開幕序章Ⅱ
家に帰宅し、風呂に入った時も、陽太は剛の言った言葉の意味を考えていた。
中学校最後の大会で県大会への切符を手にする事が出来ず、悔しかったから入った西和高校の陸上部。ここで県大会に出場し、受賞するのだと決意した。
しかし、練習は中学の頃とは比べものにならないほど厳しかった。自分の決意の甘さを思い知った。中学と高校では、練習量は全く違うのだ。
でも、入ったからには頑張りたい。県大会で成績を残したい。
その目標に少しでも近づくために、自分なりに頑張ったつもりだ。
けれど、高校最初の大会で良いタイムを出す事が出来ず、入賞することが出来なかった。その時に感じた悔しさは、今でも彼の心に錆びついている。
そして、その悔しさはやがて後悔の単語を脳裏に浮かばせ、なぜ自分は高校に入っても部活をやっているのかと、自問自答することが増えていった。
同時に勉学にも集中出来なくなり、この三ヶ月間、彼は現実を上手く生きていけないでいた。
だからこそ、今日の練習後に剛に言われた言葉は彼の脳裏から離れず、その意味を読み取ろうとしていた。
――まだチャンスはある。こんなところで逃げたりしたら、もっと後悔する。
結局あの言葉は剛の励ましだろうと解釈し、再び自身に気合いを入れ直し、風呂から出る。
風呂上がりのプロテインは欠かさない。本当は練習直後が一番効果があるらしいが、彼は風呂上がりに飲んでいる。とはいえ、まだ体に影響は見られないのだが。
次に今日の夕食のメニューについて考える。
――昨日はから揚げと千切りサラダだったからな……今日はトンカツとポテトサラダにするか。
昨日の夕食との関連性は不明だが、頭の中で夕食のメニューを決定する。冷蔵庫から材料を取り出し作業を始める。
陽太の趣味は料理と掃除という、なんとも花の無いものだ。剛にこれを言ったら馬鹿笑いされた。今度御馳走する事を約束した筈だ。
「上井には、毒盛ってやるか」
一人呟きながら、やがて夕食を完成させる。もう一人の家族である妹の分は冷蔵庫に入れ、自分の分をテーブルに持っていく。
その後もいつもと同じような生活だった。二十時頃には妹も帰宅し、やるべき事を勝手にやっている。
陽太は二十二時頃には布団に入り、睡眠を開始するのだった。
――また、か。
陽太はそう呟きながら、目の前に広がる世界を見守る。
そこは、自分の部屋で、自分が寝ているという風景だった。彼はそんな風景を他人越しにただただ見ている。
数週間ほど前――正確には高校最初の大会があった日の夜頃から、彼は夢を見た夢を見る。
ややこしいかもしれないが、これが本当なのである。
夢の中の自分が、毎日が休日になった世界で好き放題遊んでいるという内容。それを、陽太は客観的に見ているのだ。
目が覚めた後、ここが現実か夢なのかよく分からなくなるこの現象。クラスメイトの女子に聞いてみたところ、これは現実が上手くいっていなかったり疲れていたりすると起こるらしい。
そこで自分が付かれているのだと確信したわけだが、特に非常事態が発生するわけでもないので、この現象に何の感慨も抱いていなかった。
今回も、同じような夢を見て目が覚めるものだと思っていたのだが――今回は違っていた。
夢の中の自分は、パソコンやゲームをやって毎日を楽しんでいる。だが、今回初めて違う行動を見せたのだ。
突然外出の準備を始め、自室から出ると共に玄関へと向かっていく。靴を履き、予想した通りに外へと出ていく。
いつも見る外の風景だが、陽太は一つの疑問を感じた。
――この夢、俺以外いるわけないのに……なんであそこに人、立ってるんだ?
それは、夢においてあってはならない事だ。しかも、全く知らない人間だ。だが、シルエットははっきりしているものの、肝心の顔や服装は黒で塗りつぶされている。
夢の中の自分は、その人物に注視する事無く、自然な足取りで黒い人間のほうへ歩いていく。
そして、黒い人間の横を通り過ぎようとした時――
夢の中の自分は、突如動き出した黒い人物にナイフで腹を刺し貫かれていた。