邂逅一番
その男は、空虚と化した町田駅のホームで缶コーヒーを飲んでいた。
周囲に人はいない。むしろ突然消えてしまったような感じだった。それとも自分がどこか別の世界に飛ばされてしまったのか。全く分からない。
彼は空なった缶コーヒーをゴミ箱に投げつけ、小さく息を吐く。缶がゴミ箱に綺麗に放り込まれたのを確認し、近くの階段を下りていく。
やがて改札口の前までやってくる。
サラリーマンや学生の姿はおろか、駅員の姿もない。そこにあるのは無機質な電子掲示板や自動改札機、自動販売機などが置かれているだけだ。
そんな異質な風景を見て、男は一人呟く。
「……良いね、おもしろいぜ」
と、どこか楽しげな笑みを浮かべながら。
拔場加須斗は人間に飽いた殺人鬼である。
とある一件を機に『人間』という存在の脆さを知った。それは彼の中で忘れられない記憶となり、同時にその先を目指すきっかけとなった。
脳天に一発だけ銃弾をぶち込めば即死する。
頸動脈の部分を的確に押さえつければ窒息死する。
人間の部位をどこか切ればショック死する。
包丁やナイフで内臓やら心臓を抉れば簡単に死ぬ。
身近なところなら、頭からビルなどから飛び下りれば、何の展開もなく死ぬ。ただただ死ぬ。
加須斗は初めて人を殺めてから、日々そう考えるようになった。そして、『人間』というのはどうしようもなく脆いのだと結論付けた。
どうしてそんなに弱いのか。
どうしてそんな温いのか。
もう少し頑張ってみたらどうなのか。
彼の中で『人間』という生き物の価値観はそうした考えを進めるにつれてだんだん下がっていった。
例えば、追いかけっこをして一番遅かった奴がジュースを奢るとする。その時、人間は幾つかのパターンに分かれる。
一つは、この賭け事に闘志を燃やす者。一つは、奢るのが嫌だから賭け事に入ろうとせず逃げ出す者。さらにもう一つは特に感慨深げでもなく淡々と参加する者。
加須斗が気に食わないのは二つ目の人間だ。
なぜ戦う前から結果を気にするのか。もしかしたら最後の最後でビリから抜け出せるかもしれないのに。そうすれば勝ち組の仲間入りになり、ジュースをタダで飲めるかもしれないのに。
要は、彼は弱いのが嫌いなのだ。だからこそ、彼は人間の弱さというものに対し飽きれを見せた。
だからこそ、彼は『人間』を取るに足らない存在として見ているのだ。
しかし、彼も人間だ。彼の言う、取るに足らない存在と同等だ。
そこで、彼は強くなろうとした。弱い生き物から脱却しようとした。同じように見られたくないが故に。『弱い』レッテルを張られないように。
その結果、彼は強くなった。脆くて弱い『人間』を見下せるまでに。『人間』を簡単に殺せるまでに。
その証明として、彼は『人間』を殺した。それも、罪のある奴らだけを狙った。
轢き逃げして逃走している者や、万引きしたのにも関わらず、罪を他人に擦り付けた者、強姦した者や人を殺した者……。
そうした連中を、彼は多く抹消してきた。当然の如く、彼の名前は全国の警察機関に知れ渡り、指名手配された。
また彼らの他、今まで殺した人間と確執や因果のある裏社会の人間達にも追われる身となった。
それでも、自分の目的のために人を殺めながら生き続ける殺人鬼。それが、拔場加須斗という男だった。
加須斗はJR町田駅の北口を出て、軽やかに歩き出す。行先は特に決まっていない。
まず情報が欲しかった。今の状況について、彼は全く分かっていない。
人がどこにもいない。いつもは無駄にうるさくて、無駄に統率したあの生き物が。
バスやタクシー、電車などの交通機関が動いている様子も全く見受けられない。それは自分以外誰もいないという閉塞感を与えるのには十分すぎた。
加須斗としては人間がいないところで別に恐怖に囚われることなどは無いのだが。
しかし、今の状況はあまりにも異常だった。まるで異世界に来てしまったかのような感覚だ。
――しばらく歩いてみるか。誰もいないならいないで構わないしね。
そう心中で呟きながら、加須斗は歩いてみることにする。
繫華街を抜け、まっすぐに進むと住宅街に入る。いつもの閑静さは今も健在である。
そうして歩いていると、彼の聴覚が何かを感じ取った。
タッ、タッ、というどこかを蹴るような音。普通に走っていたり歩いていたりして生じるような音ではないように思えた。それよりも軽くて、すぐ蹴っていくような音に聞こえた。
その音は少しずつ自分の方へと近づいてくる。それと同時に、どこからの音源なのかを分析していく。
――これは……住宅のフェンスか?いや、もう少し上か?
そう思索していた時、『それ』は現れた。
電柱を飛び越えていく、一人の人間。
黒のスーツと黒髪の一本結びが特徴な、一見すると男性に間違えそうな風貌。しかし、腕や足の滑らかさや顔を見るに、その人物は間違いなく女性だった。
しかし、成人しているほどではない。その容姿からして、高校生ぐらいだろうか。だが、キリッとした目が大人びていた。
その少女は、下から自分を見つめる男の姿を視界に映し、すぐに距離を取ってこちらを凝視した。
加須斗は、相手が戦える人間であると判断し、声をかけてみることにした。
「やぁ、元気かい。何してるの?」
「もし暇してるんだったら、俺と殺しあい、しない?」