第35話 お猿さんを閉じ込める
マッド・エイプはすぐ目の前にいる。
階段の入口は石で囲まれ、螺旋状になって上へと伸びていた。
マッド・エイプは被っている兜をくるっと回転させた。猿の顔は完全に覆われ、これではこちらを見ることはできないはずだ。
楽しそうに両手を振り上げ、踊るような仕草を見せている。『お前なんか見えなくても怖くないぞ、雑魚め』とでも言っているかのようだ。
》完全に遊ばれてるな
》もう兜も剣も、取り返すのは絶望的か?
》まだ取られやすいものがあるから気をつけろよ。神王のネックレスとか。
》とりあえず、現状をなんとかしないと
》なにか、方法はないものか……
》そうだ! 空間収縮でやつの後ろへ瞬間移動したら?
神王スキルである空間収縮を使えば、短距離を瞬間移動することができる。ただし、発動には条件があった。
「すでに試みたのですが……。移動先に障害物があると無理なんです。マッド・エイプの背中には神王の長剣が刺さっていて、それが発動を阻害しているようなんです」
》あのお猿さん、そこまで考えているのかね?
》たまたまだろ? ハルナっちのスキルまでは知らないはず
》いずれにせよ、逃げ道はない
》戦うのか? それしかないのか?
今の私は完全に泥だらけだった。配信画面には全身が泥で汚れた私の姿が映っている。カメラのレンズに付いた泥を拭ったものの、完全に落としきれてはいない。視聴者には不鮮明な映像が送られていた。
「お兄ちゃんの剣に続いて、兜まで……。なんとか取り返す方法はないものでしょうか……」
私は唇を噛みながら、込み上げる悔しさをこらえる。
ダンジョンデバイスをマッド・エイプに向けてHPを確認するが、100%のままだ。剣が背中に刺さっていてもダメージにすらなっていない。
正確には0・001%ほどのダメージは与えているようなのだが、致命傷にはほど遠い。
マッド・エイプは相変わらず挑発を繰り返す。兜を前後逆さまに被ったままでいるが、私が逃げようとすれば飛びかかってくるだろう。視界が塞がれていても、奴にとっては造作もないのだ。たぶんまた、私を泥に突き落としたりするに違いない。
「憎たらしいです……」
なんとかこの猿をぎゃふんと言わせる方法はないものか……。あわよくば、倒せないだろうか……。
懸命に思考を巡らせるが、良い案は一つも浮かんでこない。
だがその時、私に天啓のような閃きが降りてきた。
この方法ならどうだろうか。
もしかしたら、可能性があるかもしれない。
今のこの状況を逆に利用する。
階段は閉鎖された環境だ。
そこへ自ら入ったマッド・エイプは、愚かとしか言いようがない。
「私のことを、舐めすぎです!!」
私は叫び、背負っていた盾を勢いよく下ろした。
「神王スキル――絶壁の大盾!」
叫ぶと同時に、盾が私の身長を超える大きさへと拡張される。そのまま階段の入口に力任せに押し付けた。
「閉じ込めてやりました!」
ダンジョンデバイスのカメラは泥で汚れ、画面も半分ほどしか見えない。どうせ視界は悪いし、なにより視聴者からのコメントを追っている余裕はなかった。
「このまま押しつぶしてくれます!」
私はぐいぐいと盾を押し込む。
「キキ! キキィ!」
当然、マッド・エイプも抵抗してくる。凄まじい力で押し返してきた。
「神王装備を舐めるなよお! 腕力上昇! 大鬼の小手! 脚力上昇! 巨人の脚力!」
装備とスキルの力でひたすらゴリ押しする。じりじりと押し込んでいき、階段を一歩、また一歩と登っていく。
「どうだ! これがお兄ちゃんの装備のパワーだ!!」
この先は地下216階。
モンスターによる階層間の移動は不可能だ。
そこに逃げ道などないのだ。
「キ、キ、キ! キキィ!」
「このまま押しつぶしてくれます!!」
マッド・エイプの抵抗も相当なものだったが、装備を奪われた私の恨みのほうが勝っていた。私は一歩、もう一歩と階段を登り、地下216階の目前まで追い詰めた。
「キイキイキイ?」
ここにきて、マッド・エイプが茶化すような声を漏らした。
このまま圧殺しようと考えたが、現実はそう甘くなかった。
力比べでは勝っているものの、マッド・エイプに致命的なダメージを与えるまでには至らない。
デバイスでHPを確認する。マッド・エイプのHPは100%のままで変わらない。これほどやっても、有効なダメージを与えることができていなかった。
盾の向こう側にいるマッド・エイプに対し、私に直接攻撃する手段はない。押しつぶす以外に方法はないかと思案したが、別の神王スキルを発動させる。
「なら、これではどうですか!!」
極大重力!!
このスキルは私を中心とした重力を増大させる。効果範囲を絞り込むほど、かかる重力はより大きくなる。
ぎりぎりマッド・エイプに効果範囲が及ぶように調整し、最大限の出力を発揮する。
ずしん、と重い圧力がのしかかる。
私の体重4?Kg(自称)は約100倍の4千Kgとなる。約4トンだ。
「こ……れ……で……どうだ……!」
神王の鎧を纏っているおかげで、なんとか自重に耐えられる。はたして、マッド・エイプは……。
ダンジョンデバイスで奴のHPを確認する。
「だ……だめ……か……。変わらず100%のまま……」
さすがのマッド・エイプも苦しそうに呻いてはいるものの、ダメージを与えることはできなかった。
「くっ……。もう、攻撃手段がないよ……」
私は手持ちのカードをすべて使い切っていた。
天啓が降りたと思っていたけれど、結局ここまでが限界だった。
神王スキルには制限時間がある。盾を押す力も弱まり、やがて力尽きるのを待つばかりだ。
一方でマッド・エイプは、盾に押され重力に潰されながらも、まだ余力を残しているようだった。
代わりに、私にはどっと凄まじい疲労が襲いかかる。
スキルを維持しているだけでも、みるみると活力が奪われていくような感覚だった。
いつまでもこの状態でいれば、こちらのほうが先に倒れてしまうだろう。
有効な策もなく、それでも必死に盾を押し続けるしかなかった。
「やっぱり、私では……た、倒せない……の……かな……?」
だめかな……。
諦めかけていた。
限界も間近だった。
もうすぐスキルが強制解除されてしまいそうだった。
ふと、何かの光明が差したような感覚を覚えた。
すべてを覆す、運命の反転現象。
――覚醒LV2
運命が新しい方向へと進み出す、世界が変転する流れ。
なんだろう、これは。
覚醒の連鎖? 共鳴反応? 新しい覚醒者? どこでそんな存在が生まれた? いつ? どこで?
なにげなく、ダンジョンデバイスに視線を向けた。
》【もりもり】お……またせ……しまし……た
泥で汚れていてよく見えない。
それは、もりもりさんからのコメントだった。
画面を擦って泥を落とすと、ようやく文字が読めるようになった。
》【もりもり】春菜さん。お待たせしました! そのままの状態を維持してください!




