EL『願わくば、非凡な日々』(1)
EL『願わくば、非凡な日々』
『風薙さん! あなたという人は……!』
「おや? いきなりどうしたんだい?」
受信ボタンを押した途端に映った憤怒の男の顔に、風薙老人は臆することなく穏やかに首を捻る。いつも通りの微笑みに、今はより愉快そうな成分が含まれていた。
『白を切るつもりですかっ? 私が何も知らないとでも?』
「だから何を怒っているのかな? 君が何を知っているって?」
『斬魔が脱走しました。更に追跡したところ、わざわざ真犯人まで出てきましたよっ。またあなたの仕業ですね!?』
「おやおや、真犯人がいたのかい。私は全く知らないよ。よかったね、本当の犯人が見つかって」
腕を組んでその上に顎を乗せながら、老人はにっこり微笑む。そのひょうひょうとした態度が、画面先の男の血管を浮き上がらせる。男は必死に冷静さを取り戻そうとしていた。
『良いわけがないでしょう……! 我々は誤認逮捕、用意した証拠は全て水の泡です! マスコミが面白おかしく騒ぎ立てることでしょうねっ!』
「まぁ落ち着いて。警視総監ともあろう人間が慌てていると、部下に示しがつかないよ?」
『余計なお世話ですっ! 今回もあなたの差し金でしょう!? 斬魔の仲間と思われる人間が二人、拘置所で目撃されています。……少しは聞いていますよ、あなたが裏で出来損ないの人間達を集めていることは』
「何のことかなぁ? ……大体、私は《出来損ないの人間》と接触した覚えは無いね。私の周囲には優秀な者達しかいないよ」
今にも画面を叩き壊しそうな剣幕で、眼鏡の男は腕を震えさせる。普段は威厳があるのであろうシワの刻まれた顔も、今は鬼のように歪んでいた。今度は老人から口を開く。
「それで、真犯人は誰だったのかな? 私としては、動機とかも気になるんだけど」
『……っ。……現場で、大阪在住の荒井という男と元参議院議員大麻氏のご子息を発見しました。荒井の所持していた刀より証拠が上がったので逮捕。大麻氏のご子息は「荒井に誘拐された」として保護しましたよ』
「相変わらずそういう手は上手いね。その大麻君は何か言っていたかい?」
『…………言わせませんよ。彼には黙っていてもらう』
全てを見通したような老人の澄んだ眼差しを、警視総監は睨み返す。風薙は肩をすくめて首を振る。「これ以上詮索しない」という合図だった。
『お話はこれくらいにしましょう。私にはこれから記者会見があるもので。……風薙さん、最後に一つ』
「何かな」
『あまり裏で動かないことです。あなたに裏で動かれては、こちらとしても厄介ですから。あなたには表で役目があるはずです……おわかりでしょう、ご自分の《立場》が?』
「ご忠告、ありがとう。表の役目はしっかり果たすよ。でもね、なかなか裏も楽しいんだよ」
『……。それでは』
諦めたように男は通信を切った。笑みを深くした老人がゆっくりと椅子の背もたれに沈み込む。
「私は何もしていないよ? …………強くなったんだね、真」
その笑顔は子供の成長を喜ぶような微笑み。十年前救ったあの瞳に、間違いは無かった。あの小さな支部を彼に託してからもう四年……あちらはなかなか楽しそうだ。
「君の信じた道を行けばいい。……もっと私を楽しませてね」