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十七話


 塔のらせん階段を下りながら、セレネとノクスは今後のことを話していた。


 父に会うには、島を出なければならない。

 そのために必要な準備は、すでに整っているとノクスは言う。だが、今回部下を引き連れ上陸してきたエセルスとは目的が異なるというのだ。


「オレは、王の勅命で動いてる。だが、エセルスは違う。あいつは、反国王派だからな」

「え……? なぜ、そんな方がわたしを連れ出しに……」

「……王はあんたを廃したが、それを撤回する気なんだ」

「――どうして?」


 自分と母を追いやったのは、父だったのにとセレネは唇を噛む。

 母にありもしない不義密通の嫌疑をかけ、自分のことは嫡子に能わずと継承権を剥奪したのに、なぜ今さらだという思いがこみ上げてくる。


「姫……それは……」

「そうまでして欲しかった男児に、結局は恵まれなかったからですよ、姫」


 セレネの問いかけに答えたのは、ノクスではなく響きだけは優しげな声だった。

 らせん階段の終点。

 塔の一階で、エセルスが待ち構えていた。


「……貴方、外に出たんじゃ……」

「まさか。私は此度の視察団で、もっとも立場が上の者だ。そういう者は、ふらふらと出歩かず、後方でどっしりと構えていなくてはいけない。……無駄なことは、部下に任せておけばいいのです。わざわざ外に出なくとも、目当ての人物はここにいたことですしね。さあ、かくれんぼはお終いです。参りましょう、姫」

「下がれ、エセルス。姫は、オレと帰る」

「…………チッ」


 ノクスが前に出ると、エセルスが笑顔のまま動きを止め、思い切り舌打ちした。


「愚王の犬が! 今さら、しゃしゃり出てくるな」


 優しげな表情と声が一変し、冷ややかに変わる。


「愚王の、犬?」


 ついていけないセレネが、小さな声で呟くと、エセルスは鼻を鳴らした。


「ああ、貴方はご存じないか、廃王女。貴方の父は、自分の血筋を受け継ぐ男児を欲するあまり、数多の女に手を付けて、己の望みを叶えないと知ると打ち捨ててきた。政よりも、子をなすことに夢中の愚物と化したのですよ」

「…………」

「愚王――後世には、そう伝えられるでしょう、あの王も、ようやく病に倒れてくれた。無能な血を受け継ぐ男児を残すことなく、ね。それだけは、唯一讃えるべき功績でしょう。……ですから、あとは相応しい者が次の王になるだけだったというのに――」


 ギリッとエセルスが歯ぎしりした。


「よりにもよって、寝たきりになった途端、自らが廃した王女に継承させるなどと言い出した! 周りがいさめても聞かずに……! そしてとうとう、そこの狂犬を動かしてまで、貴方を連れ出しに来たのだ! これでは、いらぬ争いが内部で生まれかねない! あの死に損ないが……どこまでも愚かな王め!」


 憎々しげな表情が、ノクスに向けられた。


「貴様も貴様だ、ノクス・ロッホ! 愚王に諾々と従うだけの、犬め!」

「聞き捨てならないな、エセルス。オレは、あの男に従ったことなんて、一度もない」

「――なんだと?」

「オレが従う相手は、後にも先にもただひとり。生憎、一途なもんでね」

「戯れ言を。ならば、なぜここにいる! 我らを出し抜いて、エルド島に先んじた! 混乱の元になる廃王女を連れ出そうと企んだからだろう!」

「黙れ、エセルス。二度と、姫をそんな風に呼ぶな。王は、すでにセレーネレシェンテ姫の王位継承権復活を認めている」

「こんな場所で閉じこもって生きてきた娘に、なにが出来る!」


 もはや取り繕う必要なしと判断したのか、エセルスはセレネのこともこき下ろす。

 それだけ、彼の王家への不信感は根強いのだろう。

 嫌悪に満ちたエセルスの表情に、セレネは既視感を覚えた。

 ――こんな、苛立ちも露わな顔を、昔どこかで見た気がするのだ。怒りと失望が混じった刺すような視線がセレネの記憶に引っかかるが、どうにも思い出せない。


(そう。今は、そんなことよりも……)


 セレネは自分のすべきことを冷静に考える。以前ならば、こんな風に激情している相手を直視など出来ず、物を言うなど不可能で、ただ俯いていただろう。

 だが――それではダメだと、教えてくれた人がいるから、セレネは息を吸って、口を開いた。


「エセルス。今、ここで、貴方と争うつもりはありません」

「……なに?」

「貴方が迎えに来たというのならば、受け入れましょう」

「姫!?」


 ノクスが驚愕したような声を上げるが、セレネは大丈夫だと頷く。


(大丈夫。貴方がそばにいてくれるなら――わたしは、大丈夫よ)


 とても、強くなれる。どこまでも、自分が驚くほど強く。

 だから、真っ直ぐにエセルスを見つめ、セレネは落ち着いた声で続けた。


「今すぐ、貴方の部下たちを呼び戻してください。エルド島の人々をいたずらに傷つけることは、許しません」

「…………」

「わたしは、陛下の元へ参ります」

「会って、どうするおつもりですか? 言われるがまま、女王になると?」

「ええ」

「――このっ……!」


 再び、エセルスが激昂した。

 だが、彼が口を開くより先に、セレネは続ける。


「最後まで、わたしの話を聞いて下さい。――いいですか、エセルス。争いの元になるのならば、王位を空白にしてはおけません。それは次の王となる立場も同じ事。……わたしに継承権が戻れば、ひとまず、争いは避けられるでしょう。――その間に、あなたがたが相応しい者を見定めてください」

「……なに……?」

「エセルス。貴方がわたしを保護すると言った理由は……王位を巡る争いが、内々で起きているからでしょう。……そしてノクス、貴方が単身でエルド島に来た理由も、同じ。違いますか?」

「正解だ、姫。あんたが生きていれば邪魔だと思う連中は多い。主立った貴族の連中で意見が割れているんだ。そこのエセルスの家も、姫を邪魔者だと思っているクチだが……」

「短絡的な馬鹿者共と一緒にするな。我々に、か弱い女を殺す趣味はない」


 エセルスが嫌そうに吐き捨てる。


「お前の親父は、そっち派だっただろう」

「……それは、過激派を抑えるための方便だ。父上も、命を奪わなくてすむならば、それに越したことはないと仰っていた。だからこそ、他の者達が動く前に保護に来たのだ」

「……ふうん。保護、ねぇ」


 ノクスは肩をすくめ、セレネを振り返る。


「姫、こいつを信用するのか?」


 保護というエセルスの言葉は、本当だろう。

 目付き、口調、その他表情の動きを見て、セレネは頷く。

 命を奪うつもりはないようだ。

 ――今は、まだ。

 ならば、ここで抗うよりも与する方が賢い選択だろう。


「少なくとも、今言っていることに嘘はありません。……それに、これ以上エルド島の皆の暮らしを脅かすことも、本意ではないので」


 ノクスがひとつ頷く。反対に、エセルスは、顔をしかめた。


「……相変わらず、甘い方だ」


 セレネは笑った。


「そうですか。でも、これでわたしの考えは伝わったでしょう? ……自分の思いは言葉にしなければ伝わらないと、教えてくれた人がいたので」

 

 笑われても、それでも自分は声に出す。

 待っていると、真摯に向き合ってくれた存在がいたのだから。


「陛下の元へ連れて行ってくれますね、エセルス」

「――かしこまりました。謹んで、お連れいたします……セレーネレシェンテ姫」


 そして、セレネはノクスを見た。

 彼もまた、じっと見つめている。セレネの言葉を待っているかのように。


「……ついてきてくれますか、ノクス?」


 ノクスは破顔して、頷いた。


「もちろんだ、姫。どこまででも、オレはあんたに付いて行く」

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