その2 沙耶と下駄箱②
次の日の朝は、ぶるぶる震えずにちゃんと園田の下駄箱へラブレターを入れられた。無事届きますように、と沙耶は蓋を閉めてパンパンと柏手を打つ。「いや神社じゃないし」というツッコミがどこからともなく聞こえ、沙耶はまた慌ててその場をあとにした。
そしてラブレターはというと、放課後また沙耶の下駄箱へ戻ってきていた。
「えー……」
がっかりしながら沙耶が家で確認すると、また朱色で添削がしてある。「ずっと見てます、という表現はストーカーのようで不気味です」「とりあえず相手の名前を書き間違うのはアウト」沙耶が良く見ると、大和が太和になっていた。
「なんで点打っちゃったんだろ……」
レターセットはまだある。そして書き直しては戻され、また書いては戻され、というのが金曜日まで続き、沙耶はまた週末にレターセットを買いに行く羽目になった。
そして翌月曜、また朝早くに沙耶はラブレターを出したが、放課後に再々度返却された。だが朱色で直される部分はだんだん減っており、◯が付いている箇所もある。
今度こそ、と思い、沙耶は再び早朝の下駄箱に向かう。無駄に気合いをいれ、ずんずんと。そして園田大和の下駄箱にラブレターを入れ扉を閉めた直後、門のほうから男性の声がした。
「頑張るねえ」
沙耶が驚いて振り返ると、いるのは竹箒を持った作務衣姿の用務員だ。そういえば教師もいない時間なのに門が開いているのは、この用務員が解錠しているからだろう。そこでやっと、沙耶は思い当たった。
「……添削!」
誰もいない時を狙って沙耶は下駄箱にラブレターを入れている。だが用務員ならそのあとすぐ回収できるかもしれない。
用務員はニヤニヤと笑っており、沙耶は確信した。
「おじさんですよね、私の手紙にバツつけたの!」
だが、用務員はニヤついたまま首を傾げ、はてとわざとらしく呟く。
「手紙?なんのことかな?」
「とぼけないで下さい!これですよ!私が書いた……」
沙耶はそう言い、興奮したまま勢いで園田の下駄箱を開けた。
「……ん?」
下駄箱の中には、かかとに「園田」と書かれた上履き、のみ。先ほど入れたはずの手紙は、手品で隠されたかのように無くなっていた。
「……無い?」
「無いねえ」
用務員はうん、と頷く。
「いや、さっきちゃんと入れました!」
「でも、無いねえ」
沙耶はわけがわからない、という顔をして、力なく下駄箱の蓋をしめた。用務員はそのままのんびり、校庭へ歩き出す。
「下駄箱が食べちゃったのかもねえ。ああ、でもまた君のとこへ戻ってくるかな? 今度は直しが少ないといいねぇ」
むむ、と沙耶は用務員を睨んだ。
「やっぱり何か知ってますよね」
「いやいや、気のせい。あ、そうだ。渡辺さんて、ピアノ上手いよねえ。1,2年の時の合唱祭の伴奏、とても良かったよ」
「……どうも」
「流行りの曲も、なんでも弾けるんだねぇ」
この用務員は突然何を言ってるんだろう、沙耶はそう思いながらも、行方不明のラブレターに関して何も出来ないまま、去っていく用務員の背中を見送った。
そして放課後、朱が入ったラブレターは沙耶の下駄箱へ返されており、帰宅した沙耶は不思議な気持ちと怒りを半々に抱きながら、またラブレターを書いた。
そうして金曜日の放課後、初めて、ラブレターは沙耶のもとに返って来なかったのである。
その夜、沙耶はドキドキしていた。返ってきていないということは、そのままラブレターは園田大和の手元に渡ったのだろう。添削で指摘された点を直す日々は大変だったが、進歩が見られた分達成感もあった。なにより、褒められることがあまりない沙耶は、たまに付く丸が嬉しかったのだ。
「……返事来るかな」
裏にも、中にも名前は書いてある。3年生も2クラスしかないし、渡辺姓は1人。沙耶のことはすぐ特定できるはずだ。だが、そもそも自分がラブレターを書こうと思った経緯を沙耶は思い出した。
「こっちの連絡先、書いてなくない?」
ああー、と沙耶はベッドでもんどり打つ。そうだ、電話番号かLINEのアカウントでも書いておけばよかった。もし気持ちが伝わりあちらから反応があっても、伝えてもらえる手段がない。
(まさか手紙で返事がもらえるなんてこと……ないよね)
沙耶は落ち込む。妹に知られたら呆れられるだろう。あまり騒がないよう注意し、夕飯を食べたらとりあえず気持ちは落ちついたので、そのまま少し早く寝た。妹には「深く考えない性格、羨ましい」と言われるが、深く考えるほど色々できるわけじゃ無いだけだ。
翌日は土曜ということもあり、沙耶はいつまでもベッドでダラダラしていた。日曜日は模試があるので勉強はしなきゃならない。けど当然やる気は起きず、自分が先週アップした「弾いてみた」の反応をチェックする。
「あれ」
新規のフォロワーが1人増え、めちゃくちゃ褒めコメントをくれていた。ヤマト、という名前になんか覚えがあるな、と寝ぼけた頭で考え、はたと気付く。
「園田大和……?」
沙耶は慌ててフォローを返す。昼過ぎに来たメッセージはやはり園田からで、下駄箱に入っていたラブレターのことも書いてあった。
「手紙ありがとう。あと、そこにQRコードが描いてあったから見てみたら、渡辺さんの配信でびっくり。ピアノめちゃ上手いのな」
(QRコード?そんなの描いたっけ?てか普通QRコードって描けなくない?)
沙耶は不思議に思い、それとなく園田に「QR上手く読み取れた?」と聞く。そうして送られてきた画像には、朱色で精密に描かれたQRコードが写っていた。
「これは……」
謎の添削者は、直しが不要となったラブレターに、連絡が取れるようQRコードを追記してくれたらしい。さらに、配信していることを知ってる人は、リアルではいないはずだが、先日の用務員とのやり取りを沙耶は思い出していた。流行りの曲は配信のみで、学校で弾いたことはない。
「……やっぱりあの人、怪しい」
沙耶は唸ったが、とにかく園田にちゃんと手紙は届いたのだ。結局直しに直し、文章力のない自分には無理だと悟った沙耶は、とても正直に「園田くんはちょっと変わってそうなので、お話してみたい」という内容をしたためた。それでリアクションが返ってきたので、やはり園田は変わってるなぁと沙耶が思っていると、予想外のことを言われた。
「おれゲームの配信やってるんだけど、いまいちパッとしなくて、休み時間には一人でアクセス数とかコメントチェックしてるんだけど」
(だから近寄りがたい雰囲気に……)
園田はしょうゆ顔で、目元も切れ長だ。それでスマホを睨んで一喜一憂している姿は怖いよ?と沙耶は教えてあげたくなった。
「手紙もらって、動画見たらすげーってなって。今度コラボしない?」
「コラボ?」
どうやら園田は沙耶に対して、配信者として好意を持ってくれたらしい。
(まあ……いっか……)
頑張って続けてきたピアノと同じように、手紙を直され続けても頑張ったかいは、あったのかもしれない。沙耶は日曜の模試も、今までと違う気持ちで真面目に臨み、家族に「どうしたの?」と心配されてしまったが。
「ああ、昨日の配信良かったねえ。園田くんとのコラボ」
数週間後、沙耶は教科担任から頼まれた配布物を運んでる途中、廊下で用務員から声をかけられた。作務衣姿だが手ぶらで、掃除をしている様子はない。
ありがとうございます、と沙耶は言い、あれから気になっていたことを聞いた。
「用務員さん、下駄箱って手紙食べるんですか?」
「ああ、そうだね。食べるかもねえ」
「でも食べたあと、戻ってきたんですよ」
「そういう事もあるかもね。まあ、ほら。古い下駄箱はさ、スマホも携帯も無いはるか昔からいて、手紙を運んでるわけだしね。渡辺さんは、うまく行って良かったね、うん」
やっぱり怪しい、と沙耶は思いつつも用務員に会釈をしてその場を去る。妹には「深く考えないんだから」と、また呆れられるかもしれないけど。
(それも自分の長所かもしれないじゃん)
沙耶は、次は何を弾こうと考えながら、園田がいる教室へ戻っていった。
次回は男子のお話です。