第二章『斬魔』(5)
自分は地獄に逝くべき人間ではない。
地獄などでは許されない……もっと、もっと、永久に苦しみ続ける場所へ――――。
瞳を、開く。開くことが、出来る。寝かされた身体、その四肢の感覚が、ある。
「……?」
古ぼけた見知らぬ天井が見えて、真は上半身を起こしてみる。それだけで、何故か目眩がして身体がすごく重い。
「やっと生き返ってくれたね。待っていたよ」
人の気配など全く感じなかったのに、突如かけられる声。驚いてその方向を見ると、小柄な老人がいた。高齢で不思議な雰囲気の、白髪の老人。
ここは、どこかアパートらしき何の家具も無い部屋、その先のキッチンで穏やかに緑茶をすすっている老人。寝かされていた身体には、毛布。
「生き、返った……? ワイ、まだ死んでへんのかっ?」
「あ、ゴメンゴメン、ちょっと変な言い方しちゃったね。君の身体は、一度も死んでない。《霧辺真》も《斬魔》も、もう死んでしまったけれど、確かに君は生きている」
「どういう……意味や? あんさん誰なんや?」
「私は君のことを知っている。でも、君は私のことを全く知らない。フェアじゃないけど、これから私の説明を聞いて……そして、契約の話をしたい」
老人の語りは何の脈絡も無いようで、真は混乱するばかりだ。けれど、年齢以上に大人びた……いや、何もかもに絶望した彼は、流れに任せることにした。
「あ、でもその前に、コレを君に返しておこう」
老人が差し出した棒状のモノは、間違いようもなく、
「阿修羅……!」
受け取ることができない、その様子を見た老人は少年の手元にそっと刀を置いた。そして、本題に入る。
「君は死んでしまうには惜しい人材だ。だから、警察の上の方に頼んでココに運んできてもらったんだ。ちょっと荒々しい方法でゴメンね、かなり強力な麻酔を打ったらしくてさ」
「なら……あんさんが、ワイを死なせなかったんか!」
老人の胸倉を掴む。この老人のせいで……死ぬ機会を失った! 何故こんな老人がそんな事が出来るのかとか、そんな事は真の頭の中に無かった。ただ、目の前の男のせいで死ねなかった……それは事実だった。
「そうだよ。君にはまだ生きててもらわないと」
「何でやっ、何でみんな死なせてくれへんのや……!」
老人の胸倉を離し、がっくりと膝をつく。床についた両手のすぐ隣りに、まるで鞘のままだと木刀のような阿修羅が転がる。《あの時》と同じだ……また、阿修羅と自分が……。
「……そう簡単に死ねると思わないでね。あれだけ他人を殺しておいて自分も死のうなんて、虫が良すぎるよ」
手をついた真の前で、老人は淡々とした口調で続ける。
「私は、君の償いを手伝おうと思ったんだ」
「償い……?」
「そう。君の犯した罪は重い。だから、これからの人生をその償いに費やしてみないかい?」
「……ワイに何をさせようって言うんや?」
「《守護》さ。護ってほしい、君の力で」
「護る? 一体何を?」
「そうだねぇ……人々の大切なモノを――――想いを」
顔を上げた真を見つめ、やっぱり微笑んだまま老人は語る。真はそこで初めて気づいた。気配を感じてわかる、この老人はあまりにも強大な力を持っている……隠しきれないほどの。真の力でも、全く敵う気がしない。
なのに、力ずくで無理矢理に引き込まず、温厚な微笑みを崩さずに。
「地獄より苦痛に満ちた世界……『裏社会』で、《守護業》をやってみないかい? 私はね、『ロスキーパー』っていう裏警備会社の社長なんだ。つまりは、君をスカウトしようと呼んだってこと」
「ロスキーパー……?」
「うん。もちろん、決定権は君にあるよ。多くの生命を奪ったその刀と共に、護ってみないかい? 贖罪、として」
《阿修羅》と共に? 償いきれるわけがない……しかし、自分は罰せられるべき存在。この命を《守護》に捧げることで、それが罰となり、贖罪になるのなら。
「……やらせてください。お願いします」
土下座をして、深く頭を下げる。この老人になら、ついていく。
「ありがとう、真。じゃあ一緒に来てくれるかな、本社へ案内するよ。ココは、私のちょっとした隠れ家のような所でね」
湯飲みを置いて、老人は玄関へ歩き出す。
真は一瞬、その手に再び阿修羅を握ることを躊躇ったが……光の戻った瞳でいつよりも強くその鞘を掴んだ。
「あのっ、ところで社長はん、お名前は……」
「あぁ、忘れてた。私の名は、『風薙』……よろしくね」
そして霧辺真は決意した。この老人に忠誠を誓うことを。もう、あの《声》に負けないことを。……この身が滅ぶまで、贖罪の為に護り続けることを。