邂逅一番Ⅳ
「戸田君。怪我は無い?」
目の前に立つ少女――雨宮麗子は、凛とした声で陽太に話しかける。
線の薄い綺麗な顔立ちと見る者をドキッとさせる眼光が、何かしらの威圧感を感じさせた。枝毛の無い黒髪のロングストレートが風でたなびく。
何もかもがずれていないその姿が、陽太には神めいたものに見えた。
「あ、雨宮……だよな。お前」
「ええ、そうよ。逆に私じゃなかったら誰なのよ」
言葉だけ見れば少し冷たい対応に見えるかもしれない。
それはクラスでも同じで、完璧すぎる彼女はクラスメイトからするとどこか話しかけづらいらしく、いつも自分の席で一人ポツンといる。
しかし、実際の彼女は話せばどこにでもいるような普通の女子であり、それを知るのは数少ない。陽太はその一人だ。
今だって、彼女の表情は陽太の言葉に対して呆れたような苦笑いをした表情を浮かべている。人は見かけによらず相応だったりするのだ。
「だよな。にしても、お前なんでここに?」
陽太は、頭に浮かんだ疑問を麗子にぶつけてみる。しかし、彼女はその問いに答えなかった。
「いえ、後で話すわ。それよりも、この状況は何なの?戸田君はあんな化物連中に何をしたの?」
「いや待て。俺は何もしてないぞ。そこの刀持ってる奴にいきなり切りかかられたんだよ。それを雨宮が助けてくれて……」
「なるほど。つまり、あなたは被害者であって……え?」
その時、麗子の言葉は途切れた。視線は陽太ではなく、蹴り飛ばした相手の方を向いている。
陽太もそれに習って彼女が見る方向へと体を回そうとした時、
「が、ああああああああぁあぁああああぁぁぁああ!?あぁぁ、うあぁぁああぁぁあぁぁああぁぁあああああああああ!!」
その方向から絶叫が聞こえてきた。
何事かと急いで体を向き直した時、陽太は一瞬自分が何を見ているのか分からなくなった。
赤いスカーフを首に巻いている男が、銃を持つ少女の左目に刺してグリグリと掻き回していた。
「……は?」
これで放心するのは何度目だろうか。陽太はあの男の行動に整理が追いついていなかったが、少女の絶叫が彼に現実を見させた。
そして、次には彼の全身がこれでもかというほどに硬直していた。
歯がガチガチと音を鳴らす。視界がぼんやりする。まるで夢の中にいるかのような、そんな浮遊感を感じる。
いつのまにか、彼は尻もちをついていた。足が身体を支えきれずに曲がってしまったらしい。横にいるであろう麗子の様子を確認するほどの余裕は無かった。
「良い音だすじゃん、俺はこういう音のほうが好きだよ。でも、やっぱり人間だ。どうしようもなく果てしなく確実に君は人間だ。はァ、つまらない。実につまらないね」
男は笑顔のまま、ナイフを少女の左目から取り出す。
その刃には赤黒い液体やら、ぐちょぐちょで赤黒い生肉のようなものが付着している。
ここからでは少女の顔面の様子を確認することが出来ず、ただただうずくまっている事しか分からなかった。
ただ、呻き声が聞こえるのでまだ死んではいないようだ。
その時、麗子が陽太に話しかけた。彼女は何とか直立することが出来ていたようで、しゃがみ込んだ陽太を抱きかかえながら言う。
「戸田君、ここは離れましょう。下手すると私達まで危険だわ」
その声は少し震えていた。やはり、完全無欠な少女とはいえ彼女だって人間であり、何より女の子だ。あの異常な光景に怖気つかないわけが無い。
いや、異常なんて言葉では片づけられない。あれはもうダメだ。人間としての理性はどこに行ってしまったのか。陽太には訳が分からなかった。
危険地帯から脱出するように静かにその場を後にする。
後ろからは男の笑い声と少女の掠れた呻き声が聞こえる。それは鼓膜を的確に振動させ、二人の頭の中を延々と回り、幾度となく再生され続けた。もう『悍ましい』という線をぶち切っていた。
やがて、二人は西和学校にまで逃げてきた。時刻はまだ九時頃だろうか。
陽太の家からは少し遠かったが、コンビニが近くにある事と隠れる場所なら幾らでもあるだろうという理由から、学校にやってきた。
しかし、二人はそこで思わぬ人物との出会いを果たすことになった。
「と、戸田!雨宮さんも!お前ら何でここに!?」
学校の昇降口。そこでばったり出会ったのは、数少ない同学年の部活仲間である上井剛だった。
着崩した制服と天然の茶髪は、今や不安と焦燥の顔で台無しになっていた。
「お、お前……マジかよ。上井までここに来ちまったのか」
「戸田、これが何なのか知ってるのか?教えてくれよ!なんか変なんだ!誰もいねぇんだよ!」
剛がその表情に似た声で陽太に叫ぶ。かなりパニックになっていたようだ。
すると、麗子も真剣な顔で陽太に話しかけた。
「戸田君、この状況を説明出来るならしてほしい。これに、あなたが関わっているなら尚更、ね」
陽太は否定する事は出来ないと考え、この世界について紆余曲折しながら二人に話した。
剛と麗子はそれぞれ違う顔をしていた。
剛は話を聞いているうちにどんどん血の気が薄れていき、最終的には放心状態になっていた。麗子は最初から最後まで真剣な面持ちで聞き、何か考え込むように黙ってしまった。
そんな二人の様子を見ながら、陽太は考えた。
二人には言わなかった事がある。
それは、この世界が陽太次第でどうにかなるという事だ。
彼が死ねばこの世界は消滅し、元の世界に戻れる。代わりに、生き残っている間、または彼が月島華音と対話するまでは、この偽世界は生き続ける。
その事だけは言えなかった。たとえクラスメイトでも、こんな極限状態の中では信用出来ないと思ったからだ。
――雨宮は知らんが、少なくとも上井の奴は闇討ちでもしてくるだろうな。
そんな事を考え、自分がクラスメイトを信じ切っていない事に気付く。そんな自分がとてつもなく嫌だった。