戦闘準備Ⅱ
「あーつまらない。誰か強い奴いないのかなー」
太陽はこれでもかというほどに地上に熱を送り続ける。
七月という事もあり、その気温は例年通り上昇傾向にある。八月にも入ればだんだん身体が暑さに慣れてくるかもしれないが、梅雨が終わり気候が大きく変わりつつあるこの時期は人にとってかなり苦である。
陽炎が揺らめきそうなコンクリートの道を、赤いスカーフの男がゆらゆらと歩く。足元から不規則に鳴るブーツの音が、持ち主の感情に合わせ街に響かせる。
拔場加須斗は苛立っていた。
まず、先程の戦い。黒スーツの女との殺しあいは、人間にしてはなかなか面白く、出来ればもう少し続けたかった。
しかし、家の玄関前から傍観していた少年を見た女の離脱がきっかけで、そんな面白みある殺しあいはあっさりと終結してしまった。
あの女の左目を潰したのは、殺しあいを勝手に止めた彼女に対する罰でもあった。
勝手なのはどちらかというと自分の方なのかもしれないが、知った事ではない。自分は強くなるためなら何でもする。
それが、人間という小さい器の中から抜け出せる少ない方法なのだから。
化物。加須斗が追い求めるのは、まさにそれだった。
人から罵られ、怖がられ、差別され、忌み嫌われている印象のある存在。
それらは、その存在に対して無知だからこそ生まれる侮蔑の感情だ。
そしてそれこそが、彼の望む化物だった。
人から良く思われていない、好かれていない、理解されない、それでいて魑魅魍魎。これらが意味するものは、その存在こそ人間では無いという事。
そして、そんな存在に自分がなれたのなら。人から『化物』呼ばわりされたなら。
それはつまり、加須斗の願いが叶ったという事だ。もう、その時点で自分は人間ではない『何か』になれたという事なのだから。
歪んでいるかもしれない。異常なのかもしれない。だが、それすらもどうでもいい。
これこそが、自分の望む存在なのだから。そして、それに必要なのは『強さ』。
ただ嫌われるだけでは意味がない。その『強さ』を大々的に見せつける事で不快感を与えなければ意味がないのだ。
強くなる事で、人間という枠組みから抜ける事を目的に行動する殺人狂。それが拔場加須斗という青年だった。
自分の目的を再確認したところで、改めて自身の中に生まれた苛立ちについて考える。
――せっかく楽しい遊びやってたのに、邪魔したのは誰だ?
左目を穿っていた時に、こちらに向かって歩いてくる第三者の存在を彼の聴覚が全身に知らせた。何か不吉な予感がしたので、彼は女を置いてその場を離脱したのだ。
実際、不吉な予感が当たったのか外れたのかは分からない。それが彼の中で一番気に食わないところでもあった。
――次会ったら、今度は右目潰してあげようかな。
その第三者が、女の左目を治療したという皮肉に気付く事無く、物騒な事を考えながら目的地に向かって歩く。ここに行けばまた戦えるだろうと考えて行く事を決めた場所だ。
――西和の制服だったな。俺高校行ってないからよく分からないけど。
殺しあいをぶち壊した元凶が着ていた服を見て、そんな推測を立てる。というより、半ば答えだった。
知り合いが西和高校出身だった事とこの地区の学生なら西和高校だろうという考えから、確実性はあった。
そして、殺人鬼は歩を進める。
学校という、今の自分とは無縁な場所に。
*****
一方、西和高校では、はぐれ者達が互いに食料を集めていた。
陽太は家庭科室を、剛は職員室を、麗子は学校の近くにあるコンビニから持てる分だけの食料を盗んできた。
言い方は悪いが、無理ないだろう。この世界で意思を持って動く人間は未知数。それでも、ほとんどの人間はオブジェクトのようなものなのだから。
水道局の人間がいないから水道から水が出てこない。ガス管理会社を運営する人間がいないからガスが使えない。電気に関しても同じである。
人間がいるからこそ成り立つ日常。しかし、この世界においてそんな日常は通用しない。
これなら悪魔や化物が世界を闊歩していたほうがまだ理解出来ただろう。
外傷もないのに普段通りの生活が出来ないほど性質の悪いものはない。
陽太は家庭科室から持ってきた非常用のミネラルウォーターをなるべく陰のあるところに置く。冷蔵庫も使えないので、冷やすにも冷やせない状況なのだ。
職員室からもミネラルウォーター、コンビニからは貯蓄が出来そうなものと今日の食料を持ってきた。賞味期限が切れやすい弁当やおにぎりだ。
「アイスとかは溶けてたし、ジュースも温かったし。お茶とかにしたわよ」
麗子の判断に間違いはなかった。剛はブーブー文句を垂れていたが。
時間は少し早いかもしれないが、昼食を取る。ゴタゴタしていたので朝食を取っていなかった。それがあってか、昼時ではないがかなり腹が減っていた。
それは二人も同じだったのか、目の前に広がる食料を次々と口の中に放り込んでいく。
数分後には麗子が持ってきた食料が全て消える。カロリーメイトなどの貯蓄が効くものはミネラルウォーターのように日陰かそれぞれのバッグに入れておく。
そして、一段落したところで、今後の動きについて考える。
最初に声を上げたのは、やはり剛だった。
「ここが戸田が見た世界ってことならさ、お前が夢から覚めればいいんじゃねぇの?」
その言葉は、陽太の心臓を飛び上がらせるには十分だった。ただ、「お前が死ねばいいんじゃねぇの?」なんて言われた日には、彼はこの場から高速で逃げるだろう。
心中で動揺しながらも、陽太は今の質問に答える。
「それは出来ない。俺だってこうして実体を持ってるんだ。出来るなら最初からそうしてる。今の状況としては、やっぱ月島に会わないと話が進まないな」
「月島華音……やっぱ裏の顔があったんだなぁ」
苦い顔で呻くようにそう呟く剛。そんな彼とは対照的に、麗子は無表情のまま淡々と言葉を紡ぎだす。
「彼女はまだ幼いのよ。だから、それなりの制裁を加える必要はあるわ」
「雨宮ってけっこう冷酷系女子なのか……?」
陽太の呟きには答えず、麗子は今後について勝手に話し始める。
「とにかく、月島さんよりも今の事よ。あんなおかしい連中まで関わってる。私達が死ぬ可能性だって否定出来ない。特に、戸田君。あなたは狙われやすい」
――こ、いつ……やっぱ誤魔化すのは無理か。
このパラレルワールドは、はっきり言えば自分の命の有無で成り立っているようなものだ。この状況でそれが知られるのは、彼としては避けたいところだった。
だからこそ、陽太の口からは装いの疑問と心中から溢れだす焦りと抗議が含まれた言葉が漏れ出した。
「なんで俺なんだ?確かに俺はこの世界の元凶かもしれない。でもここにいる人間はどんな奴らか分からないんだぞ。
この状態に直接恨みを持つ奴なんてそうそう見つかるもんじゃないだろ。俺の命一つで状況が変わるわけじゃあるまいし」
言い終えると、剛も陽太の言葉に上乗せするように喋りだす。
「そうだよ雨宮さん。こいつが見た夢が月島華音に実現されたなんて話で驚きなんだぜ。これ以上ヘビーな内容はきついって」
「……そうね。じゃあ、次行きましょう」
麗子も二人の言葉にすぐ下がった。だが、彼女の感情がそこで何か違うことに、陽太は気付いた。
彼女は自分達に押されて下がったのではなく、呆れて仕方なく下がったように見えたのだ。
とはいえ、次の瞬間にはいつものキリッとした顔に戻っており、真理は読めなかったのだが。
「いつまでもここに留まるわけにはいかないわ。もしかしたらさっきの連中に私達の制服を見られたかもしれない。
そうなるといろいろ不利だわ。夕方ぐらいにはここを出ましょう。その後は誰かの家とか駅前のデパートとかに行けばいいわけだし」
その言葉に一番反応したのは剛だった。
「お、それは言えてる。俺は見られたわけじゃないけどな。でもお前らが危ないならここを捨てるのは苦じゃないぜ」
そう言いながら、右手で頬を掻く。自分で言ってから少し恥ずかしくなったのだろう。
そんな彼に対し、麗子が優しい笑みを浮かべる。
今のような平穏に近いものがずっと続けばいいのに。二人を見て陽太は心の底から思うのだった。
――月島を早く見つけてこの世界から抜け出す。早く、本当の日常を取り戻さないと。最悪、俺が死んででもな。