第三章『咎人の舞台』(2)
先日と変わらない路上で、二人の男と女が座り込んでいた。
「なーんで出てってくれへんかなァ」
「この前も言ったでしょ。私の勝手よ」
今までの荒れ様が嘘のように、路地には他にほとんど人が見られない。この横に座っている警備員の働きで、この辺りの若者は退去していった。
「予定では今日、警察が来ることになっとるんよ? あんさんなんか、職務質問されたら怪しまれるで?」
「その台詞、そっくり返すわ。そっちこそ、一発で逮捕されるわよ?」
「いや、ワイは危なくなったら即逃げるから」
「……あんた、見かけ通り弱腰ね」
呆れてため息が出る。『街の平和を護る』とか言ってたくせに、いざとなったら逃げるのか。まぁ、こんなヘラヘラとした男が強いわけもない。
「ワイは平和主義者なん。別に、痛いのが嫌だからとか、そういう理由じゃないでっ」
「はいはい、一生言ってなさい」
もう相手にする気も起きなくて、友里依は適当に話題を変える事にした。何故か、この場から立ち去ろうとは思わなかった……どうしてだろう、この人間とは一緒に居ても退屈しない。
「それで、この前のヤバかった同僚、どうなったのよ?」
「あ? 純也のことか? ……あれはなァ、ほんまに大変だったで〜。駆けつけてみたらもう不良の半分は倒れててな。それで同僚の遼平――こいつがまたアホでどうしようもないヤツなんやが、そいつをまだ見習いの純也と二人で止めに入って。結局不良のグループは逃げていったんやけど、倒れてるやつらの処理に困ったんで、純也と全員の意識が戻るまで看病してな。そしたら気がついたやつは皆、遼平の顔見て泣いて逃げていったんよ。……よっぽど怖い目にあったんやろなァ……」
「……ちょっと、そんな凶暴なやつが同僚なワケ?」
「んー、まァ正確に言えば『部下』やな」
「部下?」
「ワイ、一応中野区支部の部長やねん。だから、社員は部下ってことになる」
「部長〜!? あんたにそんなの勤まんの?」
「……ほんま、あんさんキツイなァ……。ワイかて、望んでなったわけやないで? ウチの社長が勝手に決めたんや」
「何よ、出世したんだから素直に喜べばいいじゃない」
「それが全然喜べる状況とちゃうんやって。みんな人の話は聞かんし、すぐケンカ始まるし、自己中心的人間ばっかやし、まともに仕事しようとするヤツおらへんし……」
色々と苦労を思い出したように、男は深い深いため息を吐く。こんな見た目だが、苦労が多いらしい。急に男の背が暗くなったように友里依は感じた。
「なんかよくわかんないけど……、ま、まぁ頑張んなさいよ。ね?」
「うぅ、ありがとな〜」
何故自分が励ます立場になっているのかわからないまま、とりあえず男の肩を叩く。いじけた子供のように金髪の警備員は背を丸くしてアスファルトの地面を指でなぞっていた。
「あんさん優しいやん。ワイ、わかってくれた人は初めてやわァ〜……」
なんだか泣き出しそうな男に、友里依は思わず微笑んでしまう。こんな人間が裏社会の者だとはやっぱり信じられない。普通……ではないが、全然怖くない。
「……ねぇ、あんたシンっていうんでしょ?」
「へ? ……どうしてそれを?」
「通信で散々名前呼ばれてたじゃない。本名は?」
「……」
困惑したように眉間にシワを寄せる警備員に、友里依は首を傾げる。名前を言いたくないのか?
「どしたの?」
「なんちゅーか……ワイ幽霊やから、本当は名前無いねん」
「は??」
いきなり幽霊などと言い出した男は、苦笑の表情で空を仰ぐ。追究したかったが、ついつられて友里依も夜空を見上げていた。何にも無い闇。東京ではもう星を見ることは叶わない。
「もう存在の許されない生物……生と死の狭間のモノ……光ることも、輝いて散っていくことも出来ない、中途半端な星くず――――」
《何か》を願っているようなのに、きっとその《何か》を、この男は自分でわかっていない。更にそれを知っているから、自嘲を浮かべて。その奥には、激しい自己嫌悪。
何故かそんな男の心が痛々しくて、友里依が口を開いたのと同時に…………遠くパトカーのサイレンが聞こえた。