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八話


 懐かしい夢を見たと、セレネは慣れ親しんだ寝台の上で目をこする。


 昔、犬が友達だった。

 迷い込んだ老犬が、父に顧みられない幼い姫の心を慰めてくれていたのだ。


(ほんとうに、懐かしい……)


 ある時、そこに、もうひとり加わった。

 まるで動物の言葉が分かるかのように、老犬と話す騎士だ。

 だけど……いろいろなことがありすぎて、セレネはもう騎士の顔も名前も思い出せない。


 ――もしかしたら、あの場限りの友人だったからこそ、あえて名前を聞いていなかったのかもしれない。騎士は正体に気付いていただろうが……名乗ることも名乗らせることもしなかった王女の心を、慮ってくれたのだろう。

 

 あの場でだけは姫ではなく、ただのセレーネレシェンテでいたかった。楽に息が吸える場所を壊したくなかった。なにも聞かない騎士だったからこそ、セレーネレシェンテは友人として同じ場にいることを許したのだ。


(結局、残してきたのは彼だけね)


 老犬は、セレーネレシェンテがセレネになる前に、死んだ。

 いつもの場所に行くと、とても冷たくなっていたのだ。老いて寿命が来たのだと思えれば、まだよかった。セレーネレシェンテの心の友だった老犬は、あきらかに害意ある人間により、命を奪われていた。


 あの時から、己の身はすでに危うかったのだ。

 だから、彼は――小さな姫の、もう一人の友は……。


『じーさんは……この老犬は、己の忠義を尽くした。主と認めた貴方を守るため、命を賭した。だから、次は俺の番です。じーさんにかわって、俺が貴方をお守りします』


 きっと全て気付いていて、けれどもあえてなにも問わず、セレーネレシェンテが城を去るその時まで、そばにいてくれたのだ。


『いつか必ず、お迎えに参ります』


 最後の最後まで、優しい嘘をついて、全てをなくす少女を見送ってくれたのだろう。


 二度と会うことがない相手を懐かしく思いながら、セレネは寝台を降りる。

 窓を開けて、外の空気を胸いっぱいに吸い込むと、ため息交じりに呟いた。


「最後に名前くらい、聞いておけばよかったかしら」

「誰のだ?」

「!?」


 あるはずがない返事が返ってきて、セレネはギョッとした。

 まさかと思い真っ正面の大木を見れば、器用に枝に足をかけている男がひとり。


「あ、貴方、何をしているの!?」

「ん? 木に登っているんだが?」

「どうして朝から木に登っているのよ!」

「この島に、早朝の木登りを禁ずるなんている規則はなかったぞ」

「そういう問題ではなくて……もう!」


 規則云々の話はしていないのに、大真面目な口調がおかしくて、セレネは途中で笑ってしまう。

 怒ろうと思ったのに、自分より年上だろう男が朝から木登りしている光景を想像してしまうと、だめだった。

 そういえば、夜も木に登っていたようだったなと思い返し、セレネは尋ねてみる。


「貴方は、木登りがお好きなの?」

「まさか。どこをどう見れば、そんな考えが思いつくんだ」

「……貴方の行動を思い返せば、自然と行き着く考えだと思うけれど?」


 ことさら珍妙な事を口にしたつもりはないのに、変な顔をされてしまい、セレネは口をへの字に曲げて閉口した。

 だが、相手もまた不満そうな顔をしている。


「姫、俺は貴方なんて名前じゃない。ノクスだ。そう名乗っただろう? 貴方、貴方と連呼せず、ちょっとくらいは名前で呼んでくれ」

「でしたら、貴方も私を姫と呼ぶのはやめていただける?」


 姫ですらなくなった小娘に、その呼び名は皮肉でしかない。

 だから、やめてくれという思いを込めた提案だったのに、ノクスはあっさりと首を横に振る。


「それは無理だ。あんたのワガママなら、一つや二つ安請け合いしてやりたいが、そこはどうしても譲れない所なんでね」

「……どうして拘るの」

「こっちのセリフだ、姫。あんたはどうして、今の立場に固執する」

「…………」

「――まあ、俺は朝から討論しにきたわけじゃない。これ以上の問答は、後回しにするとして……そっちに行ってもいいか?」


 ムッとしていたセレネだったが、そう言われて首をかしげた。


「そっちって、どこ?」

「問答は後回しと言ったはずだぞ。あんたの部屋に決まってるだろう、他にどこに行けって言うんだ」

「塔の鍵は、メリッサが朝来てくれるときに開くので、それまでは誰も入れませんけど?」

「別に鍵なんていらないだろう。今から飛び移ればいいんだから」

「は?」


 にかっとノクスは笑った。


「部屋の奥に入ってくれ。ああ、窓は開けたままにしておいてくれよ?」


 体重を乗せた木の枝が揺れるのを見て、セレネは彼が何をしようとしているか、遅まきながら気付く。


「ちょ、ちょっと! やめてください! 危ないわ!」

「平気、平気」


 慌てるセレネとは対照的に、ノクスは平然としていた。

 小さな水たまりを飛び越えるのとは訳が違うのに、さも簡単なように口調が軽い。


 目の前で人が落下して怪我をしたら――最悪、死んでしまうかもしれない。セレネはなんとかノクスを思いとどまらせようと叫ぶ。


「失敗したら怪我をするでしょう! メリッサが来るまで待って!」

「あいにく、堪え性がないんで、無理だな。……ただ待つのには、もう飽きた」


 自慢にもならないことを自信満々で口にしたノクスは、最後に一言付け加えた。

 その際、彼の特徴とも言える鋭い目つきがセレネを捉える。


 射すくめられたように身を固くしたのが悪かったのか――ノクスは反対の声がもう上がらないのをいいことに、宣言した。


「飛ぶぞ」

「え? ダメよ! お願い待って――」


 時すでに遅く、ノクスは獣のような身のこなしで木の上から跳躍し――そのまま、セレネが開いた窓の方へ飛び込んできたのだった。

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