閑話 白と黒のことわり 2
お楽しみいただけていますでしょうか。
皆さんにとって気分転換の一つになっていたら嬉しいです。
なぜ、自分のような者に声をかけてくれたのか――そう確認したいのだが、少年はただ黙って男の隣を歩く。
余計な口を開くなと言われて過ごし、ただ黙って従い、生きてきたのだ。
そんな少年に男が優しく声をかける。
「さっき、使用人に言って事情を先に家族に話してもらっているんだよ」
その言葉に少年はただこくりと頷く。
素っ気ない態度を気にすることもなく、男はうんうんと微笑み、頷き返す。
「私の家には君と歳の近い子が二人いてね。君にはその子達の見守り役になってほしいんだよ」
思いがけない言葉に少年は男の顔を見上げる。
黒い髪や瞳は不吉の象徴、にもかかわらず男は自身の子どもを少年に世話させようとしているのだ。
男の意図がわからず、少年の眉間には皺が寄る。
「あぁ、すまない。急なことで驚いただろう」
今まで過ごしてきた男達であれば、少年の表情を見ただけで頬を打っていた。
けれど、男は少年を気遣う言葉をかけてくる。
これまでとは違う態度をとる男に、少年はただ困惑するばかりだ。
「――君は話すのは苦手かな?」
口を開けばうるさいと怒鳴られてきた少年は、いつのまにか喋ることがなくなっていた。突然の問いかけに、咄嗟に声が出ず、ふるふると首を横に振る。
少年の態度に気を悪くした様子もなく、紳士は笑う。
「まずは二人に会ってくれないか?」
少し考えた後、少年はこくりと首を縦に振ったのだった。
「今帰ったよ」
「おかえりなさいませ」
皆がこちらに頭を下げる姿に少年は固まる。
もちろん、彼らが頭を下げているのは隣にいる紳士なのだが、それでも今までの少年の暮らしではありえないことだ。
隣の紳士、彼の名はジョセフ・スタンリー。この屋敷の主人だという。
「おいで、こちらだよ。まずは入浴が必要だね。この子をお願いできるかな」
「かしこまりました」
戸惑う少年に優しく微笑み、ジョセフは歩いていってしまう。
その後姿をどこか心もとない思いで少年は見送るのだった。
*****
鏡に映る自分はやせっぽっちで貧弱だと少年は思った。
黒髪も洗ったことで清潔にはなったかもしれないが、不吉の象徴であることに変わりはないのだ。
しかし、ジョセフは風呂に入った少年の様子に頷くと、彼を別室へと案内すると言い出した。自身の家族に少年を合わせたいというのだ。
それを聞いた少年の心臓は先程から、ばくばくと激しく胸打つ。
「大丈夫だよ。皆の前でも言っていたけど、うちにはクロウがすでにいるからね。君の黒髪も黒目も皆、嫌うことはないよ」
今までの日々を考えるとにわかには信じがたい言葉だが、この屋敷に入ってから居心地の悪さは感じられない。
突然現れた黒髪黒目の少年に使用人たちは不快さを見せることはなかった。
それは主人であるジョセフが去っても変わりない。
背中に置かれたジョセフの手の温かさに跳ねる心臓の音が伝わらないかと思いながら、少年は開いた扉の先へと足を踏みだすのだった。
扉の先に待つ人々から注がれる眼差しには今までの日々で感じられた棘がない。
たおやかに座る婦人はジョセフ氏の妻であろう。優しげな微笑みを称える。
隣に座る利発そうな子息は少年より幼いのだろうが、漂う気風に圧倒されそうだ。
凛々しい表情で少年を見ている。
「それで、娘がいるんだが……」
ジョセフがそう言いかけたとき、廊下からパタパタと元気のいい足音が聞こえる。
その足音に困ったように笑うジョセフの様子から、それがこの屋敷の娘であることが少年にも推測できる。
ドアが勢いよく開くと、少女が飛び込んでくる。
「ね! 新しい子が来たって本当? 父様!」
現れた少女は薄茶の髪に緑色の瞳だ。少女が現れた瞬間、女性はもちろん、子息の冷静な眼差しにも優しさが宿る。
「走ってはいけないわ。エイミー」
「そうだよ、エイミー。怪我をしたらどうするんだい?」
注意を受ける少女だが、それ以上に少年への興味が勝るようで、目が合うと嬉しそうに笑う。そのような視線を受けたことがない少年は戸惑うばかりだ。
だが、次の瞬間少女が口にした言葉に、少年の表情は一変する。
「黒い髪に黒い瞳……」
それは何度となくかけられてきた拒絶の言葉だ。
変えようのない黒髪と黒目は災いの象徴として、少年が苦しむ要因であった。
その事実を自分より幼い少女から指摘され、少年は恐怖で硬直してしまう。
しかし、少女はそんな少年を不思議そうに見つめると徐々に近づいてくるではないか。
まっすぐな緑色の瞳は少年に向くが、少女の眉は下がる。
楽しみにしていた突然の来訪者が、黒髪黒目だと知って、失望したのだろうか。
少年の瞳は下へ向き、床をじっと見つめた。
優しい言葉をかけられ、親切にしてもらった――それからの落差が、いつも以上に少年の心を揺さぶるのだ。期待しない方が楽だった。
そう思った少年の耳に、予想外の言葉が届く。
「なんだか、親近感があるわ……!」
「……!?」
今のは聞き違いであろうかと、驚きで目を見張る少年に、少女はにっこりと笑いかけ、近づいてくる。驚愕で少年のほうが、少しずつ後ずさりしてしまう。
「はじめまして! あたしはエイミー、安心して! 東京には黒髪黒目の人がたくさんいるんだから!」
「ト、トー……?」
聞きなれない言葉に、それまで沈黙を通してきた少年も口を開く。
今まで口を開けば、殴られることも多かったため、必要以上に話すことに恐れを抱いていたのだ。今のは驚きで思わず、口にしてしまったというのが正しい。
「エイミーの前世過ごした土地らしいよ。なんでもここよりもずっと科学の発達した土地らしい」
「ふふ、エイミーはいつもトーキョーのお話をしてくれるのよ」
少年は理解できない言葉がまた出てきたため、目を瞬かせる。
前世などを持つ者がいるとしたら、それは勇者か聖女くらいだろう。
目の前にいる小さく愛らしい少女と似つかない言葉に少年はたじろぐ。
そんな少年の心を察したのだろう。整った顔立ちの子息が鋭い眼差しに変わる。
「……妹を変なやつ扱いしたら、僕が許さないよ」
「そ、そんなつもりはありません!」
慌てて首を降る少年だが、再び廊下からはドタバタと足音が響き、ドアが開く。
ドアのほうを振り向くと、大きな犬と共に、黒い鳥が部屋を飛び回る。
犬は見たこともない犬種だが、それ以上に少年がきになったのは黒い鳥だ。
飾り棚の上に止まった鳥を驚いて見つめるが、さらに驚くべきことが起こる――鳥がしゃべり出したのだ。
「お、新入り! おめぇも黒をまとっているじゃねぇぁ! いいねぇ、気に入った!」
「へ……しゃ、喋った……?」
「なんだ? 喋っちゃいけねぇのか? 俺が鳥だからか? 黒をまとっているからか? 後者だったら承知しねぇぞ!」
つらつらと言葉を重ねる黒い鳥に少年はただただ呆気にとられ、鳥を見上げるばかりだ。
それを見かねたのか、子息であろう子どもが口を開く。
「……普通、鳥って喋らないからね。少なくともここまで流暢に喋る鳥はいないんじゃないかなぁ」
少年の黒髪黒目を気にしないスタンリー家の人々だが、それ以上に奇妙なことだらけで少年は呆然と立ち尽くす。
しかし、なぜか少年の目は涙で潤んでいく。
今、ここに少年の姿形を咎める者はいないのだ。
「あ、あの……」
勇気を出して振り絞った声は、少年が思っていたより小さな声だ。
だが、スタンリー家の人々の視線が少年へと集まる。
「ア、アルフィー、アルフィーと申します! 皆さんのお役に立てるよう努めてまいります。よ、よろしくお願いいたします!」
そう言って少年、アルフィーは深く頭を下げる。
こんなに長い言葉を口にしたのは久しぶりで、心臓がバクバクと音を立てる。
声は掠れてしまったし、少し裏返ってしまった。だが、それを笑う声は聞こえない。
ジョセフからは子どもたちの世話をと言う話であったが、あれは冗談であったのだろうか。一人で先走ってしまったのではないかと、口にしてから恐怖心が出てくる。
「あぁ、よろしく頼むよ。アルフィー」
優しいジョセフの声と共に、アルフィーの手に温かい何かが降れる。
そっと視線を向けると小さな手がアルフィーの手を握っているのだ。
驚き、顔をあげるとエイミーがにっこりと微笑んでいる。
それを見たアルフィーもぎこちなく、笑みを返す。
「はい……必ず」
何をかと問われても、アルフィーには答えられない。
けれど、そのとき感じた決意はアルフィーの心の中で消えることはないだろう。
自分に向けられるスタンリー家の人々の眼差しを感じ、アルフィーは強くその信頼に報いたいと想うのだった。
*****
「あのとき、私は初めて幸せだと感じたのかもしれません。そして、この方々に幸せを届ける者でありたいと、自分の在り方を決めたのです」
言葉も紡がず、心を閉ざしていたあの頃のアルフィーはもういない。
黒髪黒目を折に触れ、褒めるエイミーにそれに嫉妬するエドワード。
その様子を笑って見つめるジョセフにグレース、子どもの頃から面倒をみているルークはアルフィーやクロウのことを気遣う優しい少年に育った。
「知っていますか? クロウ。クチナシの花言葉は『とても幸せです、幸せを運ぶ』というものらしいですよ」
「――あの白い花か」
クロウの言い方からは白という色に対しての複雑な感情が伝わってくるようだ。
白と黒、周囲が対に考えるため、良い心持ちではないのだろう。
「えぇ、私たちには縁遠い色です。それでも、私はその花言葉と同じ想いを胸に刻んでいます。黒髪黒目の私ですが、お嬢様たちにとって、幸せを運ぶ者でありたい。それが、私にとっての幸福です」
スタンリー家が前の街を去ると決めたとき、アルフィーには彼らと出会った日が頭によぎった。他の場所へと移るなら、黒髪黒目の自分は足かせになる――そうアルフィーは考えていたのだ。
あの日、この村へとアルフィーが同行することを誰もが当然のこととして受け入れてくれた。それにアルフィーの心が再び救われたのだ。
「あ! いた。アルフィー、急にいなくなったら困るわ。あたし一人じゃ、できないこともあるもの!」
エイミーの大きな声にアルフィーは安堵する。
この屋敷では自分を必要としてくれる。ここは彼の居場所なのだ。
店を去った理由をわかっているだろうエイミーだが、そのことに触れる気はないらしい。
「あー……、確かにお前一人だとなぁ。おい、アルフィー、行ってやれ」
そう言って飛び立つクロウの気遣いにアルフィーの口元は緩む。
同じ色を持つ彼は、口は悪いが気のいい仲間だ。
頬を軽く叩いて、エイミーのほうへと振り向くアルフィーの顔は、いつもと変わらぬ表情へと変わっているのだった。
今回はアルフィーのお話でした。
Alfieという綴りです。




