その1 美咲と、割れた植木鉢
ゆるっと、お楽しみください。
イラストも自分で描いてます。
「タタリ?え?それって幽霊とか妖怪に呪われてる学校ってこと?ヤバいじゃん!」
美咲は、真知の焦った声をスマホ越しに聞いて、困ってしまった。
多多理中学校は美咲が転入した公立中学校で、多多理町に建っている。たしかに地名の響きはヤバく、建物は外側だけ見たら戦前のレトロな木造、一歩間違えると廃屋になりそうな、何か出そうな雰囲気満載である。だけど、タタリがあるってことを言いたかった訳じゃない。誤解させないよう、美咲は慌てて補足をする。
「えと……確かに、名前の通りちょっと不思議なことはあったかな……って言ったのは私だけどさ、違うから落ち着いてよー、真知ぃ」
懇願するような口調で、ひそひそと美咲は喋っている。自分の部屋とはいえ、隣は年子の兄の部屋だ。普段は部屋にこもってゲームばかりしてる兄は、当然同じ中学の3年に転入しているわけで、うっかり恋バナを聞かれたら恥ずかしいことこの上ない。
美咲は棚に飾られたクラス集合写真を見た。野暮ったいセーラー服に丸顔小柄、見るからにおとなしい美咲だが、この日は肩までの髪をまっすぐ念入りにブローした甲斐があり、真ん中に立つとそれなりに主役感がある。隣にいる真知は明るい茶色のポニーテールがよく似合う美人だが、大きな猫目を潤ませていて、美咲はそれを見てもらい泣きしないよう、お別れ会の記念写真が泣き顔にならないよう、必死にこらえていた。美咲は笑顔、そして送る側のクラスメイトも笑顔なので、そこまで淋しいと思われてなかったよなあ、と美咲はやや自虐的になった。
唯一淋しいと泣いてくれた真知はいま、親友が話す不思議現象に対し不信感丸出しである。
「……違うって、何。その、昨日の朝下駄箱前で同じクラスにいる坂崎のことが気になって見てたら、突然目の前に植木鉢が落ちてきたんでしょ?それで坂崎がかばってくれてってさ、それ昭和の青春ドラマだし、どうやって植木鉢が落ちて来たかわからないってさ、ホラーじゃん。あ、オカルトって言うんだっけ」
どっちだっけ、と美咲も考える。だがそれは今考えることじゃない。
「でもー、坂崎君、優しいんだよ。あ、真知。ちゃんと君を付けてよ、坂崎クン。で、坂崎君は鉢を避けた時に転んで足くじいちゃったんだけど、すごく私のこと心配してくれたんだ……」
「無傷で避けたのに足くじくって、コントかよ」
「イケメンなんだからいいんだよ」
とにかく、と美咲は続ける。
「それがきっかけで、今日は私から挨拶もできたし……植木鉢を落としたのが誰かわからなくても、他に怪我人もいないし、なんか不思議なことがある学校なのかもって……それが言いたかったんだってば」
そこで、ここの地名も校名も多多理だし、と美咲が言った部分だけが、真知の中でクローズアップされたらしい。
「んー……とにかくさ、新しい学校で美咲が元気なら、なんでもいいや。制服もブレザーで可愛いしさ、良かったね」
美咲は真知がホッとした声になったのを聞き、スマホ越しに安堵した。
真知は小学校1年からの同級生で、団地の登校班が一緒のため仲良くなった、美咲にとって初めての友達だ。おとなしくて自分から同級生の輪の中に入れない美咲のことを、昼休みや放課後積極的に誘ってくれた真知は社交的で、性格は違くても裏表のないところは美咲と同じで、とても気が合った。
そんな親友と別れて転校しなきゃならないと親から聞かされたとき、美咲は泣けなかった。メーカーの早期退職で転職を余儀なくされた父がやっと見つけた仕事が、多多理町の精密機器工場の管理者なのだ。工場の創設者は昔町長も務めた人物で、いわゆる廃れた田舎を再建した名士でもある。そして工場関係者向けに寮や学校、スーパーも建てられ、住人満足度も高い。
工場関係者には、バブルの前に建てられた頑丈なファミリー向けマンションの1室が格安で社宅として割り当てられ、知り合いのいない田舎に難色を示した母親も、それならと首を縦に振った。
扶養されてる身では、親が必死で見つけた第二の人生に嫌だとわがままを言えるわけでなく、渋々ながら中2の5月という半端な時期から新しい学校に通うことになった美咲は、そこで同じクラスの物静かなイケメン坂崎に、わかりやすく恋心を抱いたのである。
そしておとなしい性格のため見てるだけしかできず、転校生として他の生徒にありがたく世話を焼かれているうちに、ますます話す機会がないまま1ヶ月が平穏に過ぎた。そして植木鉢事件が起きたのだ。喋れるようになったといっても挨拶だけなのだが、美咲にとってはかなりの進歩だ。
「じゃ、また何か進展あったら教えてよー!夏休みになったら会おうね!」
元気な真知の声に、見えないと思いながらも笑顔で頷き美咲は通話を切った。そのままカーテンを少し開けて、窓から夜空を眺めると、ベランダのプランターが視界に入る。
「あ……植木鉢。花は入ってなかったけど割れちゃったんだよね……」
割れた鉢は、どこからともなく現れた用務員の男性が手早く片付けてしまったが、美咲はなぜかそれがとても気になった。恋は少し進展しても、代わりに植木鉢は割れてしまい、もう元に戻らないのだ。
「……しかも、学校の備品だよね……」
落としたのは誰かわからずとも、罪の意識を抱いた美咲は、翌日の放課後、用務員室へ向かうことにした。
「お、おはよう坂崎くん……足、大丈夫?」
美咲は今日も、頑張って積極的に阪崎へ話しかけた。だが坂崎は軽く頷きそっけない。しゅんとした美咲だったが、クラスの女子が「聞いてるんだから返事しなよ」と坂崎へ言い、男子が「こっちは怪我してるんだよ」と反論し、思いもがけず喧嘩になりそうだったが、ちょうど担任が入ってきたのでそのまま立ち消えた。
「あ、坂崎。公欠じゃなくて……出席か」
担任の言葉に、坂崎は力なく、はい、と返事をする。
(私のせいで捻挫したから、怒ってるのかな)
美咲はそう悩み、それ以上坂崎に声はかけられず放課後になった。
用務員室は、明かりがついていないようでノックをしても誰も出ない。いつもならそのまま引き返す美咲だが、なぜかドアに手が伸びた。
鍵はかかっていないようである。
「…こんにちは」
やはり誰もいないようだ。美咲はキョロキョロと室内を見渡し、一歩足を踏み入れた。
「えーと……電気、電気……」
薄暗いなか壁に手を這わせると、四角いものが手に触れた。スイッチだ、と指に力を入れるが、動かない。スマホを取り出しライトで確認しようとしたところ、不意に視界が明るくなった。
「だめだよ、勝手に入っちゃあ」
のんびりとした、男の声だ。
「あ、いえ、あの……すみません……」
美咲が慌てて声のほうを見ると、古びたソファに、作務衣を着たタレ目の男性が横になっていた。美咲の親と同じくらいの年頃で痩せ型、頭には髪が隠れるくらいに手ぬぐいをすっぽり被り、後ろで結んでいる。
「何の用かな?園田さん」
「え、名前知ってるんですか!」
「転入生がいるからと、新しく下駄箱の名札を作ったからねえ。それで、どうしたの?」
やる気のない口調の用務員に、美咲はやや緊張しながら言った。
「あの……昨日割れた植木鉢を片付けてたと思うんですけど、どうなったのかな、って」
「どうって?」
「えと……捨てちゃったんですか?」
「それが君になにか関係あるの?」
美咲は用務員の謎の圧に、口ごもった。今までなら無言でフェードアウトしていただろう、だがここまで来たんだし、と気合いを入れる。
「私のせいで割れたなら……ごめんなさい!」
そう勢いよく言い、勢いよく頭を下げた美咲に、用務員は目を丸くした。そしてゲラゲラと笑い出したのだ。
「……なんかおかしいんですか」
「いや、別に」
不満げな美咲に、用務員は笑顔を向ける。思ったより優しい、大人の顔だ。
「なんで、謝るのかな、って。別に植木鉢を落としたのは君じゃないでしょ?あれは勝手に、ひとりでに落ちたんだ。もう植木鉢じゃなくなったから、あのあと埋めたよ」
「……埋め?」
ああ、と用務員は顎で窓の外を指す。
「そこの、倉庫のすぐ隣のクスノキの下にね。モノじゃなくなったから、あとは土に還るだけだね」
「土……」
「まあ、かなり古いものだったからそろそろかなと思ってたけど、最後に役立てて良かったんじゃないかなぁ」
役立てて?頭上に落ちてきたことが、だろうかと美咲は考える。確かに坂崎と話すきっかけという意味では個人的に嬉しかった美咲だが、捻挫のおまけ付きである。用務員の言葉の意味がわからず、美咲も植木鉢が埋められた場所を見ようとしたが、カーテンが閉められており外は見えない。そもそも用務員が埋めてしまったあとなのだから、もうできることは無いだろう。
しかしなぜか植木鉢の行方がとても気になった美咲は、用務員室をあとにするとクスノキに向かった。
「学校のクスノキの下には、植木鉢の死体が埋まっている……」
そう呟き手を合わせた時、不意にガヤガヤと騒がしい教師たちの声がして美咲は慌てて下校した。
次の日、朝の教室はネットのローカルニュースの話題で持ち切りだった。地域のサッカークラブが遠征先の個人商店で集団万引きをしたのである。未成年で被害も少なく、店側はクラブへの厳重注意に留めてくれたが、一部保護者が不用意にSNSへ「クラブの責任者の管理が」など不満を漏らしたためクラブ名が特定され、バレてしまったのだ。
「これさあ、坂ちゃんのクラブじゃん。昨日坂ちゃんも遠征に行く予定だったんでしょ?」
「捻挫して行けなかったのがほんとラッキーだったよなぁー。やってないやつもさ、店にいたやつは連帯責任だって。名前チェックされてるだろうし、これ受験に響くって親が言ってた」
多多理中は1学年が2クラスしかなく、団体競技は部員数が少ないとチームが組めないため、外部のクラブに所属する生徒も多い。一見物静かな坂崎も実は運動好きで、隣の市にあるサッカークラブに高学年から通っているのだが、今回の遠征には捻挫のため行けなくなったのである。
昨日教師たちが騒いでいたのは、多多理中にクラブの所属者がいないか、万引きに関与した生徒がいないか確認していたからだった。
「……これは」
美咲の脳裏に、植木鉢のご利益、という言葉が浮かんだ。植木鉢が落ちてこなければ、坂崎は捻挫せず、クラブで万引き犯にされてたかもしれないのだ。美咲は偶然に感謝しながら、昼休みに、クスノキの下へやって来てまた手を合わせた。
「あれ、また君か」
背後から美咲に声をかけてきたのは、用務員である。手には竹箒とゴミ袋を持っているが、ちりとりがない。ゴミはどうするんだろうと美咲が考えていると、用務員はおかしそうな顔をした。
「植木鉢は、モノだよ?」
「いえ……でもまあ、植木鉢のおかげかもしれないので、お礼を」
「なんか君面白いねぇ」
美咲は構わず、ありがとうございます、と呟くと、スカートを軽くはたいて立ち上がる。緑紺のブレザーに明るめのスカートという制服は、田舎の公立中学校にしては可愛らしい。
「早く戻らないと、昼休みが終わるよ」
美咲はそれを聞き、慌ててポケットから鏡を取り出して、エンジのタイが曲がってないかチェックした。
「女子だねぇー」
ニヤニヤとその様子を眺める用務員に軽くおじぎをし、美咲は走って教室へ戻る。
午後は移動教室だ。クラスの皆は半数ほどすでにおらず、美咲が机から教科書と筆記用具を取り出したところで、坂崎に呼び止められた。
「園田さん」
坂崎から名前を呼ばれたのは初めてで、美咲は心臓がバクバク言うのがわかった。真正面から見ると、坂崎はイケメンだがちょっと中性的である。お母さん似かな、など考えていると、突然「ありがと」と言われた。坂崎はそのまま廊下に出て行ってしまい、美咲は取り残された。
(捻挫のお礼……?怪我をさせたことにお礼……?)
なんだか美咲は変な気持ちである。
「まあ、嫌われるよりは、いっか」
そう気持ちを切り替えると、美咲も移動のために廊下へ出た。校舎は古く、傷んではいるが手入れをされて居心地は悪くない。
(用務員さんが補修してるのかな……そんなに仕事してるようには見えないけど)
美咲にとっては親都合の転校だったけど、この多多理中学での新生活はなかなか楽しいものになりそうな気がして、思わずニヤけてしまった。
「……ヤバ」
美咲は慌てて教科書で緩んだ口元を隠し、誰にも見られてないよねと辺りを見る。チャイムはまだ鳴っていないので生徒たちはまだ廊下で立ち話をしており、校庭からは男子たちの笑い声も聞こえる。美咲が窓の外に目を向けると、校庭のクスノキが見えた。近くに用務員の姿も見える。
まだいる、と美咲がじっと目をこらした時、用務員の手元から竹箒が浮き上がったように見えた。そしてひとりでに、箒は落ち葉の掃除を始める。
「……ん、んん?」
だが次の瞬間にはもう、葉っぱが大量に入ったゴミ袋と、箒を持つ用務員の姿しか見えない。
「なんか、見間違えたっぽい……?」
美咲は、用務員さんて仕事が早いんだなあ、と自分を納得させるよう首を数回縦に振ると、小走りで廊下を駆けていった。
第1話お読みいただきありがとうございます。
のんびり更新ですが良かったらブクマお願いします。はげみになります。