#6
どのくらい、アテナ理事長と話しただろうか。
好きな食べ物から始まった、お互いを知るための会話を続けたところ、テーブルに置かれた二つの湯のみは空になっていた。
気がつけば、もう十時だ。
朝食を食べていないことから、お腹が減ってしょうがない。
アテナ理事長も朝食は済ませていなかったのか、可愛らしいお腹の鳴る音が部屋に響いた。
「あ、お腹減ってます? 良かったら、なにか食べますか?」
俺の問いかけに、アテナ理事長は恥ずかしそうにお腹を抑える。
「大丈夫! お兄さんこそ、お腹すいてるでしょ? 本当は、こんなに長居するつもりはなかったんだけど、お兄さんとのお喋りが嬉しくて……」
言われてみれば、アテナ理事長は終始、笑顔を絶やさなかった。
しかし、嬉しいという例えはおかしくないか?
お互いの自己紹介を軽くしただけだぞ?
嬉しい要素なんて、見つからないんだが。
まぁ、俺は可愛いアテナ理事長と話せて嬉しかったけどさ。
「俺も嬉しかったですよ。また、時間に余裕があるときにでもお話ししましょう」
「うん……!」
「あ、最後に一つだけ聞きたいことが」
「ん」と首を傾げ、俺の言葉を待つアテナ理事長。
「……どうして、俺を森羅万象学園に通わせたいんですか?」
昨日、冷静になれずに聞けなかったことだった。
俺みたいな、これからの人生を期待できるわけでもない存在に対して、どうしてあんなにも必死で勧誘をしたのだろうか。
そのことが、気になって仕方なかった。
「……無理やりな誘い方だったよね。ごめんなさい。本当に、お兄さんには申し訳ないと思っています」
笑顔で明るかったアテナ理事長の表情が、曇に覆われる。
「どうしても、……急がなくちゃいけない理由があってね!」
しかし、瞳には強い意志が宿っているのを感じた。
「理由、ですか?」
「……うん。私がこの場で『理由』を話しても説得力を得られないと思うから、学校で話す。じゃ、ダメかな?」
「……解りました」
本当はこの場で聞きたかった。
でも、その気はなくなってしまった。
アテナ理事長の暗い表情なんて見たくない。
外見は、どう見ても小学生にしか見えないんだ。
だから、笑っていてほしい。俺の勝手な願いかもしれないけど、この思いだけは譲れない。
「まぁ、森羅万象学園に転校をすれば、今ならもれなく、アテナ理事長を高い高いする特典を得られるんですからね! 転校して損はありません!」
「……え。そんな特典はないよ?」
俺の急なアドリブに、アテナ理事長はキョトンとする。
「いいえ。あるんです。今、俺が決定しました」
俺は、できる限りの優しい表情を浮かべて、アテナ理事長にそう言った。
「あぅ。お兄さんは、本当に変わっているね」
曇っていたアテナ理事長の顔に、一筋の光が射す。
そして、嬉しそうに目を細めながら俺を下から覗きこむと、
「…………周りに、誰もいないとき限定だよ?」
拒否するどころか、容認してくださった。
「えぇ!? 本当に良いんですか!?」
「ふふ。冗談だよ♪」
アテナ理事長は小さく舌を出し、俺をからかうように言った。
――満面な笑顔で。
アテナ理事長が帰り仕度を終えたので、俺は家の門まで送ってあげた。
「――それでは、学校で待っています。お邪魔しました!」
そう言いながら、ぺこりとお辞儀をするアテナ理事長。
「はい。学校でまた会いましょう!」
つられて、俺もアテナ理事長にお辞儀をした。
「あっ! ごめん。肝心な物を渡していなかったよ!」
……そういえば、アテナ理事長が俺の家を訪ねたのは、渡す物があったからだったな。
完全に記憶の隅に置かれてたぜ。
アテナ理事長は、ポケットから『肝心な物』とやらを取り出すと、小さな手で俺に差し出す。
「とっても大切な物だから、学校に行くときは絶対に持って行ってね!」
これは、……勾玉?
俺は、アテナ理事長から勾玉を受け取ると、軽く手のひらで転がしながら勾玉を観察する。
エメラルド色をした勾玉は、太陽の光を浴び、きらきらとした神秘的な光沢を放っている。
ひんやりとした、石特有の冷たさが気持ちいい。
「それがないと、学校に入れないだけじゃなくて、辿り着くこともできないから、大切にしてね」
アテナ理事長は、可愛らしく人さし指を上げて、俺へと注意を促した。
あぁ。子供はこういったルールを作るのが好きなんだよな。ホント微笑ましい限りだ。
そして、これは俗にいうアレだろうか。幼い子供が大好きな人にあげる泥団子的な。
いや、そこまでアテナ理事長の見た目は幼くないな。
まぁ、信頼の証と考えて間違いはないだろう!
「はい! 一生大切にします!」
俺は、力強くアテナ理事長に宣言した。
アテナ理事長は俺の言葉に満足したようで、俺に小さく手を振りながら、今度こそ帰っていく。
どうやら、ベンツではなく歩きで来たようだ。
学校に向かう娘を見送る父親になった気分で、俺はアテナ理事長の後ろ姿を見守るのであった。




