第一章『救えぬ魂』(4)
やっぱり今日も遅刻ぎりぎりで、遼平は大型バイク、愛車の『ワイバーン』を一階の駐車場に停める。
そもそも警備の無い日まで事務所に来て、しかも出勤時刻が決められているのは部長である真が決めたからである。「いつ依頼があるかわからないから」という理由で定められたこの決まりは、ルーズな遼平にとって非常にきついものだった。
「遼〜、これで一週間連続で遅刻だよ。また始末書書かされるんじゃない?」
「くそっ、道が渋滞してんのが悪いんだよっ! あそこで信号が赤にならなけりゃあ……」
「だったらあと五分は早く家を出ようよ……」
ビルの階段を駆け上がりながら、遼平と純也は三階の事務所を目指す。腕時計が十時丁度を示す、三秒前。
「着いたーっ!!」
ドアを跳ね開け、二人は事務所に駆け込んだ。息を切らせながらも、いつも通り襲いかかってくるであろう真の《部下制裁用アイテム》、ハリセンに備え、頭を押さえる。が。
「……え?」
頭を押さえたまま顔を上げると、いつもなら仁王立ちして待ち構えているであろう部長の姿が今日は無かった。きょろきょろと、事務所を見渡す。
「あ、二人とも……」
希紗が全員の机の先の、接待用のソファに座っていた。脇には澪斗が壁に寄りかかっている。その奥で、一人普段は見かけない人物がいた。
「友里依さん!」
純也が嬉しそうに近づく。友里依に会うのはかなり久しぶりだ。だが、俯いていた彼女が顔を上げた時、純也は驚いてしまった。
「じゅ、純ちゃん……」
普段は可愛らしい顔が、今日は涙で濡れている。いつも真といる時の明るい表情しか見たことの無かった純也は困り、希紗を見る。
「どうしたの?」
「あのね、真が、」
「いなくなっちゃったの〜っ!」
「えぇ!?」
希紗の言葉を続けた友里依が叫ぶ。遼平も、純也と同じように困惑を隠せないでいた。
「どういうコト?」
「なんでも、昨日真の知り合いが家に来たらしくて、それから真が何処かに行っちゃったんだって」
嗚咽で言葉を喋れない友里依に代わり、希紗が状況を説明する。遼平が向かいのソファに腰掛けた。
「なんだよ、それだけか? 一夜ぐらい消えたって、おかしくねえじゃねーか」
「今までっ、シンっちが……何も言わずに出ていっちゃうことなんてっ、無かったのっ」
まだ涙が治まらない様子で、必死に友里依は言葉を紡ぐ。希紗と純也が非難の目を向けたので、遼平は「わ、悪かった」と小さく呟いた。
「で、でもさ友里依さん、真君に限って消えちゃうわけないと思うよ? 前も遼が一晩帰ってこないと思ったら、翌朝アパートの下で酔い潰れてたしっ」
「うわっ、遼平格好悪い〜」
「『馬鹿』以外に形容のしようが無いな」
「うるせえなっ、あとちょっとだったけど家に帰れなかったんだよ! って、今は関係無いだろ!!」
腕を振って話を逸らそうとする。どうして真の話で遼平が馬鹿扱いされているのか?
「ンで、真のやつは消える前に何か言ってなかったのかよ?」
「えっと、『ちょっと出かけてくるから、当分帰ってこられない』って……」
「なんだ、当分帰ってこねえって言ってんじゃねーか」
「……しかし、平日にヤツが行方をくらますと思うか? あいつが職場にも来ないとは」
「その知り合いってのが気になるわね」
全員が押し黙る。真に何かあったのだろうか?
「だけどよ、あいつなら何があっても一人でなんとかするだろ?」
「そうでないかもしれん」
「どういう意味だよ、紫牙」
「……真は今、阿修羅を持っていない」
真のデスク脇にかけてある、包帯で巻かれた棒状のモノ。今真は丸腰なのだ。
目立ちこそしないが、真はロスキーパー本社の中でもトップクラスの実力を持つ。だからこその部長の地位であり、中野区支部の中でもしかすると最強かもしれない。だが、それはあくまで剣術の上でであり、素手となると……。
「ちっ……、どうすんだよ」
「……」
重たい空気が場を支配し始めた、そんな時。
「ハ〜イっ、グッドモーニング皆さ〜ん!!」
うるさいサンバの音楽に合わせて、陽気に外人が事務所に飛び込んできた。
左脇にこの音楽の元凶であろうラジカセを抱き、白い紳士服で踊りながら入室してくる、長身の外人。
「フェッキー!? なっ、どうしたの?」
身軽に回転し、見事にポーズを決めて情報屋はラジカセを止めた。接待用の机にラジカセを置き、優雅に一礼する。
「もちろん希紗チャンの返事を聞きニ来たんジャナイか〜! サァッ、ボクのプリンセス、どうか良いお返事ヲ」
「げっ、本当に来たの!?」
「あのさフェッキー、僕達いまそれどころじゃ……」
「ノンノン、照れるコトは無いヨ。さぁさぁ、ボクの教会デ今すぐ挙式を〜!」
「って、あんた返事待つ気ゼロじゃないっ!」
フェイズによって真剣な雰囲気が完膚無きまでに崩される。どうしてこの情報屋はことごとく場違いな時に現れるのか。
初めて見る外人に友里依は呆然としていた。涙もいつの間にか止まっている。
「この人……希紗ちゃんの恋人?」
「違ーう!」
「ザッツライト、その通りだヨ友里依サン。まぁ、正確にはフィアンセだけどネ〜!」
「え? どうして私の名前を知ってるの?」
猛烈に否定する希紗を気にも止めず、長身のフェイズは腰を曲げて友里依の前に顔を出す。「フッフッフッ……」と不敵な笑みを浮かべて。
「その質問にお答えスル前に、色々と皆さんにオ話するコトがあるヨ。実は、希紗チャンの返事ついでに、良い情報を持ってキタんだヨ〜」
「……くだらんな。俺達は今、貴様に構っているほど暇ではない」
「アレ〜? そんなコト言っていいのかナ〜? キミ達の部長サンに関係のあるコトだよ?」
「「「「「っ!!」」」」」
「何か、何かシンっちの事知ってるの!?」
「マぁマぁ落ち着いて。ゆっくりお茶でも飲みナガラお話するヨ」
そのまま図々しくソファに座って、情報屋は語りだした。純也が茶を淹れてきてフェイズに差し出す。
「ドコから話そうかナ……そうだネ、皆サンは十年前の『斬魔』の事件は知ってるカナ?」
『斬魔』という言葉がフェイズの口から出た途端、純也以外の顔色が険しくなる。遼平でさえ真剣な表情をしたので、純也は驚いて声を出した。
「ゴメン、僕は詳しく知らない……」
純也は記憶が無い二年以上前の事は人から聞いたことしかない。それでも、本や資料を読んである程度は知っているはずだ。なのに、『斬魔』なんていう単語は昨日知ったばかり。確か、連続殺人犯。
「マぁ、詳しいコトは本当は誰も知らないんだヨ。名前どころか、年齢や性別さえ一般には知らサレなかったんダカラ」
「え?」
「十年前、無差別に次々と人が殺害される事件が起きタ。その犯行は三ヶ月のウチに行われ、人々は恐れてその刃物を使ッた手口から犯人を『斬魔』と呼んだんダ。しかしソノ『斬魔』も東京のとある政治家を殺害した現場デ警察に見つかり、抵抗した為そこデ処刑されタ……そう表社会ではされてイル」
フェイズは言葉を区切り、茶を口に含む。言われた事を理解しようと、純也は頭の中でフェイズの言葉をゆっくり噛み砕いていた。
「でもネ、このお話にハ続きがあるんだ。皆殺しにあったのハ、表社会の人間だけジャナイ。裏社会の組織も全滅に陥ったンダ。しかも一説によれば、『斬魔』は長い黒髪をなびかせ、日本刀を握った……少年ダッタという。一人で裏組織まで全滅に追いつめる少年が、簡単ニ警察なんかに殺されるト思うカイ? ……ソウ、『斬魔』はまだ生きているという情報ガ、裏社会デハ流れていたんだヨ」
嫌な感じがする。純也の中で、勝手に嫌な方向へ推測が流れていく。十年前、連続殺人、斬魔、日本刀、少年……生きている……!
「そして十年経った今ニなって、マタ同じ手口の連続殺人が起きた。ダカラ表社会では騒いでいるのサ、『斬魔が蘇ったんじゃないか』ってネ」
「で、でも斬魔は確かに死んでいるんでしょ? だって警察が……」
「ボクが言いにキタのはここからサ。ボクは、警察のある人間カラ依頼を受けたんダ。『斬魔が今どうしているか調べてほしい』と。驚いたヨ、警察は処刑したコトにしてるのに、そんなコトを言ってくるんだからネ。それで、ボクは斬魔が生きているコトを確信しタ。調べていくウチにわかった、斬魔の正体は――――」
「もういいっ!」
遼平が突然怒鳴った。驚いて、純也は立ち上がった遼平を見上げる。その顔は怒りに耐えきれなくなったように憤っていた。
「……そうだネ、これ以上は言うまでもないカナ? 《斬魔》、霧辺真のコトは」