15. 触れてはいけないもの
.....朝。
王都は相変わらず平和で、空気は穏やかすぎるほどだった。
灰原カナトは、城内の回廊を歩いていた。
予定はない。配信もない。ただの散歩だ。
「……平和すぎると、逆に怖いな」
そんなことを呟いた、その時だった。
前方から、騎士団長の姿が見えた。
エイリン・ノクティエル。
いつもと同じ歩き方。
いつもと同じ、隙のない姿勢。
――だが。
「……エイリン?」
声をかけた瞬間、違和感が確信に変わった。
歩幅が、わずかに狭い。
左に、ほんの少しだけ傾いて歩いている。
カナトは、足を止めた。
「……ちょっと」
エイリンも立ち止まる。
「おはようございます、カナト殿」
いつも通りの声。
いつも通りの敬礼。
だが――
「……その腕」
エイリンの右腕。
鎧の隙間、布越しに、わずかに見える包帯。
それは、騎士が日常的に負う“訓練の傷”ではなかった。
巻き方が違う。
隠し方が、上手すぎる。
「……どうしたの、それ」
一瞬。
本当に、一瞬だけ。
エイリンの呼吸が、止まった。
「……些細なものです」
「騎士団の業務で」
即答。
あまりにも綺麗な、嘘。
カナトの胸の奥で、何かが冷たく沈んだ。
「……業務?」
声が、低くなる。
「昨日の夜、俺は何も知らないで寝てた」
「配信も切ってた」
「神も魔王も、見てなかった」
一歩、近づく。
「その間に?」
エイリンは、視線を逸らした。
それが、答えだった。
⸻
「……誰だ」
声が、震えない。
怒鳴っていない。
だが、空気が変わった。
「誰が、やった?」
エイリンは、即座に首を振った。
「問題ありません」
「すでに、終わったことです」
「終わった?」
カナトは、笑った。
乾いた、笑いだった。
「……終わってない」
「俺が、知らなかっただけだ」
拳が、無意識に握られる。
「俺の知らないところで」
「俺を守るために」
「誰かが、血を流すのは――」
言葉が、途切れる。
怒りと、後悔と、恐怖が、混ざり合う。
「……許容してない」
エイリンが、顔を上げた。
「それが、騎士です」
静かな声。
「あなたが知らずに眠れる夜を作る」
「それが、私の仕事です」
「……違う」
即答だった。
「それは、仕事じゃない」
「それは――」
カナトは、エイリンを見た。
真正面から。
「命だ」
⸻
沈黙。
廊下に、風の音だけが流れる。
エイリンは、ゆっくりと膝をついた。
「……申し訳ありません」
「気づかれるとは、思っていませんでした」
その言葉が、カナトの胸を抉った。
「……気づかれないつもりだったのかよ」
「はい」
迷いのない答え。
「それが、最善でした」
カナトは、目を閉じた。
そして――
深く、息を吸った。
⸻
「……もう一度だけ、聞く」
目を開いたとき、そこにあったのは怒りだけだった。
静かで、逃げ場のない怒り。
「俺が寝てる間に」
「俺を殺そうとしたやつがいた」
「それを」
「――君が、一人で止めた」
エイリンは、答えなかった。
否定もしなかった。
それが、肯定だった。
⸻
「……分かった」
カナトは、そう言った。
声は、驚くほど落ち着いていた。
「なら、次は」
エイリンが、はっと顔を上げる。
「――俺の番だ」
「カナト殿、それは――」
「勘違いするな」
遮る。
「何もしない」
一拍。
「でも」
目が、冷える。
「“俺の周りで起きたこと”を」
「俺が、知らないままにする気はない」
エイリンは、息を呑んだ。
それは、宣言だった。
戦いの宣言ではない。
――介入の宣言だ。
⸻
その夜。
カナトが緊急生配信をおこなった。
全世界が視聴している。
もちろんそのことは賢王会の耳にも入っている。
リュミエールは言う
「……まずいなぁ」
小さく、笑う。
「一番、触れてはいけなかったのかも...」
彼女は、静かに目を閉じた。
(第十五話・完)
次回もお楽しみに!




