その3 祐一郎と体育倉庫②
祐一郎が選手になれないまま、地区予選が始まった。その合間には球技大会があり、部活をしている生徒は所属と違う競技に出なくてはならないため、祐一郎は卓球を選んだ。小さいボールコントロールはなかなか難しく、駅前のアミューズメントパークで練習しとくんだった、とちょっと後悔する。クラス数が少ないので、クラス内で数チームに分け、さらに3学年シャッフルのため下剋上が起きると歓声がわいた。
「花梨、すごいじゃん!」
聞き慣れた名前に祐一郎が振り向くと、女子のバスケチームが盛り上がっていた。経験者は他にもいるはずだが、花梨がシュートを立て続けに決めたらしい。
(ここなら、勝てそうだよな)
祐一郎は鼻で笑う。すると、巡回していた体育教師に呼ばれた。
「野口、野口祐一郎。ちょっと手伝ってくれ、ほら」
どうやら電子得点板の調子が悪いらしく、倉庫から古いめくるタイプの得点板を出したら、ところどころ抜けていたということで、手書きの紙を貼りながら対応するらしい。
「電子も万能じゃないしなあ……まあとりあえず抜けてる数字のところも、紙を貼ればわかるだろ、よろしくな」
祐一郎は頷き、得点板の隣の椅子に座る。再開された試合でも、花梨は活躍している。おしくも準優勝だったが、それでも満足そうな花梨の顔を見て、祐一郎は羨ましいとは全く思えなかった。
(あんなにバスケをやりたいなら、なんで美術部なんだ)
イライラしながらも祐一郎は卓球の試合に戻る。しかし次第にコツを掴んできたのと、一度ピシッとスマッシュが決まれば楽しい。フォームはめちゃくちゃながらもバスケ部の腕力から繰り出される速球ボールは相手を翻弄し、そのまま、何故か祐一郎は卓球部門で個人優勝を掴み取った。
「なんだよ、おれ卓球のほうが才能あるんじゃね?」
観戦していたクラスの皆に盛大な拍手をされ、祐一郎は機嫌が良い。そのまま教師にのせられて片付けを頼まれてしまったので、古い得点板を倉庫に押していった。扉を開け、得点板の足を少し持ち上げて倉庫内へ入れる。足もガタついていた。
「欠けてるなぁ……」
祐一郎は、点数シートをつまむ。ビニテで補強された1をめくると、臨時で貼った紙の2と3が連続で出てきた。
「でも使えたじゃん」
古くても、アナログでも、結局剥がれて貼ってを繰り返しながらもなんとか役に立っていた得点板は、簡単にだが、倉庫から出されるときに雑巾で拭かれたので、先日祐一郎が見たときよりきれいになっている。
(そう言えば)
祐一郎は、この得点板が喋っていたことを思い出した。驚いたが、早く帰らなきゃという意識のほうが強かったのと、不意に現れた用務員と花梨のせいで今のいままで忘れていたのだ。
「役に立ってたな」
そう言って祐一郎が、得点板を押し、倉庫の奥に滑らせていくと、ぽん、と何かに肩を叩かれた。少し力強く覚えのある感触は、ミニバスの練習でシュートが上手く決まったときに、チームメイトが「カッケー!」と言いながら叩いてくるものと似ている。祐一郎が顔をあげると、その手は得点板の横からニョキッと出ていた。
「グッジョブ」
グー、と親指を立てたその指は祐一郎の返事を待っているようで、祐一郎もニヤリと笑いながらそこに握りこぶしを合わせた。
(おもしれー夢。うん)
祐一郎は、これは疲れのあとの白昼夢と思うことにし、自然な仕草で得点板に手を振り倉庫の扉を閉める。
「うん、青春だねえ」
すると、扉のすぐ外に用務員がいた。生徒と一緒に片付けをしているのだろうか、そのわりに、手を作務衣の袖口に入れ組んでいる。祐一郎は急に、いまのは夢ではないと我に返った。
「……ひょっとして今の、見てました?というか、見えてました?」
祐一郎と得点板がグッジョブとこぶしを交わしたシーンのことだ。うん?と用務員はニヤニヤと首を傾げ、祐一郎は急に我に返った。
「いや、やっぱり変だと思ったんですけど……でもなんか、怖いとかはなくて……でもやっぱり、お化けってやつ……なんですかね」
祐一郎は用務員に向け、早口で一気に喋ったが、用務員はニヤついたまま、スッと横にずれた。女子がボールを片付けに来たのだ。その中に、花梨もいた。
「どいてくれる?」
「あ、わりぃ……」
違うクラスの祐一郎が優勝したので、花梨は面白くないのだろうか、それとも自分より良い成績を取られたから悔しいのだろうか。祐一郎からは何も聞けず黙っていると、ボールを置いて倉庫から出る際、花梨がひとこと、おめでとうと言った。
「おう……サンキュー」
そのまま花梨はクラスの女子と戻っていく。
「うんうん、青春だねえ」
用務員はまたニヤニヤしながら、去る花梨と祐一郎を交互に見た。
「ああそうだ、スラムダンク読んだことある?」
「あ、もちろん」
祐一郎の親が持っており、児童館にも置いてあった。あれを読んで祐一郎はバスケを始めたといってもいいくらいだ。
「あれジャンプの新しいのが出ると、毎週バスケ部の子たちが回し読み終わるまで練習しなくてねえ……まあ僕も掃除するふりして覗き見してたんだけどさ」
「……へえ」
祐一郎の親は高校の頃、連載を追っていたらしい。親とあまり変わらない年齢に見える用務員は、その頃から働いていたのだろうか。祐一郎が計算できなくて微妙な顔をしていると、用務員が言った。
「諦めたらそこで試合終了だよねえ。試合じゃなくてもね、何かを続けるってのはとても素晴らしいことだよねえ」
「はあ……」
祐一郎が反応に困っていると、用務員はペタペタと、去っていってしまった。他の生徒達もあらかた片付けを終え教室に戻っていくところで、祐一郎も慌てて戻る。帰りのホームルームでは賞状を掲げた祐一郎を中心に記念撮影という、中学初のイベントは楽しい思い出となった。
「賞状、見せて」
帰り道、祐一郎の隣に花梨が並んだ。リュックにいれると曲がるので、丸めたまま手に持っていた賞状を、花梨に見えるよう広げる。優勝という文字が、デカデカと書いてあった。
「いいなー」
「花梨も2位だろ」
「まあね」
花梨も賞状を広げる。チームの人数分きちんと賞状が用意されているのだ。
「親に見せよう」
嬉しそうな花梨に、祐一郎は気になっていたことを聞いた。どうして美術部なのか、と。
「バスケがなくても、他の運動部でも良かったんじゃね?」
「うーん……それも考えたんだけど」
花梨が珍しく口ごもる。
「ほら私、喋るの得意じゃん。口喧嘩なら負けないっていうか」
「なに自分で言ってんだよ。あと俺には嫌な思い出しかねぇよ」
あはは、と花梨は笑う。
「けど、それはなんか、違うんだよねー。勉強も小学校じゃあほとんどAだったけど、中学入ったらもっと頭良いのは沢山いるわけで」
「いまの半分は自慢だろ」
祐一郎のツッコミは花梨にスルーされた。
「でさぁ、お姉ちゃんみたいに、ピアノを10年以上続けてるの、実はすごいんだなって。バスケは好きだけど一人じゃ限界があるし、それなら一人でできて、自分が頑張ったから良い結果が出たって自信満々に言えることは、どうかなぁーとかさ」
「ふーん……」
祐一郎はまだいまいち花梨の言う意味はわからないが、少なくともバスケから逃げて他を選んだわけではないらしく、安心し笑顔になる。
「当然、部活は内申にもプラスになるしね。やるからには、展覧会で入賞狙うよ」
「それな」
花梨らしい、ちょっと打算的な言葉に祐一郎はニヤリと笑った。
「諦めたらそこで試合終了だもんな」
「なに?その突然の安西先生は」
祐一郎と花梨はそれから、スラムダンクの名シーンを再現しながら、分かれ道まで並んで歩いていった。




