第三章『咎人の舞台』(5)
大きくないビルの最上階の一室で、老人は通信画面を前に話していた。
『どういう事ですか。あなたがしっかり管理すると言うから任せたのですよ?』
「そちらも随分と処理に困っていたじゃないか。第一、私は彼を《管理》すると言った覚えは無いね。彼の意志で私についてきてもらったんだ」
『またそういう屁理屈を……。あなたのせいで被害者が出たという事実を、わかっているのですか?』
「おや、心外だね。彼は容疑を認めたのかい?」
『前回と同じく、黙秘を続けていますよ。まぁ、ヤツがやったのは九分九厘間違いないでしょう。今回は手を出さないでいただきましょうか? 今度こそ斬魔を処刑します』
「名前の無い彼で、裁判でもするのかい?」
『氏名などいくらでもつけることは出来ます。すぐヤツには死刑宣告がされますよ』
画面の眼鏡の男は、勝ち誇った表情をする。老人は変わらぬ穏やかな笑顔で話を続けた。
「君も随分と手際が良くなったね。そこは褒めるべきかな?」
『心にも無いことを。もうあなたが何を言っても無駄ですからね、くれぐれも余計な真似はしないようお願いしますよ』
「はいはい、わかったよ。私は何もしないよ」
老人は肩をすくめる。男はそれに満足したように頷き、別れの挨拶を言って丁寧に通信を切った。暗くなった画面と、老人が静かに佇む。
「近頃の警察は、立派になったんだねぇ……」
机に両手を組み、その上に顎を乗せて呟く。老いているのに年齢がよくわからない不思議な外見の老人は、楽しそうに微笑んだ。
直後、小さくノック音が室内に響く。事前に知っていたように老人はゆったりと椅子の背もたれに寄りかかった。
「どうぞ」
「失礼します」
老人の言葉に反応して高い声が返ってくる。同時に、大小二つの人影も。
「今日はいろんな人に会えるなぁ。……久しぶりだね、遼平、純也」
「お久しぶりです、社長」
入室してきた白銀の髪の少年が、深く礼をする。紺髪の男の方は老人に見向きもしなかった。
「二人揃って、どうしたんだい? 確か今日は、私の誕生日じゃないはずだけど」
「けっ、誰がジジイの誕生日なんて祝うかってんだよ。とっととくたばれ」
「遼っ! すみません社長、僕達用事があって……」
親指を下に突き出して遼平は老人を忌々しげに睨む。とても社長に対する態度ではない遼平を、純也は軽く小突く。相変わらず、社長に隠すことなく嫌悪感丸出しだ。風薙社長はそんな二人の様子を、穏やかな微笑みでただ眺めている。
「私に用事? 何かな」
「しらばっくれんなよジジイ! 見当はついてんだろうが」
「……真の事かね」
「やはりご存じだったんですね、社長。僕は、その事について二つ用事があって来ました」
純也が真面目な顔つきで一歩踏み出る。遼平は不満そうな表情でそっぽを向いた。楽しそうな瞳で、風薙社長は純也の次の言葉を待つ。
「一つ目は部長、霧辺真からの伝言です。『今日中に自分を辞職させてほしい』と」
「彼らしいねぇ。こちらに警察の手が回る前に繋がりを断ち切るつもりかい」
しみじみと言う社長の前で、純也は両手を握り締めて昨晩の会話を思い出す。言い渡された部長命令。彼が下した、最初で最後の……。
「それで、二つ目の用事は何だね?」
「僕からのお願いです。……今の辞職願いを、却下してください」
風薙社長の細められた眼がやや開いた。純也は声を荒げる。
「お願いします、真君を辞めさせないでくださいっ」
「部長格の願い取り下げを君一人で出来ると思うのかい?」
「だからてめぇに頼んでんだろうがっ!」
遼平が急に社長の机に手を叩きつける。頼むような態度ではないが、それでも風薙社長が気を悪くした感じは無い。純也も遼平を止めることを忘れ、必死に頭を下げる。
「真君は絶対に無実なんです! だからっ」
「警察なんか信用できねえ、俺達が犯人を見つけてやる!」
「……君達は真を疑ってないんだね。何故だい?」
「物理的証拠はまだありません。ですが、僕達は真君の人格を信じています。お願いです、引き延ばすだけでもいい、辞職は待ってくれませんか」
「人格、か。今の真に人は殺せない、と?」
「そうです」
「……わかった、とりあえず君達の願いを受け入れよう。でも、引き延ばすだけだよ?」
「ありがとうございます!」
純也は嬉しそうに頭を深く下げる。遼平も小さく「どうも」と呟いて下がっていった。礼を述べて退室しようとした二人に、ふと思い出したように風薙社長は口を開く。
「そういえば……、澪斗も今日は本社に来てたよ。情報部に用があったみたいだったけど」
「澪君が? 確か今は仕事中のはず……」
「けっ、あんなやつなんか知るかってんだよ! 余計なお世話だジジイっ」
「おやおや、なんだかいつにもまして仲が悪そうだねぇ。もし真が帰ってこなかったら……彼が次の部長かもだよ?」
「なんだと!? 冗談じゃねえ、絶対に真を連れ戻すぞ純也!」
「あはは……、そうだね」
苦笑いになって、純也は部屋を出る。先に出ていってしまった遼平を追っていった。
再び静けさを取り戻した室内で、風薙は立ち上がり、背後に広がっていた巨大な窓ガラスから灰色の街を臨む。ガラスに、実に愉快そうな老人の顔が映る。
「私は何もしないよ。……私は、ね。」