一六話⑤
笹野街を移動していき到着したのは多雨迷宮、管理区画へと足を踏み入れると防衛官や職員たちが話し合っている最中であった。
「巡回官としてやってきた篠ノ井だが、活性化でも発生したか?」
「そうなんですよ、そこで子爵様と相談していまして」
老年の男が小さく礼をして目を細める。どうやら彼が笹野子爵らしい。
「始めて見られる巡回官殿ですな、私は笹野子爵として笹野街を治めている坂城弓朗と申します」
「金木犀伯爵家の篠ノ井一帆と妻の百々代、こっちは莢研からの同行者と従者だ」
「ああ…確か、金木犀の麒麟児と昔にお名前を耳に届きましたな。事態の収拾へ助力をいただけるのであれば、これ以上心強い方はいませんね」
「残念ながら成長とともに平凡なものとなったがな」
「はは、御冗談を」
「…状況次第だが蝋梅所に応援を頼むことになるかもしれん、用意はしておいてくれ」
「畏まりました。では防衛官と話し合い、お気をつけて迷宮へ」
カツカツと杖を突き馬車へ乗り込んでいく弓朗を見送り、一帆らは防衛官と話しを詰めていく。
「で状況は?」
「はい。活性化の影響で迷宮そのものが別物に変わってしまった事に加えまして」
「待て待て、そのものが別物に変わった?」
「そうなんです。活性化前の迷宮では九分方、雨の降っているその名の通りの多雨迷宮だったのですが、雨が止んでしまって」
(そうなると雨の備えは無駄になっちゃうなぁ)
「魔物もがらりと変わってしまって、腰くらいの大きさをしている二足歩行する蜥蜴と鼠と蜥蜴の間みたいな大きな動物が主だったのですが、群島蘇鉄の様な樹に手足が生えて襲いかかってくるようになったんです」
「樹木系の族種ですか、大きさはどのくらいで?」
「三間から六間くらいまで様々ですね」
「大きいですね、魔獣ですか?」
「確認されている限りは魔獣です。動きこそは重鈍ですが長い手を振り回す攻撃では多くの被害を出してしまいまして、医務室が大変なことになっています」
「となると調査に掛ける人も少なくなってしまいますね。応援はお願いしちゃいましょうか」
「迷宮そのものががらっと変わったのなら大規模な調査は必要だからな」
「他に変わった点は有りましたか?」
「そうですねぇ…雨こそは止みましたが川や池が形成されていました」
「となると既存の道標は使えなくなっている可能性がありますね、幾つか標を用意していただけますか?」
「畏まりました」
―――
「とりあえずで一階層だけ様子見をしてくるから颯さんは待っててね」
「わかった。お荷物を抱えては実力を発揮できないだろうからな」
手早く準備をして篠ノ井夫妻は迷宮へと潜る。
足を踏み入れて視界に入るのは背の高い木々の森。先の幽谷迷宮とは異なり比較的歩きやすい地形ではあるが、膝ほどの草木がやや邪魔であろうか。
臨戦態勢で踏み分け道を進んでいけば、腰ほども届かない二足歩行で満月のような瞳をした蜥蜴、月眼蜥蜴がギャウギャウと騒ぎ立てて走っていく。
「こっちの事を見ていたけど襲ってこなかったね」
「ああ、記録が正しければ襲い来る魔獣の筈だが」
「進行方向は同じだし追ってみようか」
「そうだな」
雨のあの字もない森林を進んでいけば、先程の鳴き声に加えて大地を揺らす音。
毛が生えたような幹に、天辺から放射状に伸びる葉。そして筍のような尖った形状の橙色をした花が咲いている。それだけであれば群島蘇鉄なのだが、幹の中程からは長い腕状の枝が伸び、地につながっている筈の根は足を模して歩いていた。
(いたよ、動く蘇鉄。でも月眼蜥蜴と戦闘をしてるっぽくて、どうしよっか)
(魔獣同士の戦闘か。囮くらいに考えて横槍を入れるか)
(了解、それじゃ狙いは蘇鉄族で)
一帆が涙杖を浮かせつつ霙弓を構えた事を確認し駆け出す。カチャリ、引き金が引かれ突き進んだ凍抓が幹胴を凍てつかせれば、百々代が飛び蹴りで以て脆弱化した凍結部を蹴り折る。
巨大な蘇鉄族が倒れれば音を聞きつけたのか、動く樹木が三本歩いてきた。
警戒心を露わに姿勢を低める月眼蜥蜴は無視、鋸剣を起動しつつ零距離擲槍で距離を詰めては一刀両断、一本を伐採。
残る蘇鉄族の内、百々代に近い相手は幹胴から伸びる腕枝を勢いよく振るい襲いかかるも、根本に凍抓が命中し自身の力によって折れてしまう。となれば反対の腕枝なのだが、そんな猶予がある筈もなく脚を斬り裂かれ転倒すれば幹胴を真っ二つに裂かれて動かなくなる。
(残り一本、)
と視線を向けた先では蘇鉄族の足元をうろちょろ走り回り、齧り付く月眼蜥蜴の数々。鬱陶しそうに踏み潰そうとするも、機動力が及ぶはずもなく寄っては散ってを繰り返していた。
百々代が踏み込もうとした瞬間、蘇鉄族は足に力を込めて跳び上がり大の字で月眼蜥蜴を圧し潰そうと試みる。
(逃げ遅れ、…。こっちに攻撃はしてこなかったし)
擲槍移動で逃げ遅れた一匹を小脇に抱えては、落ちて来る大木に対して零距離擲槍の勢いを加えた蹴りを打ち込む。決定打にこそならなかったものの、百々代も蜥蜴も被害はなく難を逃れた。
「…。」
「後は任せて」
小脇の蜥蜴を下ろしては起き上がろうとする樹木へ踵落としをお見舞いしてから鋸剣を突き刺し自壊させる。
「よし、終わりっ!」
一帆と合流しようと踵を返せば、群れる蜥蜴たちがおっかなびっくり歩み寄り、ギャウギャウと鳴き声を上げては百々代の出方を伺っていた。
(どうしよっかな、襲ってくるんじゃなければ下手に刺激しない方がいいと思うんだけど)
古海底迷宮の一部の魚みたく襲いかかってこない無害な魔獣もいることはいる。然しそれは非常に数が少なく例外的な存在であり、元々こちらに襲いかかってきていた相手と思うと排除するのが無難であろう。
だが咄嗟に助けてしまった分、始末するのは若干の気が引けるのも事実。どうしたものか、と悩んでいれば一匹が前に出てきてぴょんぴょん跳ね回る。
(蜥蜴って懐くのかな?大きさ的に犬みたいな感じだけども、うーん)
腕を組んで悩んでいれば、月眼蜥蜴も真似をするように首を傾げて見せて、どうやら敵意はない、と結論付けた。
百々代と後を付いてくる蜥蜴たちは一帆の許へと向かえば、彼は顔を引き攣らせているではないか。
「それは…どういう状況だ?」
「わかんない。敵の敵は味方的な感覚なのか、一匹を助けたのが原因なのかわからないけどついて来ちゃって」
「魔獣が懐くなんて聞いたことがないのだが…、そもそも迷宮の様子がガラリと変わってしまうこと自体が異質、様子見はしたほうがいいな。…ほれ、食うか」
一帆が鞄から携帯食料を取り出して投げてみれば、百々代が助けた一匹が匂いを嗅ぎボリボリと噛み砕き嚥下する。
「餌付けは出来そうだな。懐くかは…わからんが」
敵意がないのなら問題ない、と言いつつも警戒する一帆だが、面白がって携帯食料を与えて楽しんでいた。
そんなこんなで調査、もとい遊んでいれば遠方から向かってくる蘇鉄族が数本。月眼蜥蜴から期待の籠もっている…ような瞳を向けられた二人は、頷き合い対処に向かう。
―――
一帆の凍抓ですら凍りつく程度の強度を誇る蘇鉄族には、防衛官らが苦戦し被害を出すことも頷ける。だが相手が悪い。
なにせ百々代の用いる武器は元を辿れば鋸で、木を伐る道具を武器へ変えているのだから。つまりここは雷鎖鋸剣の本領を発揮できる場であり、腕枝を剪定され、幹胴をぶった斬られ倒木と化していく。
(…。おっと、不識は効かないのかな。まあ目が付いている風でもないけど)
不識は視線で使用者を追えなくなる迷宮遺物、視力以外で相手を感知している蘇鉄族には効果が無いようで、腕枝の一撃を纏鎧で受け止めることとなる。
「結構重いけども、このくらいなら余裕ってね!」
脇で受け止めた腕枝をしっかりと抑え込み、右手に握る鋸剣を地面へ斜めに突き刺して履帯代わりの馬力として運用。彼女自身の力と併せて無理繰り引っ張って転倒させ、幹胴へと鋸剣を突き刺してとどめを刺した。
迫りくる腕撃を綺麗に躱し進めば進行方向の蘇鉄族が凍りつき、零距離擲槍で砕き割り、残った脚部を蹴り飛ばして相手を怯ませ鋸剣で伐採し戦闘を終えた。
百々代という天敵が今この場に居合わせてしまったことを、蘇鉄族は恨む他ない。
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