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勇者と魔王

勇者の真実

作者: 紫堂 涼


 ―――耳が痛いほどの静寂。時折響くのは天井より染み出した水が床に波紋を描く音のみ。この世に生を持つのは自分ただ独りのように思えてくる。

 今が朝なのか、夜なのかもわからない。そんなことを気にしていたのは遠い昔で、今は考える力さえ失われていた。

 目を開いても、閉じていても変わらぬ闇。唯人であれば正気を失うような、一切の光が射さない空間で、男はぼんやりと目を見開いていた。

 表情一つない男のその瞳だけは、ギラギラと何もない闇を睨み据える。


(俺が……何をしたというのだ)


 ただその思いだけが体の内を巡る。臓腑を焼き尽くすその憎しみのみが、男を男たらしめていた。

 痛み、悲しみ、苦しさ、希望、期待、切なさ……当初はさまざまな感情が男の中を渦巻いていたが、長い時間の間に、それらは純粋な憎しみへと凝り固まっていった。

 水の一滴、一滴が次第に岩に穴を穿つかのように、男の憎しみもまた、一滴、一滴と凝っては男の内を黒く染めていった。

 光一色であったその心は、当初その憎しみを受け入れることを是としなかった。だが、絶望の一滴が降り積もり…いまや男の心に光は欠片も無く、漆黒にその色を変えていた。

 ただ一つ残っていた光が消えうせた瞬間、男はゆっくりと立ち上がる。苔を食み、壁に滲む水を飲んで飢えを凌いでいたせいか、逞しく荒地を駆け抜けていた両足からは肉が削げ、自らの身体を支えることなどかなわなかったが、男は諦めることなく、失われた体の機能を取り戻すべく、動かしていった。

 どうせ時間など飽きるほどにあるのだ。男が焦る必要などなかった。


 人間としての生の範疇を外れたのが何時かはもう、覚えていない。

 身体が飢えを感じなくなった頃には、長い年月に男の手足を戒めていた鎖は腐食し、意味を成さなくなった。身体とともに、男の中に溢れていた魔力をも縛り付けていた枷はもう無い。かつての魔力と筋力を取り戻していた男は、唇だけで小さく呪をかたどる。長く話していなかった声帯は強張り、擦れた息しかでないが問題はなかった。男の意思に応えるように、何も無い空間に禍々しい力が渦巻き……いままでの静寂を破るように激しい音を立てる。


(―――美しい)


 暗闇に慣れた瞳に痛いほどの光は月光。爆風の名残で荒れる風は澱んでいた空気を欠片も残さず霧散させる。黴臭い空気に慣れていた身体には清々しい外の空気。久方ぶりのそれを味わうように吸い込むと、男は歪んだ笑みを浮かべる。

(あの時、これが見えていれば)

 今となってはどうしようもない思いが過ぎる。美しい夜の世界、自然の息吹、それらから溢れた力が己の周りをふわり、ふわりと巡り始める。

 その光に触れた瞬間、今まで理解できなかった全てが理解できた。

 形を成さないそれらは、人間が精霊と呼んでいたものだった。自分を慕うように寄っては離れるを繰り返すそれらに、忘れ果てていた「愛おしい」という感情が甦る。

 静寂に慣れ、鋭くなった耳に人々のざわめきが届くと、男は己の姿を隠し、その場から消えた―――その場には何一つ痕跡を残さず。



 カツリ、カツリと硬い足音が寂れた回廊を歩む。無言のままに足を進める男の傍に、ひとつ、またひとつと濃い気配が増えてゆく。それが何なのか、今の男には自然と理解できていた。

 ゆっくりと歩んできた足が止まり、目の前の玉座を見下ろす。煤けているその背をゆるりと撫でると、躊躇無くその椅子に腰掛ける。

 目の前に跪く存在。かつて目にしたことのあるそれらはよく覚えている。自分が刃で傷つけ、消滅させたものたちだったからこそ。


「俺が、今代の魔王となる。……よろしく頼む」

 まだ錆びた声帯から流れ出る声はひび割れ、擦れていたが、堂々と告げる。

「まずは……世を荒廃させる人間どもに宣戦布告といくか」

 呟きのようなその一言に応え、いくつかの影がその場から消える。それを見遣り、男が喉元で小さく笑う。

「さて……今代の勇者様は、どのような男なのだろうな」



 人間に忘れ去られ、楽しそうに嘲笑う男が、先代の勇者だったとは、今目の前に跪く力ある精霊たちしか知らない。元勇者を封じていた塔の存在は忘れ去られるほど、時は世界を過ぎ去っていた。

 世界を壊し、自然を壊し、それ故に怒り狂う精霊を魔物と呼ぶ人間達。

 魔王を失うは、世界の、自然の加護を失う事。それに気付くは勇者と呼ばれる者が魔王を倒してから後。

 代々の魔王が、かつては勇者と呼ばれ、望まぬままに戦いの中に身を投じた人間の成れの果てだと、人間はいつ気付くのだろうか。

 自分達が無理に押し上げ、持て囃し、崇め……そして最期には加護を失わせた存在として罪人として幽閉する。そしてすべてが伝説となった頃に復活する魔王。

 どうして魔王と呼ばれるものが、人間を絶やそうとするまでに憎むのか。その理由に気付くものなど……誰一人、いない。

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