第1話『薄紅のしずく』
控室の扉は半分ほど開いていた。
白雪は、誰かが中にいるのではと気を遣って、そっと中を覗き込んだ。
部屋の中は静かで、薄い白布をかけたテーブルが一つ。
上には、銀縁の小皿が置かれていた。
その上にちょこんと乗っているのは──砂糖漬けの菫だった。
淡い紫の花弁に、白い砂糖が細かく散っている。
控室の空気に溶けこむように、まるで最初からそこにあったかのように馴染んでいた。
白雪は立ち止まったまま、小皿を見つめた。
誰が置いたのだろう。いつからあったのだろう。自分のために? それとも──
「……イーヴさま、かな」
誰に聞かせるでもなく、小さく呟いた。
彼が自分の好みを覚えていたとは思えなかったが、そうであったら嬉しい、というくらいの想像だった。
席の端に腰を下ろし、白雪はそっと手を伸ばした。
花びらは軽く、指に触れると、かすかにきらめく砂糖が落ちた。
口に入れると、しゃり、と静かな音がした。
甘さは思ったより控えめで、ほんの少し、舌の奥に苦みがあった。
──けれど、それは嫌な味ではなかった。
ただ、すこしだけ喉が渇いた。
控室の水差しに手を伸ばしかけて、白雪はやめた。飲まなくても、大丈夫な気がしたから。
空になった小皿をそっと押し戻し、席を立つ。
それだけの出来事だった。
控室の扉は、出ていく白雪の背中に合わせるように、風で少し揺れた。
中には誰もおらず、花の香りだけが、ふわりと残っていた。