十話
青い空に、気持ちの良い風。
絶好の農耕日和の今日、エルド島にそびえ立つ塔……その敷地内に作られた畑は、珍しく賑やかだった。
「ほらほら、ちゃっちゃと働く!」
青い空に、メリッサの厳しい声が響く。
すると、すぐさま反論の声が上がる。
「分かってるよ、メリッサさん。だから、後ろで腕を組んで監視するのはやめてくれ」
「嫌なこった! アタシが目を離したら、すぐにお嬢様のところへ行くつもりだろう? 絶対に許さないよ。つべこべ言わず、はやく土を耕しな!」
上着を脱ぎ、腕まくりをしたノクスは、剣ではなく鍬を手にし、メリッサに叱咤されている。
それを、セレネは塔の一階にある、厨房の勝手口から見つめていた。
――朝、あの後でやってきたメリッサは、なぜかいるノクスにたいそう驚き、そして経緯を聞いて怒った。
曰く、妙齢の女性の部屋に忍び込むなど、紳士のすることではない! と。
そして、性根をたたき直すと言って、そのままノクスを引きずっていき……もうお昼になるというのに、ノクスは未だ罰という名目で、メリッサにこき使われていた。
「……メリッサ、もうそれくらいにしてあげたら? 傾いていた棚も、立て付けの悪い扉も直してもらったし、薪割りだって……だから、もう充分よ。貴方だって、ずっと彼に付いていたから疲れたでしょう? 中で休んで?」
「姫、優しい!」
「こら、よそ見しない! それに、お嬢様はアタシを気遣ってくれたんだよ! 甘えない!」
「いてっ!」
バシッとノクスの背中を、メリッサが勢いよく叩く。
「まったくもう。きちんと反省しているのなら、アタシもそろそろ勘弁してあげてもいいですけど……。ノクスさん、二度と忍び込むなんて真似、しないで下さいね?」
「断言は出来ないな。オレは待つのが嫌いだから」
「まったく、ナリだけ育った子どもですか!」
呆れたように嘆息したメリッサは、彼の言葉を冗談と処理したらしい。
ノクスも笑っているが――。
セレネと目が合うと、パチッと片目をつむってみせた。思わず顔を背ける。
「姫? おい、無視するなよ姫。むーしーすーるーな!」
「きゃあ!」
不満そうに唇をとがらせたノクスが、大股で近づいてきていた。
「こら、また! 泥だらけでお嬢様に近づくんじゃありません!」
「痛ッ! だから、背中を叩くなってば!」
「自業自得だよ! まったくもう!」
子どものようなふくれっ面のノクスに、途中までは怒っていたメリッサが吹き出す。
和やかな雰囲気だ。セレネの口元も、知らず知らずのうちに緩んでいた。
(こんな時間が、ずっと続けばいいのに……)
ささやかな願いを抱いたセレネは、忘れていた。
自分の願いは、いつだって叶わないと――。
+++ +++
穏やかな海を、一隻の船が進む。
「見えてきました。あれが、エルド島です」
甲板に立つ青年に、父親……ともすれば祖父と孫ほども年の離れた男が丁寧な口調で話しかける。
若者は、一べつもせず鷹揚に頷いた。
太陽の光を受けて輝く金色の髪に、海のように深い青色の双眸。まるで画に描いたような美貌の青年は、身につけている服も意匠を凝らしたもので、彼が船の中でもっとも上の立場にあることを示していた。
「小さな島だな、ウォルター」
その声は平坦で、一切の感情が読み取れない。
名前を呼ばれた男は頭を下げることで、青年の言を肯定した。
「到着次第、塔に向かう。すぐに、廃王女を確保するぞ」
「御意に」
「全ては、我らが大義のために」
真っ直ぐ島を見据えていた青年は、そこで初めて笑って見せた。
全てを嘲るような、冷ややかな笑みだった。




