第2話『散歩道の異変』
風が、やわらかく庭を撫でていた。
薄桃の枝がしなり、ひとひらの花びらが白い小径に落ちた。
その足音に気づいたかのように、シアノは立ち止まる。
「……ふう」
桃水――そう呼ばれてから、まだ数日。
けれど、その名がすっかり自分の中に馴染んでいた。
黒鳥の庭は、静かだった。
あの人の影は見えないけれど、風の向きがどこか安心させてくれる。
──ふと、視界が傾いだ。
(……あれ?)
足元が緩んだわけではない。
地面が、浮いたように感じた。
「……さむ……い?」
吐き出した息が揺れた。
その瞬間、花の香りが一気に鼻腔を満たした。
違う──これ、知ってる。前と違う。
“香”ではない、“におい”だ。
しかも、内側から広がってくる。
(これ……私、何か……)
次の瞬間、視界が裏返った。
何かを叫んだ気がした。鳥の鳴き声のように、けれどそれは自分の声だった。
足がもつれ、地面に膝をつく。
手の平に、血管が浮かび上がって見える。
震え、痙攣、視界が滲む。
──ああ、いやだ。
逃げたい、けど、逃げたくない。
“ここにいたい”って言ったのに。
遠くで、誰かの声が聞こえた。
「……イーヴ様、こっちです!」
(誰か……)
声を出そうとした。けれど喉が焼けて、音にならなかった。
次の瞬間、冷たい手が額に触れた。
「──桃水。しっかりしてください」
イーヴの声。静かで、鋭い。
視線が合った、その一瞬だけ、涙がにじんだ。
(だいじょう……ぶ……?)
──そこから先は、記憶がない。