第98話 回復した女性
女性は座ったまま、上半身を起こしている。先ほどまで流れ出していた血は完全に止まり、はみ出した腸も抉られた傷もそこには残っていなかった。鎧は破損したままだが、その隙間から見える腹部は傷一つなく綺麗だ。残っているのは、こびり付いた血の跡だけだった。
助かった女性と連れの男性は言葉を失い、致命傷だったはずの傷跡を呆然と見つめ続けている。
よかった。
どうやら効果があったようだ。
私の持っているポーションでも、確実に助かる保証はなかった。
神域治癒ポーションといえど、万能ではない。それほどの重症であり、手遅れになる可能性も高かった。
私にできたのは、ポーションを託してそのまま立ち去ることだけだった。結果を見届けず、このまま2人と別れるつもりでいた。
だが、目の前に広がるのは奇跡のような光景だった。
私と部員たちは、少し離れた場所から彼らの様子を伺っていた。
「ど、どういうこと……?」
部長は驚きで目を丸くしている。
「何があったでござるか? どうして傷が消えているのでござるか?」
石田さんを始め、他の3人も呆然と立ち尽くしていた。
私は彼らに対して、安心させるように笑みを向ける。
「私のポーションが役に立ったようです」
部長が信じられないといった様子で、私に尋ねた。
「え!? 春菜さんは、100DPのポーションしか買っていませんでしたよね!?」
私は控えめに、小さく首を振った。
「そうか! そういうことであるか!」
石田さんが、何かに気づいたように叫んだ。
「姫は真に資産家のご令嬢なのであるな! 普通の家と謙遜されておったが、やはり姫は姫だったのである。あれだけ高価なポーションを何も言わずに渡し、そのまま立ち去る。やはり姫こそ、我らが仕えるべきお方だったのであるな!」
「いえ、そういうわけではないんですけれど……」
部長は依然として、呆然とした顔だ。
「春菜さん、すごい……。おそらく1本で5千万はするやつだよね……。そんな高価なポーションを迷わず差し出せるなんて……」
私は、部長の言葉にそっと訂正を入れる。
「今は相場が下がっていて、3千万DPくらいです」
大勢が地下220階へ到達したことにより、相場は若干下がり気味だった。
それでも、部長の声は震えていた。
「たとえ3千万でも……。地方なら家が買えてしまうよ……」
「そんなことよりも、急ぎましょう。あの2人の仲間がオーガと戦っていると言っていましたよね」
のんびりしている暇はなかった。
オーガの問題はまだ解決していない。
「そうだ。オーガだ。この階層にはオーガがいるんだ」
「どうするのでござる? 逃げるのであるか? それとも階段を探すのであるか?」
「ダンジョン部の部長としては……僕たちは……みんなの安全を考えると……」
戦うか、逃げるか。
判断を下せずにいる部長に対して、私はずいっと顔を寄せた。
「オーガを倒す! ですよね!! これ以上、先ほどの女性のような被害者を出さないために! オーガを倒すことが、みんなの安全に繋がる。そうですよね!? 部長!」
部長はおずおずと、私に尋ねてくる。
「春菜さんは……僕たちが倒せると思う?」
「はい!!」
力強く答えた。
部長の中にも戦いたいという意志はあるはずだ。ただ、部員の安全を預かる身として、決断を下しかねている。
私は本気で倒せると思っていた。なぜなら、ここまでの戦いを見てきたからだ。
実力的には本当にぎりぎりだろう。問題は心構えにある。
オーガとの戦闘は死と隣り合わせの、薄氷を踏むような攻防になるはずだ。
そこに向き合う覚悟があるかどうか。
そして、強い意志があるかどうか――
「もうこれ以上、被害者を出すべきではありません。部長、オーガを討伐しましょう」
オーガからハンターを守る。これが理由のひとつだ。だが、まだ何かが足りなかった。
「そうだね……。僕たちはやらなきゃいけないのかもしれない……」
部長も頭では理解している。しかし、踏ん切りをつけるための決定打が欠けていた。
「でも、どこかが引っかかっているんだ。この状況……」
私はこれまでの不自然な経緯を思い出す。
「……電波障害。……階段が塞がれている。……オーガが部屋の外に出ている。それは、つまり……」
石田さんが、私の言葉を引き継いだ。
「MPK……であるか……」
「それだ!」
部長が叫ぶ。
MPK――モンスター・プレイヤー・キラー。
PKとは直接ハンターを殺すことだが、MPKはモンスターを利用してハンターを殺害することだ。
この状況は、誰かの明確な悪意によってもたらされたものだ。
ようやく、私たちの覚悟は決まった。
「僕たちは誰かに殺されるところだった。僕たちだけでなく、この階層にいる全員を殺そうとした。そうして金品を奪うなんて……許せないよ……」
人間として到底許されない行為だ。そこには救いようのない悪意があった。
私たちはただモンスターと戦うのではない――
「悪を……挫くのでござる……」
石田さんが強く拳を握りしめた。
他の部員たちも深く、力強く頷いている。
みんなの覚悟が決まった。
「オーガを倒しましょう。ここにいる全員で」
柄のみになってしまったが、私はゴブリンソードを掲げる。
部員たちも、それぞれの武器を手にして高く掲げた。
私は能力制限の腕輪の設定を変更し、能力値を全開放する。オーガに対して出し惜しみをする余裕はない。
これでレベル71の全能力が使える。
まだ全力での戦闘は行っていない。ハンターは、レベル20から25前後で魔法が使えるようになるそうだ。私もいずれは修得できるだろう。
私が将来、使えるようになる魔法の適性を思い出す。
プランツ属性:10%、フレイム属性:15%、アース属性:12%、アクア属性:18%
そしてメタル属性は45%。
この確率に従い、いずれかの属性が発現するはずだ。
どの属性の魔法が使えるようになるのだろうか?
そして、それはどんな魔法だろうか?
しかし、いつ発現するかわからない魔法に今は頼るわけにはいかない。
私一人で戦うのではない。ダンジョン部の仲間たちと協力して立ち向かう。
全員で力を合わせ、絶対に一人の犠牲者も出さずに切り抜けてみせる。




