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二話


 ガツ、ガツ、ガツ。

 擬音をつけるなら、こんな感じだろうかとセレネはテーブルの向かい側を見た。そこには、勢いよく料理をかき込んでいく若者がいる。


(倒れたと思ったら、メリッサのお料理の匂いで目を覚ますんだもの)


 再び意識を失った彼を放置しておけず、ふたりがかりでなんとか塔の中へ運び、メリッサが朝食にと持ってきてくれたスープの蓋を開け温めた途端、腹の虫が再び盛大に鳴いた。


 もしやと思えば、彼は目を開けてじっとセレネ――正確には、セレネの後ろにあるスープ入りの鍋を凝視していたのだ。


 試しにどうぞと勧めてみると、鍋ごと食べ尽くされそうな勢いで完食された。

 その間にメリッサはせっせと料理を作り、それを男が片っ端から食べ進めていき、今に至る。


(変わった人)


 よっぽど空腹だったのだろうが……物事には限度というものがあるはずだ。細身である彼のどこに、これほどの食べ物が入るのが不思議でならない。


「それで? 貴方はどうして、あんなところで倒れていたのです?」

「ん?」


 一心不乱に食べ進めていた男の手が、初めて止まる。

 ごくりと口の中の物を飲み込んだ後、ふうと息を吐いた。


「まずは、こうして助けてくれたことを感謝する」

「わたしの手を握ったまま倒れて離さなかったから、仕方なくです」


 執念とも思えるほどの強さで握られた右手首を見せると、青年は静かに頭を下げた。


「悪かった。腹が減っていたからな。許してほしい」

「…………」

「空腹で極限状態だったせいだ。わざとじゃない。腹が減りすぎて、ようやく見つけた探し人を前にして、力の加減ができなかったんだ。もうしない」


 子供のような言い訳に耳を傾けていたセレネは、その合間に不思議な言葉を聞いた気がして首をかしげた。


「探し人?」

「ああ、そうだ」


 何を思ったか、青年は椅子から立ち上がるとセレネの前で片膝をついた。


「王の命により、貴方を迎えに参りました。セレーネレシェンテ姫様」

「……迎え、ですって?」


 その名前を聞くのは、ずいぶんと久しぶりだった。

 青年の言葉を繰り返し、セレネは顔をゆがめる。

 セレーネレシェンテは、廃された姫の名。

 今ではもう、誰も呼ばない過去のものだ。


(ほんとうに、今さらだわ)


 もう何年も会っていない、父王のことが脳裏をかすめチリッとどこかが痛んだ。


 あれだけ待ち望んだ時には、決して差し伸べてくれなかった手。

 それを、すべて受け入れた今になって、気まぐれに差し出してくるなんて、どういう了見だろう。

 セレネは、久しぶりに苛立ちを覚えた。


「冗談は、やめてちょうだい」

「冗談に聞こえたのなら心外だ。こっちは至って真面目だ。本気で言っている」


 片膝をついたままの姿勢で、首を横に振る青年。一呼吸前の口上が嘘のように軽薄な口ぶりだ。


「オレは、なにがなんでも、あんたを王城へ連れて帰らなければならない」

「王城、ですって……!?」


 かつて自分と母が追われた場所。

 セレネに、いい思い出などあるはずもない。


「わたしは、この島からでるわけには参りません。お引き取りを」

「あいにく、こっちも時間がない。だだをこねるなら、首に縄をつけてでも連れて行くぞ」

「そんな、乱暴な!」

「……無礼、とは言わないんだな」


 想像して青ざめたセレネに対し、青年は目を眇めてそう呟いた。乱暴な言葉を放った本人であるにもかかわらず、極めて不本意そうな口ぶりだ。


「え……?」

「オレの態度も口調も、とても褒められたものじゃない」


 自覚があるにも関わらず、自分に対してその態度を突き通すということは、その程度の相手だからだろうとセレネは勝手に解釈し、納得する。

 だが、青年はそんな態度が不快だと言いたげだった。立ち上がると顔をしかめ、がしがしと後ろ頭をかく。


「どうしてオレを咎めない? あんたには、そうするだけの理由があるだろう」

「咎めるって……乱暴な物の言い方をなさるとは思いましたけど、実際に何をされたわけでもないのですから、そこまで強い言葉を使う必要はありません。そうでしょう?」

「チッ!」


 とうとう青年は、吐き気をこらえるような表情を浮かべると、鋭く舌打ちした。


「クソッ! どうなってやがる……! 肝心の相手が、これじゃあ……」


 ひとり苛立つ青年についていけず、セレネは途方にくれた。

 島民はみんな、のんびり穏やかな気風であり、ここまで露骨に負の感情を露わにする相手は見たことがなかったのだ。


「まあまあ、落ち着いて。紅茶でもいかがです?」


 見かねたメリッサが、紅茶をテーブルに運んできてくれる。


「ありがたくいただく」


 青年はメリッサに促され、再び椅子に着こうとした。だが、続けられた言葉で動きを止める。


「さあ、お嬢様も」

「ありがとう、メリッサ」

「…………」


 椅子を引いた中途半端な体勢で、青年はメリッサとセレネのやり取りを、じっと見ていた。

 いや、その眼光の鋭さは、すでに睨んでいるに近い。


「……何かしら?」


 気まずい思いから、セレネが声をかける。

 すると青年は、メリッサとセレネを見比べ、また舌打ちした。


「チッ! ……そういうことか、胸くそ悪い」


 椅子から手を離すと、青年はカップを掴みごくごくと中身を一気に飲み干してしまう。

 そして、ぽかんとしているセレネとメリッサを前にして、言い放った。


「低く扱われることに慣れるな! あんたは、そうじゃないだろう!」

「……低く……?」

「お嬢様なんて言われて、へらへら笑って受け入れてるんじゃない! あんたは、それでも王の娘か!」


 勢いよくぶつけられる言葉に、頭が真っ白になったセレネ。

 けれど、最後の言葉を聞いた瞬間、我に返る――この世でもっとも嫌いな言葉を聞いた、と。

 表情には出さないよう、意識して笑みを作る。


「……貴方が口にするものは全て、失われて久しいものです。貴方がなにを思い、この流刑地に来たのかは分かりませんが、期待外れと分かっていただけたならば、お引き取りを」


 胸の中にモヤモヤとした感情が広がる。腹の奥が、ぐるぐると気持ち悪い。それでもセレネは、礼儀正しく穏やかに、青年に出て行くよう願った。


「ふん。他人のご機嫌うかがいのためだけに浮かべる、気持ちの悪い笑顔だな。とても、王の娘とは思えない」


 返ってきたのは、挑発のような答え。


「――っ」


 腹と胸、両方で渦巻いていた不快感が、とうとう喉元までせり上がってきた。


 これは怒りだ。


 セレネは遅ればせながら自身の感情に気付く。

 そのまま、爆発して口から飛び出すはずだった怒りの言葉は、ふと視界に入ったメリッサをみて、一気に熱と勢いをなくした。


 ただそこに立ち尽くしているメリッサ。

 けれども、彼女の目はセレネと青年の一挙手一投足を見逃すまいと追っている。

 王家の話題に触れた瞬間、一文字も聞き漏らすまいと、取りなしを放棄し、自分たちを観察している。


 当然だ。

 彼女はこの島の人間。

 流刑地の番人であり、監視者なのだ。


 囚人におかしな動きがあれば、すぐに島の領主に報告するだろう。

 そして、その後は?

 これまでただ静かに暮らしてきた。そして守ってきた安寧を、今……一瞬の怒りだけで台無しにしてはいけない。

 ――怒ってはダメだ。取り乱してはダメだ。


(いつも通り。いつも通りでいるのよ)


 他人の望む言葉を選び、望み通り動くのがセレネの常。

 けれど、この男の思惑通りに動いてはいけない。

 それは、己の身の破滅につながる。


(お父様……陛下は……もしかして、そうなってほしくて、この人をこんな所に遣わせたのかしら)


 ならばこの手は、気まぐれに差し出された救いの手ではない。

 立場を、名を、そして母を取り上げて……最後の仕上げに、今度こそ、自分から全てを奪おうとしている手だ。


「お引き取りを。わたしは、王命によりここにいるのです。正式な書面がない限り、決してこの地を動きません」


 視界の端で、メリッサが目に見えて安堵していた。


(正解だったわね)


 島民――セレネを監視する存在にとっての正解。

 けれど、青年にとってはどうだろう。


 彼は、それまでの激しさが嘘のように静かになった。

 感情が抜け落ちたような虚ろな表情で、黙ってセレネを見つめ――やがて、小さく息を吐き出す。

 それは、セレネの示した答えが、彼にとっては不正解だったことを意味する、失望のため息だった。

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