第五章『贖罪のために』(2)
「嫌や……! あんたが相手なら尚更っ」
斬りたくない。殺人を犯した者でも、昔の親友なのだ、斬れるわけがない。
「なら先にあの女を斬ろうか? お前をある程度苦しめてから殺すつもりやったが」
「それはさせへん!」
「なら手段は一つやろ? こいや!」
荒井は足で床を蹴る。まだ決断がつかないまま、真は横に跳んで上から降る太刀を避けた。瞬時に横に荒井が現れる。肩からまだ流血しながら、それでも次の一撃もかわす!
白虎流の基本は、『一刀両断』。一閃のもとに全てを斬り捨てる、無駄の無い実践的な流派だ。素早い動きと一瞬だけ力を込めるその技は、天性の素質も要求される難しい流派の一つ。
「ちっ」
「どうした、このまま何もせずに殺されるか!?」
確実に瞬殺を狙ってくる刃を、木刀で受け止めることもなく避けるだけ。道場に居た頃の手合わせとは違うのだ、怪我ではすまない。荒井はそれを覚悟できている。しかし……。
「真っ、戦って!」
「友里依……っ」
何をしている……護らなくてはいけないモノが、自分にはあるっ!
大刀を突きのばし、荒井が向かってくる。一瞬だ……この一瞬で!
「――――《動》の章、第四奥義、毘沙門天っ」
甲高い金属音が廃棄倉庫に響く! 居合い抜きされた細い刃が、その黒い身を更に紅く染めていた。
荒井には、その一閃が見えなかった。ただ、腕に一筋の斬られた痕がある……金剛を握った手が、震えている。
「待たせたな。ようやっと覚悟が決まったわ。存分に決着、つけようやないか」
いつの間にか荒井の後ろに立っていた真が、口を開く。もうその瞳に、揺らぎはない。
「いくで」
張りつめる空気、友里依さえ口を噤む強大なプレッシャー。静かな宣戦布告と共に、真の姿はかき消えた。
◆ ◆ ◆
「ッ!?」
腹部を深く切られた! 恐ろしいほど静まり返った地で、フェイズは驚愕していた。何かが今、自分の腹部を切り裂いていった……だが、何も見えなかった。五メートルほど間隔を開けた場所に一人、少年が立っているだけだ。
(今のは?)
何故か耳鳴りがし、全身の皮膚が痛い。出血をする腹部を押さえたかったが、本能的な第六感が動くなと命令してくる。
俯いて顔が見えない少年から、強い《気》を感じる。怒気なんて生温いモノじゃない、いや、殺気よりも……?
「そうカ……っ」
また、今度は顎が切られる。先程から、動いた時にだけ切られているのだ。これは日本の自然現象。古来は妖怪の仕業と言われてきた、
(カマイタチ! 本当に彼は……自然現象を操っテいる!?)
『鎌鼬』。主に冬に起こる現象で、気圧が一ヶ所だけとても低くなった時に一時的に起こる。強い気圧の差によって皮膚が引っ張られ、動いただけで自然と皮膚が切られる。その現象は時として刀よりも鋭利に切るが、あくまで瞬間的な事象のはず。
ここまで人間が自然に介入できるのかと、フェイズは動揺を隠せない。恐怖心と好奇心が彼を興奮させた。調べてみたい、この少年の本当の実力を!
「時間がナイから……早くやるヨ!」
裂かれる袖も気にしないで、大鎌を構える。大鎌にも鎌鼬が襲って、純白が悲鳴をあげた。
フェイズの言葉に反応したように、小柄な少年は一瞬で間合いに入ってくる! 拳を突き出し、ギリギリでかわされた直後に脚蹴りを鳩尾に叩き込む!!
「くゥッ……」
純也の蹴りは急所を突き、フェイズの長身が吹っ飛ばされる。飛ばされている間も鎌鼬によって服と共に皮膚が切り裂かれた。どうやら、周囲一帯に気圧の壁が生じているらしい。
素早く起き上がり、純也の姿を探す。ふっと影が過ぎって、即座に横に転がった。一秒前までフェイズがいた場所に、純也が勢いよく降下。軽い少年の身体からは予想もつかないような重い音と共に、地面に亀裂が入る。
だが純也の攻撃の手は休まらない。軽い身体で間合いに入り、激しい連打を繰り出してくる。フェイズはなんとか大鎌でそれらを防ぐが、動けばそれだけ、避けようの無い鎌鼬が襲い来るのだ。なにか手を講じなければ、殺される。この少年に。
しかし、鎌鼬は無差別だ。この状況を作りだした純也にも同様に、襲う。むしろ純也の方が素早く動いているのだから、傷はあちらの方が多かった。なのに、気付いてさえいない様子で、白銀の髪の少年は止まらない。乱れた髪が、純也の顔を隠す。
「ボクも押されっぱなしジャないヨっ!」
渾身の一突きで、鎌の先端を使って小さな身体を吹っ飛ばす。軽々と宙に浮いた身体が鎌鼬に裂かれていくのが、まるでスロー再生されているようにはっきりと確認できた。砂埃を上げて倒れ込み、動かなくなる。
終わったのかと、フェイズが膝をついて安堵の息を漏らした時だった。ぴくっと再び純也の腕が動き、よろよろと立ち上がる。
「マダ動けるのカイ……!?」
「あ、あぁ……う……」
しわがれた声が微かに聞こえた。強い鎌鼬が、ふらつく少年の肩を深くえぐる! 血管と皮膚が引きちぎられる音がしたが、聞こえないように純也はもう一度構え、飛び込んでいく!!
避ける術は、もう情報屋には残されていない。
解放してしまった禁忌を止める術も、フェイズには無かった。
「ゴメン……ヴァーゴ……!」