3、魔物に取り憑かれた日
耳に入る音、音、音。
圧倒的なスケールで展開される、音の奔流が彼、エドワードに注がれた。
その衝撃は凄まじく、一瞬にして彼を現実から乖離させた。
心は遠く、遠く、遥か彼方へと飛んでいく。
冬の寒さに凍え、春の息吹に安堵し、襲い来る嵐に息を呑んだ。
音はただ一つの棒に支配され、艶やかに操られていく。
その様を陶然とした眼差しで見るともなく見ていることに、エドワードはまったく気付かなかった。
だた前のめりになり、一心不乱に聴きほれ、棒の動きにエドワードも支配される。
観客席に背を向けた指揮者のタクトが、楽団だけではなくエドワードすらも縛りつけていた。
異常なまでに昂揚していた。
それが、エドワードの在るべき場所を歪ませた。
―3―
あんなにも楽しみにしていたデート当日。
待ち合わせ場所に来ていた、イブリンの可憐な姿に目を奪われていたエドワードだが、今やすっかり見えていなかった。
イブリンなど今のエドワードには思い出すこともできない存在になっていた。
それほどまでに圧倒され、魅了されたのだ。
音楽という、怖ろしいほど美しい魔物に取り憑かれていた。
コンサートホールを後にしても、音楽はエドワードに取り憑いたまま。
むしろ、さらに強く心を支配し始めていた。
耳の奥で何度も何度も音楽が鳴り響く。
揺れるタクトがエドワードの心を揺らし、タクトに支配された音の連なりが襲いかかってくる。
気づけば家に帰りつき、今日聴いた曲のCDを探してかけていた。
「ちがう」
愕然とした。
「違う! こんなものは、違う!」
スピーカーから流れる音が不快だった。
雑音が混じり、スケールが小さい。
豊かな広がりもなければ、音のうねりもない。
あまりの不快さにエドワードはスピーカーを叩きつけ、飛び出したCDを真っ二つにしていた。
そこまでして、はたと正気付いた。
こんな感情任せなことをしたのは、人生で初めてだった。
なぜ折角、金を出して買ったものを無残なごみにしてしまったのか?
不快だったとしても、折ることはなかった。
自分の異常な行動に、エドワードはざっと鳥肌が立った。
そういえば、今日はデートだったのに―――
そして、挨拶もせずにイブリンと別れたことを、やっと自覚して呆然とした。
やっと勇気を出して声をかけ、ラッキーなことにデートに漕ぎ着けた好いた相手。
それなのに、エドワードはイブリンを夜のバーに誘うこともせずに帰ってきてしまった。
今日のために買ってきたCDで多少の知識を得、コンサートの感想を言い合いながらより親密になろと計画していたというのに、自分は何をやっているのか。
コンサートを聞いた後の自分の行動が、さっぱりわからなかった。
それでも、エドワードの耳の奥にはまだ音楽が残っていた。
正気付いたと思っていたが、それはエドワードの勘違いだった。
彼は未だに音楽に取り憑かれ始めたばかりで、その恐ろしさに気付くことなくイブリンへの後悔を抱えながら、その夜は終わりを迎えた。