第134話 放射性物質
「ダンジョンには近代兵器を持ち込めない。銃や爆弾などの火薬類は暴発してしまい、中へ運ぶことすら不可能なのだ」
「ダンジョンでは、そこで得た武器で戦えってことかしらね」
瑞稀社長がちらりとミリアを見る。ピンクのフリフリワンピースを着たミリアは、話など全く聞いておらず、グレゴリーの部下から貰ったチョコレートを幸せそうに頬張っていた。
そんなミリアとは対照的に、グレゴリーは重苦しい口調で言葉を継いだ。
「だが、ある種の兵器だけは持ち込めることが判明した」
グレゴリーの深刻な言葉に対し、瑞稀社長は鼻で笑うような冷ややかな声を返す。
「……即死レベルの放射性物質、でしょう?」
グレゴリーは不意を突かれたように目を見開いた。
一方で、瑞稀社長の表情は硬い。総理大臣とも面識がある彼女には、ダンジョンに関する機密情報が自然と集まっているのだろう。
「……そこまで把握していたのか」
瑞稀社長は私に向き直ると、口元に人差し指をまっすぐ立てた。
「春菜ちゃん、今の話は内緒にしておいてね。日本政府も掴んでいたことだけれど、最重要の極秘事項なの」
私はこくりと頷く。それを確認して、グレゴリーが話を続けた。
「強烈な放射線の前では、防護服など意味をなさない。ドローンなどの精密機械すら誤作動を起こすほどだ。特殊な空間ゆえに外への影響はないが、その代わり、誰もダンジョン内へ足を踏み入れることができない状態に陥っている」
「それで、ミリアちゃんの出番というわけ?」
「人間も機械も受け付けない。もはや、モンスターの力に頼るほかないのだ」
ミリアはのんきにチョコレートを食べている。口の周りが茶色く汚れていた。
夜の闇のおかげで、そこまで目立たないのがせめてもの救いか。
しかし、私はミリアの身が心配でならなかった。
人間が即死するほどの放射線の中にミリアを放り込んで、本当に大丈夫なのだろうか。
「ちょっと待ってください、グレゴリーさん」
私はグレゴリーに詰め寄った。少し責めるような色を声に乗せて問いかける。
「ミリアは大丈夫なんですか? ミリアだって、ちゃんと生きているんですよ。モンスターなら大丈夫だっていう確証はあるんですか? モンスターだから死んでも構わないなんて、そんな風に命を軽く考えていませんか?」
そんな私に、会話を無視して食べてばかりだと思っていたミリアが声をかけてきた。
「春菜お姉様。ミリアなら大丈夫でございますよ」
にこりと微笑み、愛嬌のある顔をこちらに向けてくる。
そこへ、グレゴリーが補足説明を加えた。
「なぜ、放射性物質が持ち込めるのか。それはおそらく、ダンジョンのモンスターにとってはダメージが極めて少ないからだと思われている」
納得がいかず憮然とする私に、グレゴリーはさらに続けた。
「我々は当初、あらゆる近代兵器が持ち込めないと考えていた。だが、先ほど春菜さんが生み出したダンジョンには銃を持ち込めた。これは最初の階層にいたモンスターのレベルが高かったためと推測される。つまり、通常のダンジョンの場合、第1階層のモンスターに対して銃器の殺傷能力が高すぎると判定されているのだ」
瑞稀社長が首を傾げる。
「モンスターを一方的に乱獲させないための、システム的な調整……かしら?」
「その可能性は高い。アルトリアス社が持ち込んだ放射性物質も、レベル1のモンスターに対しては効果が薄いと判断されているようだ」
「刀剣は持ち込めるわけだから、それと同程度の攻撃能力と見なされているのかしらね」
「おそらくは」
私はやりきれない思いで、語気を強めて反論した。
「おそらく……って、確信があるわけじゃないんですよね? 入ることすらできないなら、実際に確認したわけでもない。そんな曖昧な理由で、どうしてミリアなら大丈夫だなんて言えるんですか!」
「ミリア殿はレベル173だと聞いている。レベル1の魔物への影響が軽微なら、レベル173の彼女であれば、全く問題はないはずだ」
「はずだ、って……。全部憶測じゃないですか! 確実な保証なんてどこにもないのに!」
のんきなミリアとは対照的に、私は怒りに震えていた。
私はミリアのそばに寄り添う。
ハンカチを取り出して、彼女の口元についたチョコレートを丁寧に拭き取った。
ミリアはされるがままになり、拭きやすいように少し顎を上げてじっとしている。
こうしていると、ミリアはアニメから抜け出してきたような可愛らしい女の子にしか見えない。モンスターだなんて、到底思えなかった。
「ミリアの代わりに、私がなんとかします。魔法も使えるようになったんです。ミリアをそんな危険な場所に活かせるわけにはいきません」
グレゴリーは困ったように苦笑いをした。彼に抗議の視線を向け続ける私だったが、ミリアが革鎧の裾をくいっと引っ張った。
「お姉様、お姉様。ミリアは平気でございまする。チョコレートをいただいたので、力がみなぎっております」
私はしゃがみこみ、ミリアの頬を両手でそっと包み込んだ。
「あのね、ミリア。チョコを食べると元気が出るのはわかるよ。でも、放射線の影響は別なの。何かあってからじゃ遅いんだよ?」
「でも、お姉様。ミリアはもうチョコを食べてしまいました。そこの隊員さんが、チョコとの交換条件でアメリカに来てほしいと。ミリアはもう、取引に応じてしまったのです」
「はあ!?」
私がグレゴリーの後ろに控えていた隊員の一人を睨むと、彼は「しまった」という顔をして目を逸らした。
瑞稀社長も呆れ果てた様子だ。
「ミリアちゃんの弱点まで、しっかり調査済みというわけね」
そんな社長に対し、ミリアは舌足らずな口調で反論を始めた。声が可愛らしいせいで、本気で怒っているのか分かりにくいけれど……。
「ちょっと待ってください。聞いてください、瑞稀ちゃんにお姉様。ミリアはチョコレートごときでなびくような、安い女ではございませんです! サキュバスの名にかけて、安易に男に惑わされるなど一生の不覚でございます。これでもミリアは、サキュバス・クイーン。サキュバスの頂点に君臨する者なのであります。ミリアはチョコレート1枚ごときで、命を懸けたりはしませんです!」
口をもごもごさせながらの必死の抗弁なので、余計に聞き取りづらかった。
「……とりあえず、口の中のチョコを飲み込んでから喋ろうか、ミリア」
「はい、お姉様。ごっくん……」
ミリアの喉が可愛らしく波打つ。
「ということで、これはお姉様の分なのです!」
ミリアが私に差し出したのは、10枚ほどの板チョコだった。……ん? どういうこと?
「ミリアは、チョコレート1,000枚を要求いたしました。1,000枚といえば、天文学的な量でございます。それほどを用意できるということは、並大抵の国家ではございません。国民からチョコを徴収し、ミリアに捧げるというのです。もしかしたら国が傾くやもしれませぬ。ミリアは今、チョコレート大富豪となったのです。現在は手付金として20枚を受け取っております。半分をお姉様に差し上げます。残りの980枚は、任務完了後にいただく約束なのです!」
「ミリア……」
絶句する私に、ミリアは満面の笑みを向けてきた。
「ほめてください、お姉様!」
まるで主人の帰りを待っていた忠犬のように、ミリアは両手を軽く握って顎のそばに添えた。
目をキラキラと輝かせ、自分の上げた戦果を誇らしげに報告している。
「はあ……」
私はため息をつきながら天を仰いだ。
長瀞は自然が豊かで、都会のような喧騒もビルの灯りもない。
広がる夜空には、無数の星が静かにきらめいていた。
「……そんなにたくさん食べきれないよ。太っちゃうし……」
「ふ、太る!?」
ミリアは衝撃を受けたように、目を大きく見開いて固まった。
「おデブさんになっちゃったら、サキュバス・クイーンの威厳が台無しじゃない?」
「た、確かに……。どういたしましょう、お姉様……」
「まあ、私とミリアならさくっと解決できそうな問題だし、アメリカまでパパッと行って片付けてこようか」
「かしこまりました、お姉様!」
「こんな仕事、チョコ20枚でお釣りが出るくらいだよ。1,000枚はもらいすぎだね。アメリカが破産しちゃったら困るし」
「さすがはお姉様です。他国の経済状況まで慮るそのお心、感服いたしました!」
「ミリア、いつの間にか難しい言葉を覚えたね。どこで勉強したの?」
「ダンジョンチューブを毎日視聴しておりまする」
「……変な言葉遣いも混ざってるけどね」
「お姉様が虜にした男たちの言葉も、熱心に研究しております!」
「いや、それは……。真似しなくていいんだけど……。あの動画を見たのね……」
「男たちを魅了しておりました。春菜お姉様の唇を狙う不届き者たちを、見事に翻弄し……」
これ以上余計なことを喋らせないよう、私はミリアの口を手で塞いだ。
「さて、アメリカへ行こうか。ミリア」
ミリアは声を出せず、もごもごと返事をする。
「は゛い、おねえさ゛ま」
私の手の下から、くぐもった声が漏れた。
事の顛末を見届けていたグレゴリーが、私とミリアに向かって深く頭を下げた。
「協力を感謝する。部下が勝手な真似をしたことも、深く詫びよう。もちろんチョコレート以外にも、相応の報酬は約束する。アメリカは、ミリア殿と春菜さんを手厚くもてなすつもりだ」
私とミリアがアメリカのダンジョンへ向かうことが決まったが、瑞稀社長だけは、納得がいかない顔をしていた。




