第二章『斬魔』(3)
「ごめん……ごめんな……、真」
「母ちゃんっ、何でや、何でなん!?」
目の前で血溜まりに倒れている母親を、真は揺り動かしていた。
「母ちゃんな、やっぱり真を殺すことなんてできへんのや……ほんまに……ほんまにごめんな……」
横には既に息絶えた父親の死骸がある。腹部からの出血が止まらない母親の身体を、真は抱いていることしかできなかった。
「母ちゃん、ワイもすぐに逝くから……」
母親は、余力を振り絞って首を振った。薄れゆく視界の中で、愛する息子をその瞳に映しながら。
「真……あんたは生きて。どんなでもエエ。生きてや……」
そして母親は最期の願いを託して、息を引き取った。流血が弱くなっていく……その温もりが感じられなくなる。
「何でや……っ、何でなんやァァァ――――っ!!」
悲痛な叫びが居間に木霊する。両親の屍と、血の海、そして両親の命を奪った凶刃《阿修羅》が残される。ただ一人生き残ってしまった真と、阿修羅が……。
一家心中だった。ヤミ金融業社に謀られ、返済が不可能になっての苦渋の決断だった。だが、最後の最後になって、母親は真だけを殺さなかった。しかも「生きて」との願いまで託して。
「どうすれば……ワイはどうすればエエんや……」
両親が死んだ今、一体何を支えに生きていけばいいのか。しかし母親の最期の願いを裏切るわけにはいかない。どうして……どうしてこんな事に……っ。
「阿修羅……」
脇に転がっている血に染まった黒刀、阿修羅が鈍く光る。霧辺家の家宝……凶刃《阿修羅》が。
その時、声を聞いた気がした。低く、闇から響くような圧倒する声。
『……悲しみにくれる者よ、何を恨む?』
「あいつらを……父ちゃん達をはめおったあの金融会社を!」
『……心弱き者よ、何を望む?』
「力や……ワイに力さえあれば……!」
『憎悪に燃えし者よ、ならば我を手に取れ。そして全てを斬るのだ!!』
真は阿修羅をその手に握った。禍々しくも生命の輝きを宿した、その刀を。奪った命の紅を吸ったように、その黒刃はとても煌めいて。
「行くで、阿修羅!」
女のように長かった黒髪を払い、少年は立ち上がる。服を紅に染めたまま……《斬魔》が生まれた瞬間。……それは真が中学三年生、十五歳の秋のことだった。
着ているスーツを乱した男は、焦って腰を抜かしたまま、後ずさる。目の前には護衛だった人間の死体群と、一人の少年。黒髪を血に染めた少年が一歩一歩近づいてくる。
「たた、助けてくれぇぇ……っ」
「……死ねや」
一瞬だった。瞬きする間も与えず、間合いに入られて一刀のもとに身体が二つに分断される。鮮血が降って、再び少年を紅に塗る。
裏社会の組織まで一人で全滅させた少年は、無表情でしばらく自分が斬り捨てた躯を眺めていた。ここまでくる途中で受けた傷の痛みなど無いように、もう自分か他人のモノかわからぬ紅を身にまとって。ただ、復讐のために……。
真の家をはめたヤミ金融業社には、裏組織の援助があった。既に金融業社の社員を皆殺しにした彼は、裏組織に乗り込み、今殺戮を完了させた。……しかし、これで終わってくれはしなかった。
「…………殺す」
まだこの組織のバックには資産家、そして政治家まで関わっていたことを少年は知ってしまう。今の真にとって、もはや社会全てが復讐の対象になりつつあった。
殺す。関わった者全てを。耐えきれない苦痛を味わわせて。
「や、やめ……!」
「あああああぁぁああっ!!」
「こ……んな子供に……!?」
「……全員、早う地獄に逝けや。ワイが逝かせてやるさかい……」
それは、《斬殺する魔物》――――子供の純粋な憎悪と、人ならざる力が成す、赤い、紅い、《斬魔》。
◆ ◆ ◆
……それから斬魔の犯行は、除除に関西から東京へ近づいていった。その間僅か三ヶ月。想像以上に巨大だったヤミ金融のネットワークに関わった者、会社を潰していき、やがて辿り着いた首都東京で。
「ひ、ひいぃぃぃ……っ」
「……あんたで最後や」
参議院議員オオアサ タツロウの豪邸で、斬魔は最後の仇を前にしていた。あの金融業社を裏からバックアップし、賄賂を受け取っていた政治家。
真は正門から真っ直ぐ侵入し、警備員や召使いの人間も斬殺して最奥のオオアサの書斎まで来た。まだ若い参議院議員は、命乞いをする。
「お前が……斬魔……! 頼む、許してくれ! 何故私が殺されなければいけないんだっ」
「……わからんのか」
「お願いだ、何でもする! 教えてくれ」
「…………あんたが援助していた金融会社のせいで、ワイの家族が死んだ。死ぬ前に、それだけは知っておき」
少年とは思えない低く重い声。思考全てが憎悪に満たされた殺人鬼の、音。
「慰謝料でも何でも払う! だからっ、命だけは……!!」
「金なんていらん。……早う、死ね」
刀を、突き出してから、一度鞘に戻す。そして、足に力を込めて。
「《動》の章、第四奥義、毘沙門天」
居合い抜きで凶刃が光った。黒々と鋭利な煌めき。それを最期の視界におさめて、オオアサは真っ二つに裂かれていた。
「…………終わった……」
血液を払って阿修羅を鞘に戻し、振り返る。大きくパトカーのサイレンが聞こえ、やがて警官隊が大勢書斎に流れ込んできた。
「現行犯逮捕だっ、観念し――!?」
最初に部屋に入ってきたコウイ刑事は、唖然として言葉を切ってしまった。猛烈に臭う血と肉の悪臭など、感じなくなるくらいに。
「そんな……子供、だと!?」
周りの警官隊も息を呑む。世間を騒がせた連続殺人犯《斬魔》であろう人間……表社会だけでものべ百人以上を殺害した人物……様々な推論が言われてきた中で、今その犯人が目の前にいる。長い黒髪の、少年が。
「なっ?」
ゆっくり血塗れの少年が先頭にいたコウイ刑事へ歩み寄ってくる。警官隊が一斉に銃を向けた。
「……」
腰に差していた刀を、少年は刑事に差し出した。呆然と、その意外に重い刀を受け取る。
ほんの少しだけ、沈黙が場を支配する。しかし、誰かが意を決して《斬魔》に飛びかかる。
喚声と共に警官隊が一気に少年に群がり、少年は全く抵抗せずされるがままになって取り押さえられていった。