第5話『沈黙の庭』
天樞の私室は、香を控えた静かな空気に包まれていた。
帳を半分降ろした室内で、カミーユは執務用の筆を走らせていた。
イーヴは、室の中央で静かに頭を下げる。
「シアノさまの容態について、ご報告いたします」
カミーユは返答をしないまま、筆を止め、視線だけを彼に向けた。
「意識はまだ戻っておりません。呼吸と脈は安定していますが、外的刺激への反応が著しく鈍っています。
熱は継続し、言語および運動反応は見られません。医療上は“強い神経系の攪乱反応”と判断されます」
カミーユは椅子に深く腰を下ろし、机上の文を整えながら問う。
「原因は?」
「幻夢薬系の構成を疑っております。ただし、通常の制御用処方ではなく、神経と人格に直接影響する調合。
明確に“壊すため”の式構造です。毒の範疇に入ります」
「それで?」
「香と衣装は帳簿上、正規のものでした。備品記録に小さな不一致がありましたが、根拠に至るだけの証拠は確認できておりません」
カミーユは淡々と帳簿に目を落としたまま、机の上の一輪挿しを指で回した。
「経過は?」
「短期間での回復は難しいと思われます。ただし、反応の一部に可逆性が見られます。
深層意識まで完全に損傷しているわけではありません」
しばらく沈黙が落ちた。
カミーユは視線を挙げず、ただ筆先で紙の端を整えていた。
「報告、受理したわ。引き続き観察を」
「承知いたしました」
「それと──」
カミーユは少しだけ目を上げる。
「彼女の衣装と帳簿類、回収して保管しておいて。精査する必要はないけれど、整理はしておきたいの」
イーヴは黙って頷いた。
「以上です。失礼いたします」
「ごくろうさま。……体調、崩さないようにね。あなたまで倒れたら、つまらないもの」
声は穏やかだったが、温度はなかった。
イーヴは一礼し、静かに退出した。
扉が閉まったあとも、筆の音だけが部屋に残っていた。