17. 参謀
王都は、異様なほど平和だった。
賢王会が消えた翌日。
混乱も暴動も起きていない。
むしろ――
「やっと息ができるようになった」
そんな空気が、街全体に漂っていた。
⸻
エイリン・ノクティエルは、剣を振っていた。
いつも通り。
呼吸、踏み込み、斬り返し。
ただ一つだけ違うのは――
昨日より、周囲の視線が少し増えていること。
(……気のせい、ですね)
彼女は気にしない。
騎士は、剣を振る。
それで十分だ。
そこへ。
「相変わらず、無駄がないですね」
知らない声。
エイリンが即座に剣を止め、振り向く。
そこにいたのは――
白銀の髪。
穏やかな笑み。
そして、場違いなほど軽い佇まい。
「……あなたは」
「初めまして、ではありませんね」
女は、軽く頭を下げた。
「ボクは」
「リュミエール=アル=セレファです」
エイリンの剣先が、わずかに上がる。
「賢王会の……」
「元、です」
即答。
「昨日で、綺麗さっぱり消えましたから」
……この人、どこまで分かって言ってる?
⸻
灰原カナトは、机に突っ伏していた。
「……寝不足」
世界を一つ終わらせた翌日でも、眠いものは眠い。
《戦神バルド》
『軟弱』
《魔王ゼル=ヴァルド》
『寝ろ』
《運命の女神リラ》
『今日は平和ですよ〜』
平和だなぁ〜。
その時。
ノックもなしに、扉が開いた。
「失礼します」
「失礼じゃないよ!?」
反射で顔を上げた瞬間――
見覚えのある白銀。
「……は?」
リュミエールが、にこやかに立っていた。
「来ました♡」
「勝手に!?」
「ええ♡」
堂々。
「妻になるために♡」
一瞬、沈黙。
次の瞬間。
《戦神バルド》
『誓いのキスか?』
《魔王ゼル=ヴァルド》
『殺すか?』
《運命の女神リラ》
『落ち着いて!?』
《精霊王イリシア》
『“揺らぎ”ですね』
カナトは、こめかみを押さえた。
「……いや、待って」
「君、昨日まで敵の総本山だよね?」
「はい」
「賢王会、潰された側だよね?」
「はい」
「なんで来たの?」
リュミエールは、少し考えてから答えた。
「合理的だからです」
⸻
「賢王会は、“人間が世界を管理できる”という幻想でした」
彼女は、椅子を勝手に引いて座る。
「でも昨日、それが完全に否定された」
「たった一夜で...」
「神と魔王が本気を出した世界で――
人間は、選択肢を失った」
カナトを、まっすぐ見る。
「だから、方針転換です」
「あなたの側に立つ」
「世界を壊した人間の、参謀になる」
あまりにも、あっさり。
「……寝返り、軽くない?」
「賢王会は組織です」
「ボクは、思想です」
にこり。
「組織が死んだなら、思想は生き方を変えるだけ」
《全知の神オルメギア》
『論理的だ』
《魔王ゼル=ヴァルド》
『気に食わんが、嘘はない』
カナトは、天井を見上げた。
「……俺、参謀とか求めてないんだけど」
「だからです」
リュミエールは、即答した。
「求めていない人間の隣に立つのが、一番安全」
……この女、怖すぎる。
⸻
その時、扉の外から気配。
エイリンが、静かに入ってきた。
視線が、リュミエールとぶつかる。
一瞬で分かる。
――この二人、合わない。
「……あなたは」
「はい。あなたが“盾”ですね」
リュミエールは、微笑んだまま言う。
「昨夜の動き、見事でした」
エイリンの指が、剣の柄にかかる。
「……見ていたのですか」
「いいえ」
「推測です」
一拍。
「でも――」
少しだけ、真面目な声。
「あなたがいなければ、彼は今ここにいません」
エイリンは、驚いたように目を見開く。
リュミエールは、頭を下げた。
「敬意は、本物です」
沈黙。
やがて、エイリンは剣から手を離した。
「……彼に害をなすなら」
「その前に、私があなたを斬ります」
「ええ」
リュミエールは、あっさり頷く。
「それで結構です」
この女、受け入れる気満々だ。
⸻
カナトは、深くため息をついた。
「……分かった」
「条件がある」
リュミエールが、背筋を伸ばす。
「俺の配信に口出ししない」
「俺の仲間に手を出さない」
「世界を、勝手に“正解”にしようとしない」
一拍。
「それ守れる?」
リュミエールは、少しだけ考えて――
微笑んだ。
「参謀としては、難しいですね」
「でも」
「一人の人間としては、守れます」
《運命の女神リラ》
『合格〜!』
《戦神バルド》
『面白くなってきた』
《魔王ゼル=ヴァルド》
『目を離すな』
カナトは、苦笑した。
「……じゃあ」
「勝手にどうぞ」
「ただし――」
視線を、真っ直ぐ向ける。
「裏切ったら、次は世界ごと行くから」
リュミエールは、心底楽しそうに笑った。
「ええ」
「それを期待して、来ました」
⸻
世界は、今日も平和だ。
だが――
灰原カナトの隣には、
最強の盾となる騎士と、
世界を壊した参謀が並んだ。
この組み合わせが、
どれほど危険かを知る者は、まだ少ない。
(第十七話・完)




