第169話 エリ先生のマンションへ
「唾液でベトベトだぜ……」
「ふぇぇぇぇ……」
唾液まみれの春日井君も悲惨だが、被害がより深刻なのは湊ちゃんのほうだった。制服は全身が濡れて体に張り付いている。その姿に思わず笑ってしまったのだが、ちょっとかわいそうでもあった。
「二人とも、ひどい状態だね。とりあえずシャワーを浴びたいだろうし、制服も洗濯しなきゃ。ここから一番近いのは誰の家だろう」
「ミリアは、お家がないのです」
唾液の被害を受けていない私がなんとかしなければならない。
ミリアを除く三人の家の場所を確認する。
タブレットで地図を表示したが、どの家もここからは時間がかかりそうだった。
その時、ミリアのタブレットから着信音が鳴り響いた。
「エリ先生からの着信なのです」
ミリアがタブレットを操作すると、画面にエリ先生の顔が映し出された。ビデオ通話らしく、こちらの惨状もしっかりと伝わってしまったようだ。
エリ先生は開口一番、驚愕の声を上げた。
「あなたたち! 何をしているんです!? びしょびしょで……。え? 後ろにいる大きなモンスターは……。ええ!? ド、ドラゴン……?」
私は横からミリアのタブレットを覗き込み、手短に状況を説明した。
「実はドラゴンの口に入ったら、春日井君と湊が唾液まみれになっちゃいまして。どこかでシャワーを浴びようと話していたのですが、みんなの家が遠くて困っていたんです」
エリ先生はすぐに状況を察して、自分の家へ来るように提案してくれた。
「それならひとまず、うちへ来てください。そこはすぐ近くの空き地ですね。私のマンションが近所にあります。歩いて5分ほどです。マンション名と住所を送りますね。15階の1502号室になります」
「あ、それなら今すぐ行きます。ベランダからお邪魔しますので!」
「べ、ベランダから!?」
私は「ほら、エリ先生のところへ行くよ」と二人の手を引き、ふたたびドラゴンの口へと促した。
ドラゴンは大きな翼を広げ、力強く舞い上がった。
「フレイムドラゴン・ロード! エリ先生のマンションへ!」
マンションは目と鼻の先だったため、わずか5秒ほどで到着してしまった。
ドラゴンはエリ先生の部屋があるベランダを覗き込むようにして、空中で静止した。
窓の向こうでは、エリ先生がスマホを握りしめたまま、あんぐりと口を開けて固まっている。
ここはマンションの15階だ。
そこに教え子たちが現れるなど、想像すらしていなかったに違いない。
ドラゴンは器用に頭をベランダへ差し込むと、その口を小さく開いた。
私たちがベランダに飛び降りると、エリ先生が慌てて窓を開けて出てきた。
「とんでもないところから入ってきますね……。あなたたち……」
「おじゃましまーす」
私は元気よく挨拶し、真っ先にエリ先生の部屋へと踏み込んだ。
「おじゃまします」
「すみません……」
「おじゃまします、なのです」
春日井君と湊ちゃん、そしてミリアがその後に続いた。
唾液まみれの二人が歩くと、床に点々と濡れた跡が残ってしまった。
「とりあえず、早くシャワーを浴びなさい。南波さんから先がいいわね。制服は洗濯機へ。着替えは私のジャージを貸しますから」
エリ先生の部屋は驚くほどシンプルで、家具も最小限だった。家族向けの広い間取りだが、一人暮らしなのか、生活感はほとんど感じられない。
家電こそ一通り揃っているが、テレビなど娯楽の類は見当たらない。雑誌や私服が散らばることもなく、雑貨一つ置かれていないその空間は、まるでミニマリストの住まいのようだった。
「ありがとうございます。シャワー、お借りします」
そう言って、湊ちゃんは急いで浴室へと駆け込んだ。
「春日井君はちょっと待っていてね。ここには浴室が一つしかなくて。アメリカにいた頃はバスルームが2つあったのだけど、日本の住宅は手狭よね。ひとまずこのタオルを使って、南波さんが上がってくるのを待ってて」
「すいません、ありがとうございます。でも、タオルが汚れちゃうんじゃ……」
「いいのよ、気にしないで。早く拭いたほうがいいわ。タオルなんて洗えば済む話なんだから」
「ありがとうございます」
春日井君はエリ先生からタオルを受け取り、濡れた頭を拭き始めた。
私とミリアはリビングのソファに腰を下ろし、くつろいでいた。




