10. 窓
王都は、生きていた。
昨日まで地獄だった城壁の外には、まだ焦げ跡とクレーターが残っている。
だが街の中は――異様なほど、平和だった。
「……おかしくない?」
俺は王城のバルコニーから、王都を見下ろしていた。
人々は働き、笑い、酒場は朝から開いている。
まるで昨日の戦争が、夢だったかのように。
同時視聴者数:112,000
『人間って切り替え早いよな』
『神話の翌日に通常営業』
『これが文明』
文明、強すぎだろ。
⸻
「カナト殿」
背後から声をかけてきたのは、エイリンだった。
鎧ではなく、簡素な正装姿だ。
なぜか少し頬を赤らめている。
「国王陛下がお呼びです。……また、正式な場で」
「またか……」
昨日から、これで何度目だ。
王都防衛の英雄。
神と魔王を繋いだ観測者。
神話の中心人物。
――正直、荷が重すぎる。
『逃げられないぞ』
『立派な祭り上げ枠』
『政治利用確定』
やめて、現実を突きつけないで。
⸻
謁見の間。
国王は、玉座ではなく、階段の途中に立っていた。
昨日よりも、ずっと疲れた顔をしている。
「……灰原カナト」
「はい」
「余は、恐れている」
直球だった。
「神と魔王が、同時に肩入れする人間が現れたことを」
場が、静まる。
同時視聴者数:115,000
『王、正論』
『そりゃ怖い』
『でも手放せない』
「王都は救われた。国も救われた」
王は、俺を真っ直ぐ見た。
「だが、世界は――まだだ」
その瞬間。
スマホが、震えた。
⸻
コメント欄が、急激に流れ始める。
《海神ネレウス》
《砂漠王アシュ=ラーム》
《天輪評議会・観測官》
《精霊王イリシア》
……名前が、重い。
「ちょっと待って」
「視聴者層、急に変わってない?」
同時視聴者数:130,000
『世界級存在、続々』
『格が違う』
『もはや神様の寄り合い所』
《海神ネレウス》
『陸の戦、実に見事だった』
《精霊王イリシア》
『あなたが“揺らぎ”ですね』
《天輪評議会・観測官》
『正式に確認したい。あなたは中立か?』
空気が、重くなる。
国王も、エイリンも、何も見えていない。
この会話は、俺と世界の上位存在だけのものだ。
「……中立って?」
俺は、正直に聞いた。
《天輪評議会・観測官》
『神にも、魔王にも、属さぬ立場だ』
『……選べ』
同時視聴者数:150,000
コメントが、荒れる。
『来たな選択肢』
『ここで陣営選ばせるやつ』
『でも選ばないのがカナト』
俺は、スマホを持つ手を、少しだけ強く握った。
「……俺は」
一拍。
「配信者です」
静寂。
「どっちの味方かとか、よく分かんないです」
「でも――」
カメラを、正面に向けた。
「俺が死んだら、皆さん困るでしょ?」
コメントが、止まる。
次の瞬間。
⸻
《戦神バルド》
『困る』
《魔王ゼル=ヴァルド》
『非常に困る』
《全知の神オルメギア》
『観測不能になる』
《運命の女神リラ》
『絶対に嫌です』
《天輪評議会・観測官》
『……』
《天輪評議会・観測官》
『了解した』
《天輪評議会・観測官》
『あなたを――』
《天輪評議会・観測官》
『「世界公認・観測配信者」と認定する』
「……何それ」
同時視聴者数:180,000
『称号きた』
『世界公式配信者』
『もう戻れない』
⸻
王が、ゆっくりと口を開いた。
「……余には分からぬ会話だ」
「だが一つだけ、確信している」
王は、深く頭を下げた。
「この国は、そなたを守る」
エイリンも、膝をついた。
「騎士団は、あなたの盾です」
……重い。
重すぎる。
俺は、スマホを見て、ため息をついた。
「……えーと」
「次の配信なんですけど」
「戦争はちょっと疲れたので――」
「しばらく、雑談回にしません?」
同時視聴者数:200,000
『草』
『世界救った後の雑談』
『逆に見る』
《魔王ゼル=ヴァルド》
『許す』
《戦神バルド》
『酒を用意しろ』
《運命の女神リラ》
『ゆっくりしましょう』
王都の空は、穏やかだった。
だが俺は、理解していた。
――もう、この配信は
世界を映す“窓”になってしまったのだと。
(第十話・完)
次回もお楽しみに!




