第170話 血のバレンタイン
「今、温かい飲み物を用意するわね。コーヒーと紅茶とココア、どれがいい? ホットチョコレートもあるけれど?」
「……!? ホットチョコレート!?!?」
エリ先生の言葉に即座に反応したのはミリアだった。
「ホットとは『温かい』の意味なのです。チョコレートを温めてしまったら、溶けて食べられないのです。エリ先生はミリアの先生となる人かと思ったのですが、まだまだなのです……」
エリ先生は無言でミリアの前にカップを置いた。そこからは湯気が立ち上り、いかにも温かそうだ。
甘い香りがこちらまで漂ってくる。私が覗き込むと、カップにはホットチョコレートが満たされていた。
ミリアがごくりと喉を鳴らす。
「な、な、な……。なんですか、これは……。この魅惑的な液体は……」
ミリアはカップを手に取り、ふーふーと冷ましながら一口飲む。そして、至福の笑顔を浮かべた。
「エリ先生はやっぱりエリ先生だったのです……。ミリアの先生なのです……」
おいしそうに飲むミリアを微笑ましく思いながら、私はエリ先生に問いかけた。
「そういえば、なにか用事があったのでしょうか。ミリアに電話をかけてきましたが?」
「ああ、そうそう。ミリアちゃんの今後のことでね。やっぱり私と一緒にこのマンションで生活するのがいいのかなって。それをミリアちゃんに聞こうと思ったの」
当のミリアはホットチョコレートに夢中になっていて、私たちの会話など耳に入っていない様子だ。
「まあ、ミリアに聞いてみて、本人が選ぶのが一番だと思います。エリ先生のことは慕っているようですし、ミリアの正体を知っているのは私たちと先生だけですから」
「ミリアの正体?」
春日井君がタオルで頭を拭きながらこちらに近づいてきた。春日井君はミリアがモンスターだとは知らないはずだ。
私は内心「しまった」と思いながら、エリ先生に目で合図を送る。
エリ先生は春日井君をいったん部屋から遠ざけようと考えたのだろう。話題をタオルに切り替えた。
「ええと、春日井君。そのタオルだけど、汚れてしまったわよね」
「え? ああ、すみません。ドラゴンの唾液で汚れてしまいましたね」
「悪いんだけど、洗濯機に入れておいてもらえる? 洗濯機はリビングから廊下に出て、左手の扉を開けたところよ」
「わかりました」
そう言って春日井君はリビングを出ていった。
「春日井君がいないうちに、話をしてしまいましょうか」
「わかりました。でも、エリ先生……」
「なに?」
「洗濯機のある場所って、脱衣所だったりしませんか?」
「……」
エリ先生は少し考え込み、「しまった」という表情で目を見開いた。
「まずいわ!!」
春日井君を呼び戻そうと、エリ先生は勢いよく立ち上がる。
しかし、遅かった。
浴室の扉が開かれる音と、脱衣所の扉を開ける音がほぼ同時に響いた。
これが、のちに「血のバレンタイン」と呼ばれることになる歴史的事件だ。
全然バレンタインとは関係ないのだけれど、のんきにホットチョコレートを飲むミリアの姿が印象的だったため、そう命名された。
「きゃあ!」という悲鳴。春日井君の鼻に向けてまっすぐ飛ぶ鉄拳。見事にクリーンヒットし、鼻血を出しながら真後ろに倒れる春日井君。
脱衣所に血しぶきが舞う。湊ちゃんのグーパンチによる出血だ。
決して「見てしまったこと」による鼻血だとは信じたくない。
さて、ミリアはサキュバスだ。
男性の記憶を都合よく消去する魔法でも使えないものだろうか。
気絶した春日井君を、エリ先生と二人がかりでリビングに運び込む。そして、口に無理やりポーションを流し込んで回復させた。




