プロローグ 卒業パーティーで婚約破棄してもらうわ
楽団が演奏する優雅なワルツに合わせて、着飾った男女が踊っている。
「いよいよ……だわ。今日ここで、必ず婚約破棄をしてもらわなくちゃ!」
イルディオン公爵令嬢アリーシアは蜂蜜色の豊かな髪をなびかせ、卒業パーティーが行われている学園のホールの出入り口に立った。そして、宝石のように煌めく緑色の瞳で、会場を見渡しながらつぶやいた。
わたしはこれからここで恥をかくかもしれない。
でも……大丈夫。悪いのはわたしじゃない。それだけは確かだから。
いつもの学園なら誰もが制服を着ているが、今日だけは違う。女子生徒はこの日のために仕立てた特別なドレスを身に着け、男子生徒もきちんとクラヴァットを締めた正装姿だ。
もちろんアリーシアも久々にレースやフリルがついている豪華なドレスを身にまとっていた。
この場にいるのは卒業生だけではない。婚約者がいる者は婚約者と出席しているのだ。しかし、アリーシアの婚約者はあろうことか、別の女性のパートナーになっていた。
会場は飾りつけがされていて、シャンデリアの灯りが輝いている。この学園はローレン王国の貴族や裕福な商人の令息令嬢が通っていて、寄付金もたくさん集まるという。だから、学園のホールであっても、貴族の屋敷並みに外観も内装も煌びやかなのだ。
アリーシアは中に進み出た。婚約者であるユスティス王太子とアリーシアの従姉妹・イザベラが楽しそうに笑いながら踊っているのが見える。
ユスティスもイザベラも中身はともかく容姿はいい。二人はその点でお似合いなのかもしれない。
周りでひそひそ話をされているのが耳に入る。
「アリーシア様よ……。惨めなものよね。従姉妹に婚約者を独り占めされちゃって」
「でも、仕方ないわよ。従姉妹のほうが綺麗だし、可愛いし……何より王太子様のお気に入りだもの。どんなに身分が高くても、愛されなきゃ価値がないわ」
「あら……だけど、今日のアリーシア様はいつもと雰囲気が違うわ。なんだか別人みたいに綺麗で……。ねえ、こんな人だった?」
「え……? そういえば……」
音楽が終わる。ユスティスとイザベラの二人は互いに見つめ合いながら礼をする。そして、微笑み合った。
アリーシアは彼らにつかつかと歩み寄った。
「わたしの婚約者がどうして他の女性のパートナーになっているのかしら」
声をかけると、彼らは一瞬ギョッとしたような顔になったが、すぐに意地の悪い笑みを浮かべて、こちらを見下すような視線を向けてきた。
「なんだ、おまえか。何か文句でもあるのか?」
横柄な態度でユスティスは唇を歪めて笑った。
「そうよ。だいたい、ここは召使い同然のあんたなんかが来るところじゃないのよ。そりゃあ、卒業生は誰でも来られるけどね……。で、そのドレスはどうしたのよ? どこから盗んできたの?」
イザベラは完全にアリーシアのことを馬鹿にしきっていた。だから、平気で貶めてくるのだ。
以前の自分なら言い返すこともできなかっただろう。唇を噛み、屈辱に耐えてうつむくくだけだった。だけど、今は違う。
アリーシアは泰然とした微笑を浮かべた。
さあ、ここからが始まりよ!
「さる御方がプレゼントしてくださいました。婚約者からは何もいただいていませんけど。……ああ、わたしの婚約者は浮気者ですから、仕方ないですね」
途端に、ユスティスは顔を真っ赤にして叫んだ。
「なんだと? 王太子の俺に対して不敬だな!」
彼を怒らせるのが目的なのだが、彼はそれに気づいていない。
「本当のことじゃありませんか。ここにいる皆さんもご存じでしょう。わたしが殿下の婚約者であることは。でも、殿下はわたしの従姉妹とばかり親しくしていらっしゃる。これが浮気でなくて、なんと呼ぶのです?」
「おまえより、イザベラのほうが何百倍も何千倍も美しくて、俺にふさわしいからだ!」
イザベラは彼に褒められて、嬉しそうにしている。
「そうですか。では、何故わたしとの婚約を解消しないんです? イザベラを妃にしたいんでしょう?」
「それは……おまえとの婚約は父上からの……」
国王が決めた婚約だから、厄介なのだ。だけど、どうしてもここで彼に婚約破棄をしてもらわなくてはいけなかった。
さらにアリーシアは追いつめる。
「陛下には逆らえないのですか。イザベラへの愛はそんなものだったのですね。ガッカリしました」
できるだけ蔑んだ目で見てやる。すると、彼はカッと血が頭に上ったようだった。
「俺を馬鹿にするな! おまえなんか……今日限りで婚約破棄してやる!」
よし! かかった……!
アリーシアは内心、小躍りしそうになった。
彼が前から婚約を解消したがっているのは知っていた。こちらだって浮気者の彼と婚約なんかしていたくない。しかし、身分が下位の自分からそれを申し出ることはできない。王族から婚約解消を言いだしてもらわなくてはいけないのだ。
そして、それはこうした公の場でなくてはいけない。
後からなかったことにされると困るからだ。ここではっきりと彼の口から婚約破棄だと言ってくれて、アリーシアはすっきりした。
これでやっと屈辱の日々から解放される……!
「殿下からの婚約破棄のお言葉、確かに承りましたわ」
打って変わって神妙に答えると、彼は勝ち誇ったように笑った。
「俺はずっとおまえじゃなく、この可愛らしくて素直なイザベラと婚約したかったんだ。公爵令嬢という身分しか取柄がないおまえなんか、王太子妃にふさわしい女じゃない」
アリーシアは思わず失笑してしまった。
彼は何も知らない。国王が公爵令嬢という身分だけで、自分を王太子の婚約者にしたわけではないことを。
公爵家の秘密も。
知らされていない。
これでこの国の『王太子』だなんて、よく名乗れたものね。
「……何を笑っているんだ?」
「いえ、殿下はイザベラのことを愛しているんですのね」
「そ、そうだ……! 俺はイザベラを愛している!」
傍らにいるイザベラは、みんながいる前で堂々と愛の告白をする王太子にうっとりしている。くだらない茶番劇そのもので、アリーシアは溜息をつきたくなった。
ユスティスは芝居がかった仕草でイザベラの手の甲に恭しくキスをする。そして、アリーシアにキリッとした眼差しを向けてきた。
「俺達の絆は永遠だ! おまえに邪魔されたりしない!」
まあ、そうですか。
アリーシアは返事をするのも馬鹿馬鹿しくなり、無表情で二人を眺めた。
「それでは、そのように国王陛下にお伝えください。婚約が解消されたという正式な文書を早急に送ってくださることをお願い申し上げます」
「もちろんだ!」
自信満々に彼は言う。
これからどんな目に遭うのか、彼は何も知らない。イザベラもただでは済まないだろう。だが、彼らがどうなろうが、アリーシアも知ったことではなかった。
だって、さんざんひどい目に遭わされてきたのだから。
でも、今夜くらいはイザベラと幸せな夢に酔うがいいわ!
アリーシアは優雅に礼をして、彼らの前から立ち去ろうとした。
だが、その前に壁際に立っていた男性がゆっくりと歩み寄ってくる。長い銀色の髪が歩くたびに揺れていた。
「まあ、あの見目麗しい方はどなた?」
「卒業生にあんな方いらした?」
「見たこともないわ。優美で気品があって……なんて素敵な殿方なの!」
女性の興奮したような声が聞こえてくる。
彼はアリーシアの傍に立ち、ユスティスにまっすぐな視線を向けた。
「誰だ? おまえ……」
不躾な視線を向けられ、ユスティスは眉を潜める。
「久しぶりですね、兄上」
「兄上? おまえ……エドアルドかっ?」
エドアルドはユスティスの異母弟だ。事情があり、王宮を出て暮らしているので、ユスティスは弟である彼の顔をよく知らないのだ。
「どうして、おまえがこんなところにいるんだ?」
ユスティスは警戒したような口調で尋ねた。
「アリーシア嬢をダンスに誘いにきただけですよ」
「は? ダンス? そんな奴とか?」
彼は大笑いをした。周囲は動きを止めて、自分達のやり取りを見ている。確かに婚約破棄に次いで、王太子の愛の告白、そして第二王子の登場となれば、みんなが興味津々で見るだろう。貴族なら、こんな面白い見世物を見逃すはずがなかった。
「父上に見放された第二王子と、名ばかりの公爵令嬢の組み合わせとは面白いな。せいぜい楽しく踊るがいいさ」
「兄上も楽しまれてください。……今夜はね」
エドアルドはアリーシアに向き直り、手を差し出した。
「アリーシア嬢、どうぞ僕と踊ってください」
「ええ、喜んで」
手を取ると、彼はにっこりと笑いかけてくる。
思わずドキッと胸が高鳴った。
二人は音楽に合わせて、踊り始める。
もう、わたしはみすぼらしい公爵令嬢なんかじゃないわ!
そして、エドアルドも国王に見放された王子ではなかった。
二人は手を取り合い、くるくると回っていく。
明日はわたしの十八歳の誕生日。この国では成人と認められる日だ。
明日になれば――。
すべてが変わる。
叔父一家に乗っ取られた公爵家を取り戻し、浮気者の王太子に鉄槌を下す。その計画はすでに出来上がっていた。
アリーシアはエドアルドと踊りながら囁いた。
「明日が楽しみだわ……」
「ああ、そうだね」
囁き返す彼の紫の瞳は煌めいていた。
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