2011年9月2日市立五十川中学校
二年前 市立五十川中学校 二年三組
二年生に進級した際にクラス替えが行われてから約五ヶ月。
二学期にも入ればクラスの中でのよそよそしさは無くなり、誰もが楽しそうに過ごしていた。
始業式が始まるまでの教室内。陽太は友達からこのクラスに転校生が来るという噂を聞いた。
正直周りの人間に関してはさほど興味は無く、今の自分に精一杯だった。
夏の練習中に陸上部の部長というポジションを任されてから、さらに部活熱心になっていたからだ。その他にも理由はあるのだが。
そのため、転校生が入るという噂にも特に関心は無く、これまでと変わらない日常だと割り切っていた。
始業式が終わり、HRが始まった陽太のクラス。そこでは誰もが転校生の話題を口にしている。
――そんな盛り上がるか、普通。ただ新しい奴が入ってくるだけじゃん。
そんな事を思いながら、ふと我に返る。自分の視線が一人の女子に釘付けになっていることに気づいたのだ。
――はぁ……鶴橋と喋りてぇ。
彼の視線の先にいたのは、一人の女子生徒。名を鶴橋千世という。
おとなしく、思いやりのある少女で、一部の男子から人気がある。
ピアノを習っていて、その実力は関東地方のコンクールで上位だという。合唱コンクールでは必ず伴奏だ。
そんな彼女に、陽太は惹かれていた。一年の頃も同じクラスだったのだが、今までそこまで多く会話したことがない。
意識すると顔が火照り、会話に集中出来なくなってしまうのだ。
愛しの相手の事を想いながら耽っていると、担任が入ってきた。
「おーし。今日は転校生を紹介するぞー」
するとクラスの人間のざわめきが薄らいでいき、皆が前扉のほうを注視する。こんなんじゃ入りにくいだろうな、と陽太は思った。
ガラガラ、と扉が人の力を借りて横に移動する。
そして、そこから一人の少女が出てきた。
――……。
その少女は教卓まで歩き、後ろを向いて黒板にチョークで自分の名前を書き始めた。
そして、自分の名前を書き終えた少女は、改めてクラスメイトのほうを向く。
自身が振り撒く美貌にクラス中がどよめいているのを知ってか知らずか、彼女は色の濃い笑顔を顔に貼り付け、
「月島華音です。よろしくお願いします」
という、単純な自己紹介をした。
*****
月島華音が転校してきてから一週間。陽太は驚いていた。
なぜなら、いつもクラスの人間が華音の周りを取り囲んでいるからだ。
喧嘩だとか、虐めているわけではない。『崇拝』しているのだ。
転校してからの華音の人気っぷりは半端では無かった。
なにより、彼女は美女だった。男子からはもちろんのこと、女子からも人気があるのは、彼女の対応がおしとやかで、嫌味などが全くないからだ。
――気色悪い。宗教かよ。
陽太はそんなクラスメイト達の様子を見て、そんな事を思っていた。
とはいえ、クラスの中には彼のように思う者もいて、華音や華音周りの人間から遠ざけて会話していた。
そんな中、陽太は一つホッとしたことがあった。それは、鶴橋千世が華音のグループに入っていなかった事だ。
自分が嫌悪するグループに好きな女子が入っているというのが、それだけで心境が変わってしまいそうで怖かったからだ。
――鶴橋がマトモな奴で良かった……。
そんな事を考えながら、これまでと変わらない自分の日常を、彼は楽しんでいた。
とはいえ、好きな女子に告白出来ずにいるのは何とも億劫だったが。
しかし、そんな日常に闇が迫っていたことに、陽太本人は全く気付いていなかった。
ある日の放課後。いつも通りに部活に精を出し、練習を終えた陽太は教室に忘れ物をしたことに気付いた。
――危ない危ない。宿題忘れると教師共がうるさいからな。
制服に着替え、部活仲間の誰よりも早く準備を済ませ、教室に向かう。
途中聞こえてくる吹奏楽の演奏や道場から聞こえる柔道部の太い声が新鮮に感じられた。
そして、二年生のクラスがある階に辿り着き、自身が所属するクラスへ向かっていると、見知った声が聞こえてきた。
そして、こっそりクラスを見てみると、そこには思いがけぬ二人が存在していた。その二人の声がこちらにも聞こえてくる。
「え……どういうこと?月島さん」
「簡単に言えば、嫉妬です。私は鶴橋さんに嫉妬してます」
鶴橋千世と月島華音。
全く接点の無いように見える二人が何か話している。
――何を話しているんだ?
盗み聞きする気はなかったが、なんとなく気になるのでその場でじっとしていることにする。すると、千世の戸惑った声が聞こえてきた。
「えと、何で私に嫉妬しているのか、な?」
「なるほど、自分では分かっていないんですね。
全く、呆れるにも程があります。どれだけ鈍感なんですか鶴橋さんは」
そんな彼女に対し、呆れ顔を浮かべながら口を動かす華音。まるで、彼女という人間の内を知っているかのような口ぶりだった。
「はぁ……言っちゃっていいですかね。
……同じクラスの戸田陽太君があなたの事を好いているということです。一年の時も同じクラスだったらしいのに、気付かなかったんですか?私は転校して数日で気付きましたよ」
「……へ?」
――へ?
偶然にも千世と陽太の拍子抜けした言葉が同時に浮かび上がる。そして、千世が頬を赤らめ顔を俯ける。
隠れて様子を見ていた陽太も同様で、顔を赤くして膝の部分に顔をぶつける。
――なんでバレてんだよ……!マジかよ分かりやすいのかなんで分かるんだひょっとしてこれが女の恐ろしさかだとしたらクラスの連中皆わかってるんじゃあああああああ……。
彼にしては珍しく取り乱す。とはいえ、年頃の男子だ。無理ない。
そして、事態はさらに動く。
「で、鶴橋さんはどうなんです?戸田君の事が好きなんですか?」
「え、えと、その……」
――マズイ、マジでマズイ!やばいもう帰ろうここにいると精神的に死ぬ!
そうして陽太が静かにその場から離れようとした時の事だった。
「……好き、かな。戸田君のこと」
――え。
「……そうですか」
――今、好きって言った?
華音と陽太の反応は相対的だった。教室の外で舞い上がりそうになっている陽太に対し、華音の目はどんどん冷えつつある。
「その、それがどうかしたの、月島さん……あの、恥ずかしいんだよね」
そんな二人に対し、時間が空くに連れて顔を真っ赤にしていく千世。手をもじもじさせているその姿は、恋する乙女そのものだった。
そして、次に行動したのは華音だった。いきなり右手を千世の方へ伸ばし始めた。
今にも叫びそうな陽太は、その様子を陰から見ていた。
――ん?月島何やってんだ?呪文とかか?
そんな呑気な事を考えていたが、それがあながち間違いではないという事に、彼は少し後に気付く事になった。
突然、華音の右手と両目が金色に光りだした。
――え、マジ?
その様子にただ間抜けに口を開けていることしか出来ない陽太。そんな彼を置いて事態はさらに進んでいく。
なんとその光が千世の目に照らし出されたのだ。
そして、彼女はその場に倒れこみ、身動きを取らなくなる。
直後、華音が一人で呟いた。
とても不服そうに、とてもバカにした口調で。
「戸田君は渡さないよ、女狐め」
*****
鶴橋千世は、その後意識不明の状態で病院に運び込まれ、植物状態のような形で入院している。意識が戻らないのだ。
一方月島華音は、千世との邂逅が嘘だったかのように自然に振る舞い、周囲の人間を虜にしていた。
そして、戸田陽太は――
月島華音を目の敵にしていた。