#3
自宅前までたどり着いた俺は、久保田が言っていた黒塗りのベンツを発見した。
「うわ。自宅前って言うか、家の車庫に停まってるじゃねぇか」
なんの変哲もない一軒家にベンツが停まっているのは、なんともシュールだ。
ご近所さんには早速ネタとして回収されているに違いない。
それにしても、ベンツなんて間近で見るのは初めてだ。
「さ、触って良いかな?」
なんとなく、ベンツに喋りかけてみた。
初めて間近で見るので、息を荒くしながら。
周りで見ている奴がいたなら十中八九、俺を変人認定するに違いないだろう。
「……ソフトに触って下さいね。エンブレはデリケートな部分なので、触っちゃダメですよ~?」
べ、ベンツが喋っただと!?
どういうことだ。このベンツは生きているのか?
まさか、あれか。美少女がトランスフォームしてる的な。
とにかく、人との会話があんま得意じゃない俺が、ベンツなんかとマトモに会話ができるわけないっ!
「じゃあ、エンブレ触ります」
「きゃっ!?」
ベンツから、驚きの声が漏れた。
動揺のし過ぎで、触っちゃダメを、触ってくれて勘違いしてしまった!
だが、今さら手を引っ込めても男として情けない。
男のプライドに火がついてしまった俺は、思う存分にベンツのエンブレを堪能することにした。
強弱を調整しながら、リズムを付ける。時に強く、時に弱く。飴とムチを使い分けるように。
すると、黒いベンツは火照ったように車体が赤へ……変わったのは錯覚だと思いたい。
「え、えんぶれはっ、だめぇ~!」
ベンツが激しく乱れている。
見た目は黒塗りで厳ついイメージなのに対して、中身は穢れをしらない少女のようにウブで可愛い。
これが、ギャップ萌えってやつか……。
「もうっ、我慢できん。お前の給油口を借りるからなっ」
ベンツの側面に移動すると、俺は自分のベルトに手を掛け――
「……ぷ、ププっ。」
可愛らしい、笑い声が聞こえた。
まぁ、隠れてベンツ役を演じていた存在には途中で気づいていたけど、中々ネタバレをしてくれなかったことから、俺は相手が折れるまで演じ続けたのだ。
変なところで負けず嫌いなため、ここで終わってくれなかったら俺は残りの人生、冷たい飯を食べて暮らすことになっていたかもしれない。
「これで満足? お嬢ちゃん」
ベンツの後方から、ぴょこぴょこと揺れているアホ毛を優しく摘む。
「きゃっ。む、むぅ~。年上に向かって『お嬢ちゃん』は失礼だよっ」
少女は不満を隠すことなく、声と表情に出して俺に言った。
声から小学校高学年だと判断したんだが、少女の顔を見て、俺は軽く昇天しそうになった。
身長140cm前後をベースに、組み込まれている少女のパーツは、恐ろしさを覚える程に、完璧だったからだ。
月の光が溢れる満月の夜ならば、少女の長い銀髪のストレートには、月の光と同等か、あるいはそれ以上の輝きが生まれることだろう。
整った顔のラインに装飾された、ルビーのような美しさを持った紅い瞳は、少女の好奇心溢れる性格を表しているように思えた。
少女は、ただ立っているだけでも気品が溢れていて、瞳と同様に紅いスーツに包まれた幼い体は、まさしく花が咲く前のつぼみ。
成熟した女性では再現不可能な滑らかさを持っており、強く抱きしめたら壊れてしまいそうだ。
……要するに、少女は最上級の美少女。
「お嬢ちゃん、可愛いね。いま何年生なの?」
紅いスーツと例えたが、これはどこかの私立小学校の制服だろうか?
そう疑問に思いながら、目線を少女と同じ位置に合わせると、俺は紳士スマイルで少女に訪ねた。
「い、息が荒いよ?」
言葉には出されていないが、少女の瞳が「気持ち悪いと」訴えている。
「ご、ごめん、ごめん。息が荒いのは、お嬢ちゃんが可愛いから……じゃなくて! さっきまで全力疾走してたからだよ」
本音が漏れそうになったが、なんとか抑えた。
「そうなんだ。もしかして、お兄さんはここに住んでいる人?」
少女は首を傾げながら俺に問う。
このいかにも『お嬢様』って感じがする少女はベンツの所有者か?
だとしたら、俺にこの家の住人かを聞くことも頷ける。
予想だが、なんらかのトラブルでここに車を停めることをやむなくしたため、許可を貰いたいのだろう。
もしかしたら、お礼とか貰えちゃったりして。
「えぇ、いかにも。私はこの家の住人の、緒方慎也と申します。お嬢様」
「え? どうして、急に喋り方が変わるの?」
口では不信感を露わにするものの、顔は太陽が射したように輝いている。
まぁ、お嬢様と呼ばれて機嫌が悪くなる子供は居ないだろう。
「いえ、特に理由は。ですが、もしお礼を頂けるなら、お嬢様を高い高いしたいです」
やっべ……。想像しただけでヨダレが滴る。
それにしても、運転手の姿が見当たらないのが気になるな。
まさか、この子が運転してたわけじゃないだろうし。
「あの、お礼ってなんの話?」
少女の顔は疑問符で溢れている。
「え。故障かなにかで、うちの車庫に車を停めてるんじゃ?」
「違うよ? お兄さんに用事があるからだよ」
ん? 俺に用事?
今度は、俺が疑問符で一杯になる。
少女の小ぶりで可愛い唇が動く。
「森羅万象学園への入学手続――」
少女の言葉を全て聞くことはなかった。
なぜなら俺は、この場から、帰るべき場所である自分の家から走り出したからである!
「し、森羅万象学園だと? 夢じゃなかったのか!?」
夢の中だと思い込んでいた出来事は、実際の出来事だった。
そう頭が理解したせいか、恐怖で足が思い通りに動いてくれない。
それでも無理やりに足を動かし、家の前の道に出た瞬間。
滅多に車なんて通らない、通るとしたら幼稚園バスくらいの道に、運悪く一台の車が通りすぎようとしていた。
「危ない!!」
少女の叫び声で実感する。
俺、死ぬ。
アダルトビデオの気にいったシーンをスロー再生したときのように鮮明に、ゆっくりと今の状況が見えた。
あ、この車……てか、幼稚園バスじゃん。
まぁ、園児の乗せたバスで死ねるなら……ん!? 園児を送り届けた後の回送車じゃねぇかっ……! チクショウ!
てか、映像だけでなく思考までもスローになるんだな!
そんなことを思っていたら、ようやく俺に走馬灯と思わしきものが訪れた。
思い浮かんだ映像。それは、今日出会った金髪ロリ巨乳の女の子だった。
……夢の中の存在ではなかったんだよな。
彼女が最後に見せた笑顔に、心臓に鉛玉を撃たれたかのような衝撃を受けた。それほど可愛かったんだ。
だけど、どこか儚くも見えた。
そんな笑顔を見せられたからだろうか?
『そばにいてあげたい』
俺にしては珍しい、下心のない純粋な思いが生まれたんだ。
「そういや、名前聞いてなかったな……」
パァァァァァァァン!!
クラクションが鳴り響く中、俺の体は宙に放りだされた。