第二章『斬魔』(2)
「希紗、一つ訊く」
「何?」
「……コレは何だ?」
たった三分で倒した裏オークション警備員を片足で踏みつけ、赤色が流れる床を眺める。
希紗が背を向けて立っていて、スパナをベルトに戻していた。まだ先の長そうな通路は、再び静寂が。
床中に広がった赤い液体を指し、澪斗は率直な疑問を口にしたのだ。
「ふふふふ〜、何だと思う〜?」
「俺に問うな。わからんから訊いているのだろう」
「……もしかして、本気でわからないの?」
「見当もつかん」
「はぁ……」と大きなため息を吐く。こんなに強い匂いがするのに、わからないのだろうか。せっかく驚かせてやろうと頑張って作ったのに。
澪斗が指しているのは、カートリッジ式銃から発射された赤く粘性のあるこの液体である。強い、甘い香りが通路中に漂う。今回の弾(?)は何なのか?
「これはね、事務所近くのスーパーで購入した無添加百パーセントの……苺ジャムよ!」
バーンッとどこから取りだしたのか苺ジャムの瓶を突き出す希紗。勝ち誇った表情の彼女の前で、澪斗はこれ以上無いくらいの嫌な顔をする。
「苺ジャムだと? 貴様、仕事をなめているのかっ」
「まっさか〜、私はバリバリ真剣よっ! 結構威力あったでしょ?」
確かに五人もの大の男が苺ジャムによって撃退されている。だが、よりにもよって苺ジャムなのだ。
「あ、ごめん、澪斗はブルーベリーの方が好きだったっけ?」
「そうだ、ブルーベリーは視力に良いから……って、違う! ジャムなど入れるなと言ってるんだ!」
「大丈夫よ、自然にも子供にも優しいんだから」
「……俺に優しくしてくれ……」
項垂れて、敗北を感じる澪斗。腰に収めたノアから可愛らしい苺の香りがしてくる。
「……ねぇ、私からも一つ訊くけど」
「何だ」
「どうして今回の仕事、勝手に私と澪斗に決めたの?」
今回の依頼は、希紗の策によると二人いれば充分だということだった。しかし『一切の責任を負う』などと勝手に言い放った澪斗は、独断で希紗を指名したのだ。
「蒼波が今の状況で(いや、いつもだが)冷静に動けるとは思えん。純也なら尚更だ。貴様なら、あいつらよりは仕事に身が入ると考えた」
「……ちゃんと考えてたんだ」
「当然だ。これしきの事で混乱しているようでは未熟だ」
「澪斗は……真のこと心配じゃない?」
「フン、所詮他人事だ」
「……」
俯いた希紗を無視し、背後へ振り返る。駆けてくる男の足音を待ちながら……珍しく澪斗の方から口を開いた。
「殺人鬼の考える事など俺が知るか。人斬りは結局、人斬りのままという事だ」
「信じて……ないのね」
「俺は貴様らを信用した覚えはない」
希紗を見もせず、追いついてきた荒井を確認して澪斗は再び歩き出す。
「うわぁ〜、ホンマに進むの速いですな。しかもあっさりと警備員を倒してまうし……俺、邪魔でっか?」
「いや、貴様がいなければ《金剛》の確認が出来ない。戦闘に巻き込まれないよう適度に距離をとって追ってこい」
床に倒れる警備員達を呆然と見渡して、荒井は問う。依頼人に対して、澪斗は無感情で命令口調。
「でも、商品の格納庫はすぐ先よ。もう警備員はいないんじゃない?」
情報で集めて作った地図を見て、希紗は通路の奥を指す。確かに、もう人の気配はしない。三人で進むと、通路から広がった空間、その先に扉。
「ちょっと待って! 面倒ね、すごい数の赤外線センサーが働いてる。あぁ〜、こんなシステム作ってみたいわ〜」
「私情を挟むな。こんなモノ、セキュリティの内に入らん」
赤外線の糸が見えるのは、希紗の持っているスコープだけではなく、澪斗の眼鏡……照準グラスにも映っている。その赤い糸の発信源へノアで連射すれば、やがて全ての糸は消える。
「わわっ、苺ジャムってこんなに便利なのね〜」
「……貴様、これを想定内で作ったのではないのか?」
驚いている希紗に、澪斗は頭を抱える。危なかった、何の疑いも無く撃ったが……他の弾丸だったらセキュリティが作動していたかもしれないのか。
頑丈そうな扉の横には、暗証番号を入力するための機械。もちろん、希紗達は暗証番号を入力する気など無い。荒井は不安そうに顔を覗かせた。
「どないするんでっか? まさか無理矢理壊すなんて……?」
「フン、俺をドコかの力馬鹿と同じにするな。希紗、やれ」
「はいは〜い。あんまり好きじゃないけど、ハッキングはそこそこ得意なのよね〜」
既に希紗が取り出していたのは小型のパソコンと、ソレから伸びるコード。そのコードの先端が、マグネットのように機械画面にくっつく。
パソコン画面に映される英数字の羅列。その文字を読みながら瞬時にファイアウオールを突破するためのウイルスプログラム作成を始める。
「希紗、どれくらいかかりそうだ?」
「んー、ここのプログラム、レベル的には中の下ね。最速で七分程度かしら?」
「よし、六分半で片づけろ」
「うわっ、相変わらずのこき使いっぷりね。……じゃあ、そっちは六分で片づけられる?」
「当然だ」
二人の会話に首を捻っていた荒井の耳にも、やがて大勢の人間達が駆ける音が聞こえてくる。しかし希紗は振り返りもしないし、澪斗は無表情で通路を見やるだけ。
「「カウント、開始」」
それぞれの敵へ、裏警備員は《一掃作業》に入る――――。
◆ ◆ ◆
暗い独房の中で、真は冷たい壁を背に座っていた。背後の上、高い位置にある小さな窓から弱い月光が差し込んでくる。ただじっと、精神を研ぎ澄ませるかのように目を細くしてこの牢の入り口を見る。
小さな音を立てて、不意に石が降ってきた。後ろの窓からだ。
「……誰や?」
掠れるような声で呟く。外に人の気配がした。
「僕だよ、純也だよ」
「純也っ? 一体どうやって……」
壁を隔てて外にいるであろう純也に、真は驚いて窓を見上げる。どうやってここまで侵入してきたのだろう?
「フォックス君にさ、真君が今どこに居るのか教えてもらったんだ。驚いたよ、いきなり拘置所に送りこまれてるなんて」
「何で来たんやっ。見つかったらどないするつもりなん?」
「大丈夫、その時は逃げるから。真君が心配で来たんじゃないか。友里依さんもすっごく心配してたよ」
「そうか……」
「真君は何にもしてないんだよねっ? すぐ出てこれるよね?」
「……」
返事が返ってこない。それは肯定の意なのか? ……それとも、否定……?
「純也、頼みたいことがある」
「え、何?」
「社長に……辞表を出しておいてくれんか。ワイたぶん、ここから出られそうにないわ」
諦めたような苦笑と共に、予想もしなかった答えが返ってくる。純也が壁の向こう側で動揺しているのが、なんとなくわかって真は辛かった。
「どういう事!? なんでっ?」
「そうやな…………ちーとばかり長くなるんやけど、昔話を聞いてくれるか? 情けない戯話を……」
そうして真は、ゆっくりと彼の過去を脳裏に蘇らせながら語りだした。