第145話 エリさんの安否
ずっと代わり映えのしない映像だったため、視聴者はあまりコメントを書き込んでいなかった。エリさんがダンジョン側に突き落とされたことで、コメントが一気に噴出した。
》ちょっと待て、何が起きた!?
》パイロットをしていたエリという女性がダンジョンに突き飛ばされた。
》死んだ!?
》やば。人が死ぬとこ、初めて見た。セルゲイが陰になって、見えてはいないけど。
》なにかの間違いじゃないのか!? 本当に死んだのか!?
》安否の確認はできていない。
》だけど、生存は絶望的だ。
》ちょっと待てよ。まだ決まったわけじゃない。
》万に一つ、一縷の望みはあるかもしれないだろ。
》あるわけない。人間が耐えられる放射線量じゃないんだぞ。
》だから、ミリアだよ。ミリアが宝箱の蓋を閉めていてくれたら……。
》ミリアたんの影はなかったぞ。この短時間の間に、たまたま戻ってきて、触れてもいなかった宝箱の蓋を、たまたま閉めたと? そんなのご都合主義じゃないか。
》いやいや、これまでだって、ご都合主義としか思えないくらいの奇跡が起こってきただろ? 今回も奇跡が起こっているかもしれない。
》だったら、別の奇跡があってもいいだろ。例えば、エリとやらがハンターで、ハルナっちのようにメタル属性の魔法を会得していて、自らの体を金属化していたとか。
》ご都合主義すぎる。
》ご都合主義かもしれないけどさ、ハルナっちの目の前で人が死んだとは信じたくないんだよ。しかも、美人のアメリカ人がさ。
》いやいや、絶対に無理だって。
》助かる可能性はあるのか? ないのか?
》とにかく、あの放射線量じゃあ、無理がある。助かるはずがない。
》どう考えても絶望的。
》落ち着け。俺たちが混乱したらハルナっちの迷惑にしかならない。
コメントはあまりに多く、AIが自動的に有益なものだけを抽出して伝えてくれていた。
》とりあえず、ハルナっち。聞いてくれ。
私はこくりと頷く。セルゲイは依然として、ダンジョンの入り口に立ち塞がっている。
》ガイガーカウンターで放射線量を測定するんだ。まだ、エリさんが死んだと決まったわけじゃない。
私は思考を巡らせる。
セルゲイがそれを許すはずがない。放射線を測るためのガイガーカウンターは、彼の足元に転がっている。あれを拾い、プローブの先をダンジョンの入り口に差し込めばいい。だが、セルゲイがそこにいるだけで、その簡単な作業は至難の業と化す。
》放射線が残っていたら、その時は諦めよう。だが、まだ小さな奇跡が残っているかもしれない。ミリアの活躍に期待するんだ。
私は力なく首を振った。エリさんの生存は、限りなく絶望に近い。
「おそらく、放射線量は以前と変わっていないでしょう。エリさんの生存は期待できません。けれど、せめて彼女の苦痛を和らげるために、私は体を金属化して飛び込み、宝箱の蓋を閉めます」
》やめろ。ハルナっちまで被曝してしまう。
「被曝は避けられないでしょう。でも、即死ではないはずです」
》ダンジョンタブレットのAIは何と言っている?
視聴者の問いかけに、タブさんの冷徹な声が重なる。
『全身に火傷を負うことになる。火傷は真皮に達し、重症となる。処置を施さなければ24時間以内に死亡し、仮に適切な処置を施しても、火傷のあとは消えない。何ヶ月も、痛みに苦しむことになる。主よ、ダンジョンに入ってはならない』
私は悔しさに歯噛みした。
「時間がないんです……。すぐに動かないと。エリさんを助けたい、でも、どうすれば……」
これまで無表情を貫いていたセルゲイが、初めて不敵な笑みを浮かべた。
「他人の心配をしている余裕はあるのか? もうすぐ、お前も死ぬんだぞ」
流れ込んでくるコンクリートは、既に私のブーツの足首まで達しようとしていた。このままでは、この空間そのものが埋め尽くされてしまう。
「あなたも死ぬということですよね、セルゲイ。なぜ、こんな真似を?」
「すべては祖国のため。すべては同志のためだ。最初からロシアは、アメリカと手を組む気などなかったのだ。おそらくロシア側のダンジョンにも、同様の手法で放射性物質が持ち込まれている。お前がやろうとしたように、外からマジックハンドで蓋を閉めれば済む話だ」
「だからといって、こんなことをする必要が……。ミリアに頼めば済む話ですよね?」
「ダンジョンの有無が国力を決定する時代だ。アメリカのダンジョンを無力化すれば、ロシアが覇権を握れる。ダンジョンを失ったアメリカに未来はない。私の命一つでアメリカの未来を潰せるのなら、安いものだ」
私たちは、秘密結社アルトリアスによる妨害を警戒していた。だが、真の敵は身近な場所に潜んでいた。
「これはロシアとしての作戦なの? それとも、あなたの独断?」
「私の独断だが、祖国も同じ決断を下すだろう。そして今、同志たちもこの配信を見ているはずだ。私は英雄となり、今頃彼らはロシアのダンジョンへと向かっている。お前の配信を通して、対処法を学んだのだからな」
「ふ……ふざけないで……。そんなことのために、あなたは……」
「人の命を何とも思っていない、とでも言いたいのか?」
セルゲイは仰々しく腕を広げた。
「なら、私をダンジョン内に突き落とせばいい。ほんの少し押すだけで、私を殺すことができる。だが、エリは戻らないし、コンクリートの流出も止まらない。それでも私が憎いのなら、殺してみろ」
挑発するように、セルゲイが軽く手招きをする。私は一歩、前へと踏み出す。
『主よ。罠だ。セルゲイは主を道連れにダンジョンへ落ちるつもりだ。挑発に乗るな』
「でも……。早くしないと、エリさんが……」
『もう、すべては遅い。結果は出ている。今は目の前の状況に対処するのだ。主よ。コンクリートの流出を止めるのだ』
私は天井の四隅に視線を走らせた。開けられた穴は20cmほどで、それほど大きくはない。
右手を前方へ掲げ、魔法を発動させる。
『ミスリル・カッター!』
黄金色に輝く金属の刃が放たれた。ブーメランのように回転しながら穴へと向かうが、激しく流れ落ちるコンクリートの勢いに飲まれ、虚しく沈んでしまう。
刃を壁に突き立てて穴を塞ぐつもりだったが、思惑通りにはいかなかった。
「くっ……」
「せいぜい悪あがきをするがいい。お前には、この状況を打破する手段など残されていない。私と共に、ここを墓標にするのだ」
私は瞳を閉じ、祈るように念じた。
ミリア……。
お願い……。
入り口に戻って、宝箱の蓋を閉めて……。
急いで戻れば、まだエリさんは助かるかもしれない。
たとえ助からなくても、せめて苦痛を和らげてあげて……。
戻ってきて、ミリア……。
どこへ行ってしまったの? そんなに奥まで行ってしまったの?
ふと、泣きべそをかいたミリアの顔が脳裏に浮かんだ。
もしかして、本当に迷子になってしまったのだろうか。
帰り道がわからない?
そうなの?
『ミスリル・カッター!』
私は再び魔法を唱えた。
セルゲイを目掛けて放たれた黄金の刃は、彼を逸れて背後のダンジョンへと吸い込まれていく。そのまま壁に反射しながら、暗い階段の底へと落ちていった。
「無駄な抵抗を……」
「あの刃が壁に跳ね返って落ちていき、偶然、宝箱の蓋を閉める。そんな奇跡があるかもしれないでしょう」
「はん……。ご都合主義も甚だしいな……」
私が放った刃には目もくれようとしなかった。




