贅沢な調度品だと言えるだろう。
「気に入ったかね?」
彼らの背後から掛けられた声は優しい老婆のものだったが、シェラガはその場で座り込んでしまった。
全く初めての感覚だった。刺すような殺気はその背後に何度も受けたことがある。怒りを帯びた強い視線も受けたことはある。明らかに害なそうという視線は何度も感じたことがあった。が、それらとは全く種を異にする類のものだった。見られた瞬間、声を掛けられた瞬間に魂を握りつぶされるような感覚に襲われ、怒りも悲しみも恐怖もなく、ただ脱力しそこに座り込んだ。
「あ……、あれ、立っていられない……」
思わず呟くシェラガに、ズエブはにやりとしながら言った。
「SMG頭領リーザ=トオーリだ。さすがの聖剣の勇者たちも彼女の覇気には敵わないか」
数分後、応接には会合が持たれた。いや、会合というよりは、陳情というべきだろうか。内容は至極簡素なものだった。聖剣は譲渡したくともできないが、聖剣を使用してSMGに敵対することはしない。その代わり、聖剣を手に入れようとするためにSMGからの刺客を送り続けることはやめてほしい。クマレーにこれ以上聖剣を狙うような命令を出さないでほしい。
SMG側の出席者は、SMG頭領リーザ、テキイセ駐在員クマレー、飛天龍操縦士トヌス。ズエブはシェラガ側にもSMG側にもつかない仲裁人として話し合いに臨んだ。
「……話はわかった。だが、それはできない相談だ」
シェラガとフアルの話を聞き、ずっと目を瞑ったまま頷いていたリーザだったが、ゆっくりと口を開くと、淡々と語った。
シェラガとフアルの話を聞いている最中のリーザの様子を見る限り、ほぼ自分たちの要望を聞き入れてくれるであろうと思っていた二人にとっては予想外の回答だった。
「……害をなす気がない。それはわかった。お前さんたちの嘘偽りのない気持ちだろう。今現在の、な。
だが、その主張を入れると、無実の罪の者に危害を加えようとしたクマレーを処分しなくてはいけなくなる。だが、SMGの立場からすればクマレーはSMGの上層部からの命令に従ったにすぎん。それを処分するのは道理に反する。組織に仇成す可能性を持つ存在を事前に排除しようとするのは当然のことだからな。その命令に従おうとして、実行できなかった従順な人間を処分するなら組織としての規律を保つことはできない」
「もう俺たちを狙わないでくれって言うことがそんなに難しいことなのかよ!?」
リーザの言葉に、シェラガは言葉を荒げる。だが、その次の瞬間、射抜くようなリーザの視線はシェラガの闘争心を奪い去ってしまう。
「組織に敵対しうる強大な力の存在を黙認するわけにはいかんだろう。聖剣の力は、伝説が真実であれば、SMGにとっては十分な脅威なのだ。それだけの力を持っていて、何もしません、という言葉を鵜呑みにできるはずもない」
「では、どうすればよろしいのですか?」
フアルはシェラガとは対照的に、リーザを目の前にしても全く物怖じすることなく話している。ズエブにしてみればそれは不思議な光景だった。
厳しい目をじろりと向けるリーザ。だが、数瞬後相好を崩した。
「お前さん、人間じゃないね」
その言葉に、フアルも無表情というわけには行かなかったが、極力平静を保とうとする。
「今、その事はこの件とは何も関係はありません。私とシェラガは一体何をすればよろしいのですか?」
リーザは、突然笑い出す。その表情は心から楽しいといった感じだった。ともすると、孫の悪戯を見守る祖母のようにも見える。
「わしがクマレーに命じたのは、『SMGに対し害なしそうな存在はどのような方法でもかまわない、排除せよ』ということ。聖剣を手に入れてこいと命じたわけではない」
リーザはにやりとしながら続ける。
「そして、テキイセの特派員であるクマレーが、そこにあった聖剣を仇なす存在として認識した。聖剣を持つ者より、聖剣そのものを問題視した。ただそれだけだ。つまり、幾らお前さんたちが平和を希望しているといっても、聖剣を持っているという事実は変わらない。それはすなわちクマレーはミッションを完了していない、ということ。クマレーの代わりの人間が行き、また同様にお前さんたちを危険人物だと認識すれば、テキイセの特派員は常にお前さんたちを狙い続ける」
「そんな……」
フアルは思わず呻いた。
「解決方法はないのかよ……」
シェラガも思わず天を仰ぎ見る。
ややあって、リーザは独り言のように呟いた。
「まあ、方法がないというわけではないがな」
敢えて二人とは視線を合わせないリーザと対照的に、その場に居たズエブの口角が上がったことにシェラガは気づいたが、その意味するところは未だわからなかった。
「……お前さんたち、SMGに入らないか?」
応接室の一同は思わず仰天した。特に、トヌスとクマレーに至ってはリーザに抗議とも取れるような質問をぶつける。
「な、なぜです? どこの馬の骨ともわからぬ二人の若者をSMGに入れるなど」
リーザは笑みを浮かべながらゆっくりとトヌスとクマレーに視線を配った。だが、それは睥睨と呼ぶにふさわしかった。
トヌスとクマレーは冷水を浴びせられたかのように押し黙る。
「SMGは現在、最強の超国家組織だ。だが、そこに慢心してはいかん。常に新しい力を入れ、組織の活性化を図らねばならん。それこそが最強であり続けるための方法だ。
能力あるものは常に迎え入れ、その能力を組織のためにフルに活用してもらうべきだ。
わしも、今でこそ頭領をしておるが、わしより優れていると自負する者あらば、いつでもわしの替わりに頭領として立ってもよいぞ。お前さんたちも、そのまま燻っているタマではあるまい?」
リーザの人心掌握術は、いつ目の当たりにしても高いレベルの技術だと、ズエブは痛感する。一海賊であったズエブを一度SMGに入れたのもこの言葉だ。そして、抜けた後もSMGに対して敵対することなく、準特派員としてのスタンスを維持できるのもリーザの提案あってこそだ。
SMGの圧倒的な戦力で考えればズエブという個人を潰すのはたやすい。それこそ飛天龍を大量動員し、ズエブの住む村ごと焼き払ってしまえばそれで済む。だが、ズエブと戦って幾らかは被害が出るには違いない。ズエブの戦力はそれだけのものがある。であれば、配下に置かずとも、敵対されることはない状況を作ればよい。
その方法が、契約特派員。
対象を直下におかずとも、自分の斜め下に有能な人材を確保しておく。それこそがリーザがSMGという組織において頭領として存続できた要因の一つであることは間違いない。
「どうだ、シェラガ。フアル。
無論、ずっとルイテウにいろというわけではない。テキイセのSMGの詰め所に居て、仕事をしろということでもない。ただ、一枚契約書を交わすだけだ。たまに、お前さんたちのその才気煥発さを貸してくれるだけでいい。それで、今までの懸案は全て消える」
いよいよズエブのニヤニヤが止まらない。シェラガとフアルを一気にSMGに引き込み、準特派員として自分の傘下に入れようという、リーザの触手が一気に二人に向かって伸び始めた。
もう、シェラガもフアルも受けるしかない。受けなければここから生きて出られる保証はない。受ければ、たまにあるかないかの依頼をこなすだけで、各地のSMGの特派員との情報の共有もできるし、SMGがバックに居ればそれだけで色々と事が進めやすくなる。特に世界各地を旅して遺跡を廻りたいと思っているシェラガからすれば、この上ないメリットだ。
フアルは思わずシェラガの横顔を見つめる。彼女はシェラガが悩むと思ったようだ。だが、シェラガの回答はあっさりしたものだった。
「わかった。その話、受けるよ。ただし、フアルは巻き込まないでやってくれないか?」
「なんでよ!」
シェラガの言葉に思わず叫ぶフアル。
「どうしてあなたは自分だけで抱え込もうとするの? 少しは私にも背負わせてよ!」
シェラガは唖然とした。フアルが怒り出す意味がわからなかったのだ。突然泣き出す乳飲み子のように、全くフアルの気持ちが理解できない、といったように思わずフアルの顔を凝視し、その後周囲の人間の表情から必死に状況を読み取ろうとした。
だが、クマレーとトヌスは、リーザのもたらした急展開についていけず、ズエブは口角を上げてそこに佇んでいるだけだった。
「……お前さん、女の決意を無にするんじゃないよ」
今までの演技とは異なる、本気のリーザの叱責に鬼気迫るものを感じたシェラガは、もう一度フアルの顔を見た。
リーザは席を立つと、ゆっくりと応接室から出て行く。それに従い、クマレーとトヌスも部屋を後にする。ズエブはそのまま残っていようとしたが、無言のリーザに杖でひっぱたかれ、名残惜しそうに応接室を後にする。
応接室にフアルと二人残されたシェラガは、何か自分の意図しないところで大きな奔流に巻き込まれたような、このまま流れてしまっていいのかという大きな不安に駆られ始めた。だが、その不安が実際に何なのかは、今の彼にはわからない。
「フアル……」
フアルはじっとシェラガの目を見据え、一ミリたりとも視線を逸らそうとはしない。
とてつもなく長い一瞬が過ぎ、フアルの唇から吐息が漏れる。フアルの潤んだ瞳がシェラガの視線を捉えて離さない。
「私は……、あなたと共にいたいの……」
フアルの言葉を呼び水として、シェラガの脳裏に、かつてのフアルが何人もよぎる。おそらく、それは過去にシェラガが彼女から話を聞いた際に脳裏で生成され、何度も流された映像だ。過去のフアルの悲しみや苦しみは、幾度となくシェラガの心で再生され、心に深く刻み込まれていた。
「悪いな、フアル」
フアルはぎくりとした。その可能性がなかったとは言いがたい。いや、むしろ今までそうならなかった事はなかったはずだった。
いつも通り。
それゆえ、期待するのをやめた、はずだった。
どんなに自分は若いつもりであっても、人間とは違う。ガイガロスとしてはまだ若くとも、人間からすれば、四百歳という年齢は常軌を逸した年齢なのだ。
個としてではなく、族として相手を愛してゆく人間の愛情の発露の仕方は理解した。そして、それを受け入れられると確信した。そうしていく覚悟もしていたはずだった。
だが。
それが。
シェラガの答え。
それは、シェラガが悪いわけではない。自分が悪いわけでもない。もう、自分の全てを呪うのは沢山だ。
私はシェラガを必要と思い、求めた。そして、シェラガは私を不要と思い、拒絶した。
ただ、それだけのこと。
今までとなんら違いはない。
私は誰にも必要とされていない。
私が関わる人はみな不幸になっていく。
ただ、それだけのこと。
フアルは、自分の頬を何かが伝ったことは感づいたが、それが涙であることはわからなかった。ただ、目元から頬を伝って流れていく何かということしか感じなかった。
何度となく経験した相手からの拒絶。それは何度経験しても慣れるものではなかった。例え同族から忌み嫌われ、他種族から恐れられたとしても。
「……悪いな、フアル。こういうとき、俺はどうしたらいいのかわからないんだ。ただ、うれしいのだとは思う。お前がそういう風に思ってくれていることに」
数瞬の間。
今度は、フアルは声を上げて泣いた。まるで幼子のように。
四百年生きてきて、自分の全てを初めて受け入れてもらえた。彼女はそのことがかつて経験した何よりも嬉しかった。
黄金の鬼子であることを隠し続けたガイガロス人の生活。ガイガロス人であることを隠し続けた人間としての生活。
そのどこでも、彼女は自分自身を曝け出すことができなかった。
思い返せば、物心がついた頃から、既に心を閉ざしていたような気がする。鬼子である自分の身を守るために尽力してくれたであろう父にすら。そして、心を閉ざしていたことを隠すのに精一杯だった。
全てを捨ててしまえれば楽だっただろう。だが、それをすることで更に周囲が傷ついていくのが嫌だった。これ以上自分が原因で周囲が傷ついていくのを見たくなかった。
単に彼女が臆病だっただけかもしれない。もっと前に全てを曝け出していれば受け入れてくれた人間も居たかもしれない。しかし、それを彼女はすることができなかった。それは単純に彼女自身の問題だったのかもしれない。
だが、それが全てだった。
そして、彼女自身がシェラガやレベセス、ガガロに出会ったからこそ、曝け出す勇気を持ちえた。それは、何物をも気にしないシェラガの気質によるところもあるだろう。
だからこそ、彼女の正直な気持ちを伝えた。
今までの自分を受け入れてくれてありがとう。そして、これからも自分を受け入れていってほしい。
自分には全てを受け入れてくれるシェラガが必要だ。ただそれだけのことを。
大声で泣き始めたフアルを見て、おろおろとし始めるシェラガ。その様子は文字通り、動揺し、何をしていいのかわからずうろたえているだけだった。
ややあって、彼の口から漏れた言葉は、先ほどのものと同じものだった。
「わ……、悪いな、フアル。こういうときも俺はどうしたらいいかわからないんだ……」
大声でわんわん泣いていたフアルは、少し咽びながら泣き止むと、涙を拭かぬままシェラガを睨みあげる。そして、その後にやりと笑った。
「フフ……。そういう時は、どうしたらいいのか、お姉さんが教えてあげる。そういう時は、泣いている女の子を優しく抱きしめてあげればいいのよ」




