戦闘準備Ⅲ
陽太達が早めの昼食を取り今後について考えあっている頃。
滝縫真琴は町田駅周辺にある雑貨店の一つであるルミネに入っている洋服店に訪れていた。
戦闘で今まで大事にしていた黒スーツが、自分の血やら泥やらで汚くなった上に破けたりした部分があったため、新調しようと思ったのだ。
とはいえ、彼女は別にオシャレに興味があるわけでも服自体に興味があるわけではない。
そのため、普通の女の子が着るようなフリフリのスカートや下着などといったものは眼中になかった。
今の彼女にとっての最優先事項は、どれだけ身軽に動けるのかという事だった。
あまり分厚い服は戦闘に不向きなのだ。黒スーツは大切な品だったので、どんなに不便だろうが着ていたのだが。
真琴は女性用のコーナーを通り過ぎ、運動などに適した服が置いてあるコーナーへと向かう。ジャージとまでは言わないが、それなりに軽い服が置いてあるだろうと推測したのだ。
――殺人鬼は絶対に殺す。左目の代償は大きいぞ……。
先程の忌々しい男の顔を頭の中で浮かべながら、殺意を煮え滾らせる。その時、抉り取られた左目がズキッという痛みを全神経に発信し、思わず顔を顰める。不法侵入である事を合わせれば、怪しい事この上ない。
だが、その心配をする必要はない。なぜなら、この建物には人と呼べる存在が無いからだ。今この建物を動くのは自分だけなのだ。
――まさか、あんな一つ二つ年下程度の男が元凶とはな。
異質な依頼主から聞かされた事実を思い返しながら動きやすそうな服を探す。彼女の場合、動きやすそうに見えるものを探しているわけだが。
――この紺色のショートパンツとかいうやつ、良いな。下はもうこれでいいや。
そんな軽い調子で新しい服を勝手に頂戴していると、真琴の視界に良さそうな服が飛び込んだ。
黒を基調とした薄地の運動用シャツ。アンダーアーマーのように伸縮性に長けている事や夏場に適した生地の薄さが、服の知識に疎い真琴には高性能戦闘着にしか見えなかった。
――よし、着替えよう。変だったらいくらでも交換していいんだしな。
誰もいないとはいえ、店内で着替えるのも恥ずかしいので、近くに設置されていた着替え室に入り、手に取った服に着替え始める。
至る所に血や泥を付けた黒スーツを丁寧に脱いでいく。やがて自らの肌が姿を現し、そこで鎖骨の部分からも血が多量出ていた事に気付く。
――こんなところからも血が出てたのか。……ていうか、また育ったか?
鎖骨の下。女性なら誰もが持っているであろう丸みを帯びた双丘が、以前見た時より大きくなった事に気付く。
ピンクのブラジャーがその二つの柔肉を必死に押さえつけていた。最近どこかきつく感じていた元凶がここにあったことに今更気付いた。
――せっかくだし、ここも新調するか。きつくてしょうがない。
誰もいないという解放感から、ブラとパンツという露出度の高い姿で店内を歩く。そこに興奮を感じるということは無かったが。
女性用のコーナーで新しいブラと替え用のパンツを入手し、再び着替え室の中に入る。
――というか、ショートパンツってことは、中にパンツ履かなくてもいいのか?二重にパンツ履くことになるし。だとすれば、すごいお得じゃないか。
殺し屋稼業に就いてからは、人から譲ってもらった黒スーツしか身に着けていなかった。
また、幼い頃からグレーな環境にいたため、『表』で生きる人間が着る服についての知識がほとんど無く、いつも同じ服しか着ていなかった。
そんな経歴から、非常識極まりない結果が生まれるのはある意味仕方ないといえる。
ショートパンツの意味を思いきりはき違え、パンツを履かないままショートパンツを装着する。男子でいうトランクス状態にも近かった。
パンツという窮屈でがっしり掴まれたような感覚ではなく、下半身をただ覆うようで、空気が全体を行き渡るスース―した感覚に、真琴は驚愕を覚える。
――こっちのほうが夏場に持って来いだな。女も皆こうすればいいのに。
聞けば誰もが仰天するような意見を心中で吐露しながら、着替えを続ける真琴。
上半身に先程の黒の薄シャツを被せ、鏡に自身の姿を映す。
――これまで滅多に服を自分で決める事は無かったが、なかなかいいんじゃないか?今まで黒スーツとか制服とかしか着た事なかったんだし。
鏡に映る真琴の姿を一言で片づけるなら、『黒』。
黒髪のストレート、上半身の黒シャツ、それに合わせブラジャーも黒のものに変えた。
また、下半身の紺色のショートパンツは、夜になればもはや黒にしか見えない。他に違う色があるとすれば、真琴の染み一つない肌だろう。
この暑い時期に染みが出来ず日焼けもしないというのは、女性からしてみれば羨ましい限りかもしれないが、彼女にとってそんな事はどうでも良かった。
――準備も整ったことだし、もう行くか。
持ち運べない黒スーツや脱いだパンツなどは着替え室に置いておく。無事に任務が完了した後に回収しようと考えたのだ。
そして、真琴は誰もいない建物からその姿を晒しだす。
透き通るように白い肌と、それに纏わりつく黒の類がコントラストと化して、街にその姿を見せつけていく。
それは、とても闇の中に埋もれる殺し屋のようには見えなかった。