第135話 ミリア、日本国民となる
全員が夜空を見上げた。遠くに小さな明かりがあった。なにかの音が聞こえてくる。次第に大きくなるその音は、ヘリコプターのものだった。
苦々しい顔をしていた瑞稀社長が呟く。
「あーあ。大和君が来ちゃったみたいよ」
バタバタとうるさい音を響かせて、夜の長瀞にヘリコプターが降り立った。
ヘッドライトが煌々と輝き、暗闇だった周囲が明るく照らし出される。
扉が開き、まずは警護らしき人物が降り立ち、その後ろから別の男が姿を現した。
ダークスーツを身に纏い、背筋はまっすぐと伸びている。
髪は短く切り揃えられており、眼光は鋭い。大和昇一郎総理だ。30代前半に見えるほど若々しいが、確か実年齢は50代後半だったはずだ。
ヘリコプターの騒音は続いている。上空にはまだ3機ものヘリコプターが滞留していた。
大和総理は襟元に手を添え、何かを話しかける。どうやら襟に無線のマイクが仕込まれているようだ。
「警護はいい。戻ってくれ。……。ああ、構わない。私は大丈夫だ。……。命令だ。戻ってくれ」
しばらくやり取りがあって、上空に待機していたヘリコプターは去っていった。
大和総理は片手を上げ、私たちの方へと近づいてくる。後ろには2人の警護が伴っていた。
「やあ、みなさん。こんばんは。状況は把握しております。筑紫春菜さんとミリアさんをアメリカへ連れて行こうとされているのですね?」
どうやら瑞稀社長がこっそりと大和総理に連絡をしていたらしい。総理はここであった出来事をすべて把握していた。
グレゴリーがやや苦い表情を浮かべた。
「我々はアメリカとロシアの大統領の命令で動いている。日本国総理であるあなたも、今回の件は承知していると思っていたが……」
私とミリアが国外へ行くのを止めに来たと思ったようだが、総理にはそのつもりはないようだった。
「ああ、違います。引き止めに来たのではないのです。敵対関係にあるアメリカとロシアが手を組むなんて、非公式とはいえ、かなり異例なことなんです。日本国としては万が一の事態を考え、先手を打たなければならない」
総理はスーツの内ポケットに手を差し込み、2冊の手帳のようなものを取り出す。緑色をした薄い冊子だった。
「ふふ。公用旅券」
ずっと渋い顔をしていた瑞稀社長だったが、少し笑顔が戻っていた。
旅券とはパスポートのことだ。けれど、私が知っているパスポートは紺色か赤色だった。
逆に、グレゴリーの表情はさらに厳しくなっていた。
「モンスターは物として扱われる。日本国政府としては、兵器の貸出という名目だったはずだ」
総理は深く頷く。そして、とぼけたような口調でグレゴリーの発言を否定した。
「モンスター? なんのことですか? 我々もあなたがたも、ミリアさんを調べたわけではありません。DNAの検査をしたわけではありませんし、人間の組成と異なることを確認していません。いまだ外見でしか判断されていないのですね。検査ができていない以上、その立ち振舞いから判断するしかないのですが、人間ではないという結果が出るまでは、ミリアさんは日本国民として扱うこととしました」
総理は私とミリアに、それぞれパスポートを手渡した。これは公務で使われる旅券だった。公用旅券であって、任務が終わると使えなくなる。
日本としては、今回の件を公務だとみなすらしい。
瑞稀社長が補足するように説明を続ける。
「大和君の立場からはこうしか言えないのだけれど、ミリアを日本国民として保護するということなの。もしも物として扱われてしまうと、誰かの所有物とされる可能性がある。例えば、ミリアが海外で行方不明になったとする。するとアメリカ側は『何者かに盗まれました』と主張する。盗まれたことにして、裏で兵器として運用する。そんなシナリオが描かれていたのよ」
「我々は聞いていない」
グレゴリーは強く否定をした。
「言うはずがないでしょう。人道的にも問題があるし、本当の目的というのは隠しておくものよ」
「我々の目的がダンジョンの奪還ではなく、ミリアの確保にあると?」
苛立つようにグレゴリーはいった。
「そうじゃなくて、たぶん両方だったのでしょうね。ダンジョンを奪還するついでに、ミリアという兵器を得る。敵対しているはずのアメリカとロシアだけれど、裏では何をしているのか……。兵器を互いに共有し、隠し持つことだってあるでしょうよ」
「少なくとも、我々は知らされていない」
「知る必要がないってことでしょ?」
「藤井瑞稀社長。あなたは、すべてを知っていて、春菜さんとミリア殿がアメリカへ行くことを黙って見ていたのだろうか?」
「まあ、大和君がなんとかしてくれるって思っていたからね」
瑞稀社長は総理に向けて、いたずらっぽくウインクをする。
「筑紫春菜さん」
総理が私の前へ歩み寄る。
「よろしく頼む。ロサンゼルス・ダンジョン、そしてサンクトペテルブルク・ダンジョンの解放を。くれぐれも、怪我をされないよう。また、無事に帰還されるように」
手を差し出し、私に握手を求めてきた。私は総理と握手をする。総理は温かい手で優しく握り返してきた。
「大丈夫です。瑞稀ちゃんのタブレットもありますし、魔法も使えるようになりました。ミリアと一緒に、ダンジョンを取り返します」
総理は私の目を真っ直ぐ見てくる。まるで心の奥底へと侵入するかのように、視線を外さない。
「何があるかわかりません。裏側には陰謀が渦巻いているかもしれませんし、罠にかけようとする者もいるかもしれません。奇跡のようなダンジョンからの脱出。あれはきっと奇跡ではなかったはずです。今回も、先手を取り、対策をしておくことです。あなたにはその手段があるはずです」
私には何か秘密がある、そう確信しているのだろう。
総理が言わんとしているのは、ダンジョンシミュレーターのことだ。もちろんこの能力は私しか知らないから、総理が知っているはずはない。
「わかりました。十分に用心をして臨みます」
総理が言いたいのは、警戒を怠るなということなのだ。
瑞稀社長もそのことはわかっているようで、私の方を向いて深く頷いていた。




