1.メイド扱いの公爵令嬢
卒業パーティーから一ヵ月半前――。
アリーシアはイルディオン公爵家の応接間に立っていた。
王都に建っている壮麗な屋敷だ。絵画や彫刻などが飾られた美しい部屋には、ローテーブルを囲むように大きなソファが置いてあり、そこには婚約者である王太子ユスティスがゆったりと腰かけている。
彼に寄り添うように座っているのは自分ではなく、従姉妹のイザベラだった。
そして、アリーシア自身はメイドのように、彼らの後ろに控えていた。
メイドならお仕着せを身に着けているものだが、それすらない。何年も前のドレスで、流行遅れどころか、丈さえ少し短い。もちろん、着古しているので全体的にくたびれていた。
うなじのところで色褪せたリボンで結んでいる金褐色の長い髪も艶がない。かろうじて清潔さは保たれているものの、痩せていて不健康そうに見えるだろう。
何よりも自分の瞳には生気が失われているのは分かっていた。
こんな状況に陥ったら、誰でも生気を失ってしまうに決まっているわ……。
アリーシアはそう思いながら、楽しそうに会話している自分の婚約者と従姉妹を無言で眺めていた。
イザベラは金髪の巻き毛を揺らし、ユスティスにしなだれかかる。彼女の本当の髪の色は赤だ。しかし、それが嫌いで金色に染めていた。華やかなものが好みだからだろう。
ユスティスは薄茶色の髪だ。王族に多いのはもっと明るい髪色だけれど、王妃に似たのだ。彼も自分の髪色が気に入らないようだったが、さすがに染めるつもりはないようだった。
「ねえ、ユスティス様、こちらのクッキーはおいしいですわ」
「イザベラの屋敷の料理人はいい腕をしているな。ほら……口を開けてごらん」
彼はクッキーを摘まみ、イザベラの口に向けた。
「まあ……嫌だわ、ユスティス様」
彼女は恥じらいながらも口を開け、差し出されたクッキーをかじった。
「おいしい……」
「そうだろ」
「じゃあ、今度はわたしから差し上げますわ」
そう言いながら、イザベラはクッキーを手にした。
ああ、もう……馬鹿馬鹿しすぎる。
アリーシアは彼らのやり取りにうんざりしていた。
この家は二年前から叔父一家に乗っ取られている。叔父は公爵代理という立場を振りかざし、アリーシアを虐げていた。叔父の妻もまた母のものだった宝石を取り上げ、アリーシアに屋敷の端の狭い部屋をあてがい、使用人扱いをするようになった。
叔父の一人娘のイザベラはもちろんさまざまな嫌がらせをしてきた。美しいドレスも装身具もすべて奪われ、残されたものは何枚かの古いドレスと学園の制服だけだった。
あろうことか、婚約者まで奪われるなんて……!
いや、かろうじてユスティスはまだ婚約者だ。しかし、この調子では、それもいつまでそうなのか分からない。
だって、二人は堂々と身体をくっつけ、恋人同士の距離で話している。キスしているのをうっかり目撃してしまったこともあった。
わたしの目の前なのに……。というより、わたしの目の前だから、わざと当てつけているのよ。
内心、溜息をつきたくなったが、本当に溜息をついたら、二人に嫌味を言われるに決まっている。だから、必死で我慢していた。
アリーシアは名門イルディオン公爵家の長女として生まれ、両親や兄のオスカーと共に何不自由なく暮らしていた。
しかし、母が病で亡くなった後、二年ほど前に父が馬車の事故で死亡した。崖道から落ちたのだ。
谷底には雨で増水した沢があり、同じ馬車に乗っていたという兄は流されたのか、未だに行方不明だ。が、ほぼ死亡扱いとなっている。
十六歳のアリーシアはいきなり頼る人もいなくなり、世間に放り出された。葬儀で途方に暮れていたとき、たくさんの親戚が現れた。特にブランシュ子爵は公爵の代理を引き受けようと申し出てくれた。
ローレル王国の貴族法は女性の爵位継承を認めておらず、もし兄が死亡しているなら、公爵位は空位となり、国王に変換された後、改めて公爵が任命されることになっている。
ただし、アリーシアが十八歳の成人となれば、公爵代理となることができた。ブランシュ子爵はその歳になるまで代理を務めようと言ってくれたのだ。
彼は父の従兄弟だから、自分からすると遠い関係の人だ。しかし、イルディオンの一族ということで、他に頼る人もおらず、アリーシアの心は揺れていた。
そのときやってきたのが、母方の叔父であるルーグナー男爵だった。
叔父はなんと国王から直々、公爵代理を務めるようにという任命書を携えていた。
どうして国王が叔父を公爵代理に任命したのか分からない。しかし、国王からの直々のお達しを無視するわけにもいかなかった。そうして、叔父一家は公爵家に乗り込んできたのだった。
最初は叔父も叔母も、イザベラでさえ優しくしてくれた。だから、アリーシアは彼らに感謝すらしていたくらいだ。
アリーシアをユスティスの婚約者にどうかという打診が国からされたのは、その頃のことだった。叔父が勝手にそれを承諾して、二人は初めて顔を合わせた。
当時の彼はとても礼儀正しくて、優しかったわ……。
あの頃の彼を思い出して、アリーシアは遠い目になる。
叔父夫婦が両親代わりになってくれ、いずれ王太子妃になる。両親を亡くしたけれど、優しい人達に囲まれて本当に幸せなのだと、しみじみと思っていたのに……。
いつしか叔父夫婦とイザベラはアリーシアを蔑ろにして、自分達こそが新しい公爵夫妻だというふうに振る舞った。イザベラは公爵令嬢のような顔をして社交界にデビューし、アリーシアをメイド扱いしながら、ユスティスに接近した。
ユスティスは……。
彼はわたしを守るべきだったんじゃないの?
不当な扱いを受けている婚約者に気づいたら、救うべきなのだ。
国王に状況を説明すれば済むことなのに、彼はイザベラを好きになったらしく、アリーシアが虐げられているのを見て見ぬふりをした。
それどこか、最近はこうして堂々とこちらの自尊心を踏みにじるようなことをしてくる。メイド扱いされている婚約者の目の前で、平気で浮気するのだ。
でも、わたしはイルディオン家に伝わる魔法も碌に使えないから……。
貴族は魔力を持つ者が多く、由緒正しい家柄であれば、誰だってある程度の魔法を使えるものだ。しかし、アリーシアは生まれつき魔力が少なかった。イザベラの魔力のほうが多いくらいだ。
魔法を大切にする王家に生まれたユスティスからすれば、自分が侮蔑の対象になるのも分かる気がする。
だからといって、これほど蔑ろにされるなんて……。
そのとき、イザベラが命令してきた。
「ねえ、アリーシア。紅茶がぬるくなったわ。入れ替えて」
「はい……」
最初はこんなふうに命令されて、反抗したこともあった。しかし、叔父は国王から任命されたという公爵代理という立場を振りかざし、追い出されたくなかったら言うことを聞けと脅されてしまった。
叔父が公爵代理だとはいえ、この屋敷は公爵家のものだ。イルディオンに縁もゆかりもない者達が我が物顔に振る舞っていい場所ではない。
けれども、どこにも頼る人はいないのだ。追い出されてしまえば、一人で生きていくすべはなかった。子供の頃から知っている使用人だって、給料を払ってくれる公爵代理には逆らえない。
ブランシュ子爵に助けを求める手紙を出そうかとも考えた。が、今度は子爵が叔父と同じような振る舞いをするようになったらと思うと、それもできなかった。
叔父は母方だからイルディオンの血縁ではないが、ブランシュ子爵は近い血縁なのだ。それこそ、本当の公爵となるかもしれない。
わたしの家が本当に乗っ取られてしまうかも……。
それは嫌だ。
だって、いつかお兄様が帰ってくるかもしれないもの。
誰もが兄は亡くなったと思っている。けれども、アリーシアはまだ信じていた。あれから二年も経っているのだから、望みは薄い。だが、兄はアリーシアにとって最後の綱だった。
お兄様さえ戻ってきてくれれば、叔父一家を追い出せる。
それまでは、なんとか我慢はなくては。ここを追い出されないように、叔父一家の命令を聞くふりをしなくてはいけなかった。
だから、アリーシアは黙って飲みかけのカップとポットをトレイに載せた。それを持って厨房へ行き、お茶を淹れ変えるつもりだった。
なのに、いきなりイザベラがアリーシアを突き飛ばしてきた。
「あっ……!」
倒れた拍子に、カップやポットが絨毯の上に落ちた。中身はまだ入っていたから、お茶と茶葉が飛び散ってしまう。
「まあ、ユスティス様の前でなんてことをするの! 高価な絨毯を汚してしまうなんて!」
突き飛ばしてきたのはそっちなのにと思うが、反抗しても仕方ない。
「ごめんなさい」
小さく謝ると、カップやポットを拾う。カップの一部は欠けていた。それは母が大切にしていたもので、胸が痛む。
「茶葉も残らず拾いなさい」
「掃除の道具を持ってきます」
立ち上がろうとしたら、ユスティスが笑いを含んだ声で命令してくる。
「手で拾えばいいだろ」
「でも……」
「おまえは這いつくばっているのがお似合いだ」
こんなことを婚約者に言う男がどこにいるの?
思わず、ちらりと彼の顔を見上げた。すると、意地悪そうに笑っていて、イザベラの肩を抱いているのが見えた。
「ほら、早く拾え。拾わないと、王太子の権限で婚約破棄するぞ。そうしたら、もうここにはいられないかもしれないな」
彼までこういう脅しをかけてくる。アリーシアは悔しさのあまり唇をギュッと噛みしめた。
今、婚約破棄されたら、ますますこの屋敷での立場がなくなってしまう。
学園に通うことができているのも、多少みすぼらしくても清潔さを保っていられるのも、王太子の婚約者だからだ。さすがに学園で汚い格好をしていれば、公爵家はどうなっているのかと噂されるからだ。
仕方なく命令どおり濡れた茶葉を手でかき集めて、拾っていく。すると、ユスティスとイザベラは嘲笑した。
「公爵令嬢があんな真似をしているわよ!」
「令嬢なんて柄でもないだろ。おまえはメイドのほうが似合っているよ。おまえの代わりにイザベラを妃にしたら、王宮で雇ってやるよ」
「まあ、ユスティス様……妃だなんて、わたし……」
「俺はみすぼらしい奴より、可愛いイザベラのほうがずっといい」
二人は抱き合い、唇を合わせている。
わたしは本当に婚約破棄されてしまうの? 彼はイザベラを妃にするの?
そして、わたしはずっとこの二人に馬鹿にされて生きていかなくてはならないの?
涙を堪え、立ち上がると、顔を背けた。そして、逃げるようにトレイを持って応接間から出ていった。
ただただ、何もかも堪えがたかった。
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