第四章『怨念の策略』(3)
昼間だというのに小さな窓しかない為に独房の中は薄暗かった。微かに監視員がいる方から聞こえるラジオの音に、真は耳を傾ける。電波状況の悪いここ拘置所では未だにラジオを使用しているらしい。所々ノイズに阻まれながら、こんなニュースが聞こえてきた。
『……えー、今月十二日からの連続殺人事件の容疑者が、二十一日に警察に捕まっていたことがわかりました。容疑者は東京都在住の野田真、二十五歳です。警察の推測どおり野田容疑者は十年前の《斬魔》殺人事件の模倣犯であり、大方容疑を認めているもようです。証言によりますと、「殺せれば誰でもよかった」などと無差別犯行を話しており……』
「……」
あまりのやり方に、思わず苦笑してしまう。ずっと黙っていたのだが、まさか証言まで勝手に偽装されるとは思わなかった。『野田真』だって笑える。
「『殺せれば誰でもよかった』、か。……ワイめっちゃ悪者やなァ〜」
他人事のように笑ってしまう。時に、表の組織の方が裏よりよっぽどとんでもない事を平気でやるものだ。ショックとか悔しいとかいう感情より、呆れた感じが勝る。
「失礼します。警視庁の者ですが……」
「はっ。ご苦労様です!」
監視官の緊張した声がした。誰かがこちらへ歩いてくる音がする。真が顔を上げると……初老にさしかかり気味の男が一人立っていた。真の口が半ば開き、遅れて言葉が出る。
「……コウイはん」
「十年ぶりだな、シン」
男の顔が嬉しそうに歪む。シワが増えた顔に、安堵が見えた。
「なんつーか……、ハゲたなァ、コウイはん」
「おいおいっ、十年ぶりの言葉がそれか!」
真の素直すぎる台詞にコウイが肩を落とす。顔はあまり変わらないが、薄かった髪がかなり無くなってるのは確かだった。
「あはは……、すんまへん。元気そうで何よりですわ。で、こんな所までどうしたんでっか?」
「お前なぁ。シンがここに捕まってるっていうから焦って来たんじゃないか。まさかこんな所で再会することになるとはな。俺はあの時、本当にお前が死んだんじゃないかと……」
あの《斬魔》が処刑された時、無意識に苦悶の叫びを出したのを覚えている。そんな様子を見れば、死んだものと思われても当然だろう。
「……ほんまにすいません。ワイもこんな事になるとは予想しませんでしたわ」
「やはりあの証言は嘘か」
腕組みをし、コウイはため息を吐く。険しい表情で真を見つめた。
「しかも偽名までつけられて……何か言ったらどうだ」
「ワイが何言っても相手にされんでしょう。まァ一度は死んだ身やし……十年生き長らえただけでも儲けモンってことで」
「俺はそんな結末は望まない! それで罪を犯した者を野放しにして終わるっていうのか!」
「……コウイはん、忘れてへんですか。ワイだってその野放しにされた者なんやで?」
「っ!」
立ち上がった真が、牢の柵越しにコウイと相対する。十年前は見下ろしていた少年が、今ではやや高いぐらいにたくましくなっている。髪や声は変わったが、浅黒い顔は変わらない。……その、全てを受け入れた大人びた苦笑も。
「わざわざ来てくれてありがとうございます。でも、遅れながらにして制裁の時がきたのかもしれません。ワイはここで裁かれるべきだと」
「……いいのか」
「え?」
「お前はそれで、本当にいいのか? 残してきたモノはないのか」
「……」
真は俯く。ふと、頭を友里依が過ぎった。そして、中野区支部の部下達も。
残してきてしまったモノ達。無責任と言えばあまりに無責任だ。しかしもう自分にはどうしようもない……。
「信じとるから。……ちょっと不安やけど、みんなの事、信じておるから」
だからいいのだと言う真に、コウイは微笑む。「そうか……」と首を振りながら、少しだけ幸せな気分になった。あの寂しい少年は、この十年で生きる支えを再び見つけられたのだ。とても幸福な、生き甲斐のあるモノ達を。
ふと意識に雑音が入ってくる。その音は除除に大きくなってきていた。
「何か外が騒がしくないか……?」
「へ? そう言われれば……」
何やら叫び声が遠く聞こえてきた。直後、地響きと爆発音が轟く!
「な、何や!?」
警報が鳴った。緊迫した声色で、放送が響く。
『拘置所内に侵入者がありました! 見回りの者は外へ、監視の者は総員監視体制に入ってください! 繰り返します……っ』
「侵入者だと? 今時拘置所破りなんているのか……?」
「実際来てるみたいですなァ。しっかしアホやな、拘置所に来るなんて物好きにもほどが――――」
すぐ壁の向こうでガチャッと金属音がしたと思うと、次の瞬間には物凄い衝撃で独房の壁が吹っ飛んだ! あまりに驚いて、崩された瓦礫の山を二人で呆然と見つめる。
「あっ、ビンゴっ、真発見〜!」
「こ、の声は……」
穴が開いたことで急に独房に光が差し込む。その先に、二つの逆光になったシルエットがあった。あまりにも見慣れ過ぎた、予想もしなかった人物の影が。
それは……こちらに向かって元気に手を振っている希紗と、小型のロケットランチャーを肩に担いで瓦礫に片脚をかけた澪斗。
「な、なな……!」
柵に背中を預け、驚愕して思考が回らなくなる。しかし、今一番言うべき事を叫んだ。
「何やっとんのやお前らァァ〜っ!!」
「いや、何って『拘置所破り』」
「こないな風に壁ぶっ壊しおって! 何考えてんのやっ!」
「特に何も考えてはいない。この壁が邪魔だったから破壊したまでだ」
当然の如く言い放つ澪斗に、頭を押さえたくなる。コウイと話していたから良かったものの、あのまま壁に寄りかかって座っていたら今頃は瓦礫の下敷きだ。一瞬、(殺しにきたのか……?)と疑ってしまった。
「おい……アホな侵入者ってまさかあんたらの事なんか……?」
「誰が阿呆だ。撃つぞ」
向けられたロケットランチャーの砲口に、真は焦って両手を上げる。まさかもなにも、彼らのドコをどう見たら普通の面会者に見えるのか。間違いなく、この二人が騒ぎの原因なのだ。
「ちょっと、そんな事言ってる場合じゃないってば! 見張りが来るわよ」
「何しに来たんっ? どうして――」
真の言葉を遮るように、澪斗が腕を振って真にモノを投げた。それを受け取り、真はさらに驚く。
「阿修羅っ!?」
「……その刀をフォックスに調べさせた結果、事件で殺害された者の血液が一人も検出されなかった。よって貴様がここにいる理由は無いと判断した。犯人もわかったことだしな」
「まさか、犯人って……」
「真、今それどころじゃないの! 遼平から連絡があって、友里依さんが何者かに誘拐されたって!」
「何やて!? 誰がっ」
「わからない! でもとにかく行ってっ! ここは私達がなんとかするから!!」
鞘を握り、真は躊躇する。もちろん友里依を助けにいきたい。しかし、ここを二人に任せるというのは……。
「何を迷っている! 貴様が行かないでどうするんだ!」
「お願い行って! 外で遼平が待ってるはずだからっ」
駆けつけてきた見張りの人間に、澪斗が引き金を引いて威嚇射撃をする。それでも何人かが爆風で倒れていった。
「……いい仲間ができたんだな、シン」
背後で穏やかにコウイが呟く。柵から手を入れて、そっと真の背中を押した。
「行けよ。お前の居るべき場所はここじゃない」
「…………はい」
一歩、また一歩前へ踏み出す。光の方へ……仲間の方へと。ここで死んでいる場合じゃない。護りたいモノがある。裁きはその後でも遅くはない。
「走って真! 道は私が開けるっ」
希紗が小型の機械を投げると、閃光と煙が炸裂した。爆弾ではない……ただの発光弾だ。
「……俺達の部長は貴様以外は認めん。行け」
「やーっぱ、私達は五人揃って中野区支部でしょ!」
「澪斗、希紗……。恩に着るっ!」
煙の中を、部長は駆け去っていった。やがて完全に真が逃げた後に、煙は晴れる。戸惑う見張りの前に立っていたのは、二人の侵入者のみ。男の方は担いでいたロケットランチャーを投げ捨てる。
「澪斗の用事って、アレだったんだ」
「これが一番てっとり早かったからな」
「遼平は絶対気付かなかっただろうね〜」
その予想は見事に的中している。なんだかんだ言って一番証拠を掴めたのが澪斗だった。
「そういえば……、『俺は貴様らを信用した覚えはない』じゃ、なかったの?」
意地悪い笑みで希紗は問う。かなりの人数に囲まれながら、まだ二人は余裕の様子だ。澪斗は顔を背けてぶっきらぼうに言う。
「フン、俺は信用していない。……ただ、疑っていないだけだ」
「なんか矛盾してない〜?」
「……」
もう澪斗は何も言わなかった。なんだか不機嫌そうにノアを構える。希紗も倣って特製の発光弾(こけおどし用)を手にする。
「蹴散らすぞ、希紗!」
「まっかせてっ」
ノアから発射された苺ジャムが合図となり、たった二人の侵入者を相手にした乱闘が始まった。